12 緊急依頼
やっとこさ書けました。
主人公が出てこないシーン書くのがめちゃくちゃ面倒くさいのですが、省略すると話が薄っぺらくなってしまうしで、難しいところです。
文章量が多くなったので、3分割したものを時間を置いて投稿します。
太陽が中天まで昇ろうかという、昼中。
イルニア国、王都カルティエの冒険者ギルドに、簡素な革鎧をまとい、腰に安物の剣を帯びた、黒髪黒瞳の青年が現れる。
「おい、あいつ、あのジルと仲が良いっていう……」
「ネロク、だったか」
「まだ、くたばってなかったのかよ」
「俺、あいつが、絡んできたゴロツキをボコボコにしたって聞いたけど」
「嘘つけ。あんな棒きれみたいな腕じゃあ、剣も満足に振れねえだろうよ」
それを目にした冒険者らは、まるで隠そうともしない申し分程度のささやき声で、口々に彼を話題に挙げた。
ネロク。
生まれながらに魔法の適性を持たないことを示す黒髪を持ち、その上体つきもやたらと細い、異質な冒険者。
つい先日ギルドに登録を終えたばかりの新入りだが、そのあまりにも冒険者らしからぬ風体や、鉄仮面のジルと仲が良いという噂から、既に多くの者が彼を知ることとなっていた。
昨日一日のうちに、彼に関する真否の知れない噂もいくつか立っており、ネロクは、刺激の少ない日々を送る王都の冒険者たちからの好奇心を、一心に受けている状態であった。
曰く、実は凄まじい身体能力を持っている。
曰く、もとは大貴族の生まれだが、黒髪を理由に廃嫡された悲劇の子。
曰く、かつてジルの故郷で共に育った幼なじみである、等。
大抵の噂は、見るからに作り話と分かる荒唐無稽なものである。
しかし娯楽に飢えた人々にとって、こういったうわさ話は、馬鹿げていればいるほど、面白いのだった。
「よう、黒髪。
今日はジルの嬢ちゃんは一緒じゃねえのかい?」
ネロクを茶化す声が上がる。
「ああ。俺は、そこまで彼女と親しくないからな」
おざなりに返事を返しながら、ネロクは歩みを進めてゆく。
向かう先は、依頼書が貼り付けられた掲示板。
魔物と戦うどころか、喧嘩もできそうにない、見るからにひ弱な冒険者が、果たしてどんな依頼を受けるのか。
ネロクを観察する冒険者たちは、ほのかに期待を膨らませた。
「おっ。あった、あった」
ネロクは迷う素振りも見せず、一枚の依頼書を手にとった。
「は!?」
「え……」
それを見た幾人かの冒険者が、思わず驚愕の声を漏らした。
いや。
彼らだけにとどまらず、ネロクの行動を注視していた者は、皆一様に目を見開き、驚愕とも困惑ともとれる表情で絶句している。
ネロクの請けようとしている依頼。
彼が手にしている依頼書に目をやらずとも、冒険者たちは、それが何なのか一瞬で理解できた。
依頼書に、見覚えが"ありすぎる"のだ。
ネロクが手にとったのは、掲示板の上方――他の依頼から不自然に離れた位置に置かれている依頼書。
端が黒ずんだ、年季の入った羊皮紙には、冒険者たちが依頼書を取りに来るたびに、嫌というほどに目にした依頼文が書かれている。
何年も完遂されることなく、同じ位置に掲げ続けられてきたその依頼書は、ここ、王都カルティエのギルドに属する冒険者たちにとってすれば、もはや依頼書ではなく、一種のシンボルですらあった。
「この依頼を、請けたいんだが」
カウンターに控える受付嬢のもとへたどり着いたネグロは、まるで気負いを見せない声色でそう告げながら、手に持った依頼書をゆらゆらと揺らした。
竜の巣、ウアラト山の山頂付近に生える薬草の採取。
難易度、Aランク。
それは、王都カルティエ――否、イルニア王国の中で、最も難易度の高い依頼だ。
「……ふっ」
ギルドに満ちた、緊迫をともなった静寂の中。
誰が発したか、こらえきれずに息を漏らしたような音がした。
「ぎゃははははっ!!」
「おいおいおいっ! マジかよっ!?」
「すげえよ! ある意味大物だわ、お前っ!!」
「ひぃーっ! 腹! 腹、いてえ!!」
堰を切ったように、爆笑が生じた。
「ハハハッ!! おおーい、黒髪!
おめえ、字ぃ、読めんのかぁ!?」
「それ、Aランクだぜえー?」
「ちなみに、Aランクの上はFランクじゃないからなー!
Fは、Aより下のランクだからなー!!」
「くくくっ……!
おい、それくらいさすがに分かってるだろ……くくっ……!!」
次々と野次や皮肉が飛んでくるが、ネロクはそれに構う素振りも見せない。
やがて、彼を取り巻いていた冒険者の集団の中から、ひげを生やした一人の男が歩み出て、馴れ馴れしくネロクの肩に手を回した。
「はぁー、笑った。おめえ、最高だな。
依頼が終わって竜の巣から帰ってきたら、俺の奢りで一杯やろうや」
身をかがめて、ネロクの顔を横から覗き込み、酒臭い息を吐き散らしながら、ひげ面の男が言った。
熱を持った息が、ネロクの頬を撫ぜる。
「ああ。その時はよろしく」
ゆっくりと首を回して男に顔を向けたネロクが、そう言って笑った。
自身の皮肉に、冗談とも本気とも取れる返答を受けたひげ面の男は、ネロクの言葉に再び笑いがこみ上げてきたようで、「ぶふッ!」と、大きく息を吹き出した。
ゲラゲラと笑いながらひげ面の男が離れてゆくのを見送ると、ネロクは受付カウンターへと向き直った。
「……で、この依頼を請けたいんだが」
ひげ面の男が吹き出した際、顔にかかった唾を腕で拭いながら、ネロクは先程と変わらぬ調子で、同じ言葉を繰り返した。
「……」
対する受付嬢は、彼の言葉に黙して返さず、まるでその場にネロクが居ないかのように、淡々と何かの書類にペンを走らせている。
「おーい、この依頼を――」
「冷やかしでしたら、お引き取りください。
他の冒険者がたの迷惑になりますので」
ぴしゃり、と冷水を浴びせかけるかのような冷たい声色で、受付嬢はネロクの言葉を遮った。
ネロクの顔を一瞥した受付嬢の目には、あからさまな侮蔑が宿っていた。
「請けさせてやれよぉー」と、笑い声混じりに、どこからか野次が飛んでくる。
「冷やかし? 俺は本気なんだが」
「……はぁ……」
受付嬢は、これ見よがしに不快感を露わにしたため息をつくと、渋々と、まるで鉛のように重い調子で口を開いた。
「あのですね。竜。竜って生き物、わかりますか?
鱗があって、翼が生えていて、とても大きくて強い、竜です」
「ん? ああ、分かるが」
「この依頼は、竜のすみかに入って、そこに生えている薬草を取ってこい、という依頼なんです。
自分のすみかに入り込まれた竜は、どうなると思いますか? 怒りますよね?
怒って、あなたを襲います。そしたら、どうなりますか?
死ぬんですよ。あなたみたいな弱い人は、竜に簡単に殺されるんです。
だから、あなたにこの依頼は無理です。理解できますか?」
強い苛立ちがうかがえる声で、早口に、どこか馬鹿にしたような説明を終える受付嬢。
その目にはもはや憎しみすら宿っており、ネロクを疎ましく思っていることが、ありありと分かった。
「いや、言いたいことは分かったが。
竜に見つからずに薬草だけを取ってくるなり、竜に見つかってもほどほどに応戦して逃げ延びるなり、薬草を持ち帰る手段はいくらでもあるだろう。
俺はこの依頼を完遂できる自信があるから、請けたいと言ったんだ」
しかしネロクは動じること無く、淡々とそう言うと、依頼書をずい、と受付嬢へと差し出す。
受付嬢の額に、青筋が浮かび上がった。
◆
冒険者の少女、ジルがギルドへと顔を出すのは、決まって昼を過ぎた頃である。
彼女の扱う武器や、身につけている装備品は、一般の冒険者と比べて少々複雑な機能と構造を持っている。
そのため、午前中は装備品の整備で時間がほとんど潰れてしまうのだ。
例日のごとく装備を整え、昼食を済ましたジルが冒険者ギルドの前に差し掛かった時、普段聞き慣れない、妙に興奮した様子の喧騒が耳に入った。
「……何なの?」
ギルドの内部から、歓声のような声がかすかに響いてくる。
中で冒険者同士の大げんかでも起こっているのだろうか、とあたりをつけながら、ジルは扉を押し開き、ギルドへと入っていった。
「何よ、これ」
そこは、まるで祭りのような賑やかさだった。
あちこちで品のない笑い声があがり、そこに冒険者たちの話し声が混じり、混沌とした様相を見せていた。
どこからか、「請けさせてやれよぉー」と、野次のような、愉快げな声が飛んだ。
「おっ。ジルじゃねえか。
いいところに来たなっ!」
手近な冒険者に事情を聞こうとしたところで、一人の冒険者が声をかけてくる。
冒険者は、彼女がジルであると見るや、ことさら楽しそうに笑みを浮かべた。
「なあ、昨日お前が世話を焼いた、黒髪のボウズ。
あいつが今、すげえ面白いことになってるぜ!」
「……何ですって」
その言葉を聞いて、ジルは眉をしかめた。
ただでさえ普段からしかめっ面を浮かべている彼女の表情が、さらに凶暴性を増す。
「それがなあ……クククッ!
あのボウズ、Aランクの依頼を請けやがったんだぜ。
ほら、分かるだろ? 竜の巣の薬草採集だよ。
……この依頼を、請けたいんだが。……っつってな! ガハハハッ!」
「……は?」
ジルは、しばらく愕然として、その場に立ち尽くした。
それから、事態の整理がつくにつれて、彼女の中には沸々と怒りが湧いてきた。
Aランク? 竜の巣だと?
昨日、あれだけ言ってやったのに。
あの時は、分かったフリをしていただけなのか。
私の親切は、全部、無駄だったのか。
自ら進んでの施しとはいえ、それをこうも見事に無碍にされては、いい気分ではない。
彼女は、忠告を無視したネロクの愚かさに、そしてそんな愚か者に情が湧き、肩入れしてしまった自分の甘さに歯噛みした。
「なあ、ジルよう。
あのボウズとはいったい、どんな関係――」
その時、ギルドの受付ロビーに、割れるような女性の怒号が響いた。
「だからっ!! あなたのような黒髪のひ弱な奴に、この依頼は請けさせられないって、言ってるんですッ!!
ええ確かに、請ける依頼のランクに厳密な制限は無いわッ!!
でもね! FランクがAランクの依頼を請けるなんて前代未聞よッ!!
それに竜を無闇に刺激しないよう、竜の巣に立ち入る冒険者はしっかり選別しないといけないのッ!!
これを受理すれば、私が! 批難されるわけッ!! 分かるッ!?
あなたは竜に食われて死のうがどうでもいいけど、私に迷惑かけるんじゃないわよッ!!
それにFランクがAランクの依頼を請けるなんて、保証金がいくら掛かるか分かってるの!?
あなたみたいな黒髪の貧乏人に払えるわけ無いでしょッ!!」
ほとんど叫びに近い糾弾の声だった。
とっさに声の方へと振り向くが、そこには人垣ができており、奥まで見通すことは出来ない。
恐らく、あの人だかりの向こうに、騒ぎの中心――ネロクが居るのだろう。
「……どいて」
気づけば、ジルは冒険者たちをかき分け、ネロクのもとへと向かっていた。
人の話を聞かず、自殺に等しい無謀な依頼を請けようとする男。
思えば、初めに会った時の彼は剣すら持たず、素手で魔物と戦う心づもりだったか。
そんな、どうしようもない馬鹿――狂人と言ってもいい彼を、ジルはどうしても捨て置けなかった。
自分もネロクに劣らぬ相当な馬鹿だと、ジルは内心で自嘲し、自身を罵った。
人混みを抜けたジルの目には、すさまじい剣幕で怒鳴りつける受注カウンターの受付嬢と、その怒声をやんわりと聞き流しているネロクの姿があった。
彼の姿や、まとう雰囲気は、昨日とまるで変わっていない。
まるでこの世に恐ろしい物など何もないかのような、泰然自若とした振る舞い。
黒髪に生まれたものは皆、その境遇故に、卑屈な笑みや、苦り切った渋面で表情が凝り固まってしまうものがほとんどである中、彼は清々しいほどに真っ直ぐだった。
まるで、忌むべき自身の黒髪ですら、その色を誇っているかのようで。
ジルはさっきまで危機感を抱いていたのがどこか馬鹿馬鹿しくなって、思わず笑ってしまった。
「だいたい、黒髪が冒険者になる事自体、ふざけてると思わないのッ!?
魔法が使えない奴は使えない奴らしく、おとなしく農作業でもやってればいいのよっ!!」
「うーむ。依頼を受けられない理由を聞いただけなんだが、何か気に障ったことでも言ったか?」
「おいおい、どうしたんだい」
半ば受付嬢としての職務を放棄し、罵倒の言葉を吐き続ける受付嬢の後ろから、人好きのしそうな柔和な顔立ちをした、大柄な男性が現れる。
体躯に似合わぬ、愛嬌の感じられる困り顔を浮かべたその男を見て、ネグロは「あ」と声を上げた。
「あんたは、確か……ブノアさん?」
「おや、ネロクさんですか」
「ブ、ブノアさん……!?」
ブノア。
ネロクが冒険者登録を行う際、その手続きを担当した男性職員であった。
黒髪というハンデを持つネロクを案じて、親身に忠告を寄越してくれたのは、ネロクの記憶にも新しい。
背後から現れた男を見て、受付嬢は一気に気勢を落とし、先ほどまで罵り言葉を吐き出していた口をつぐんだ。
どうやら眼前の受付嬢よりも、ブノアの地位の方が高いようだ、と、ネロクは益体もない推測を頭に浮かべていた。
「すごい大声が聞こえてきたけど……何かあったのかい」
「あ、そ、それは……」
頭が多少冷えたことで、受付嬢は、バツが悪そうに言葉をつまらせた。
いくらネロクが非常識とはいえ、ギルドの職員が冒険者をあそこまで痛烈になじるのは、許されることではない。
しかし間もなくして彼女は精神を持ち直すと、ネロクに弁明の隙を与えないよう、口早にブノアへと詰め寄った。
「ブノアさん! この冒険者が、Aランクの依頼を請けさせろと、私を脅迫してくるんです」
「えっ、俺は脅迫なんて――」
「危険ですからと、何度お断りしても文句を言ってきて、それで怖くなって、つい大声で言い返してしまって……」
ネロクが何かを言おうとする前に、受付嬢が畳み掛けるようにブノアへと説明した。
それを受けて、ブノアは頭痛をこらえるかのように目頭を押さえ、心底困り果てた様子で小さくうめいた。
「……ネロクさん、Aランクの依頼を請けようとしたのですか?」
「ああ。俺が脅迫したという点に関しては反論したいところだが、Aランク依頼を請けたいと言ったのは事実だ」
ネロクがさりげなく脅迫の事実を否定すると、受付嬢が一瞬だけ、恐ろしく冷たい目でネロクを睨んだ。
当のネロクはそれに気づきながらも、顔色や表情のひとつも変えない。
「その……確かに……自身のランク以上の依頼を請けることは可能だと、ご説明しましたが……。
Fランクの冒険者がAランクの依頼を受けるというのは、さすがに……前例のないことでして。
どう考えても失敗して死んでしまうような依頼を、冒険者に請けさせたとなると、ギルドとしても信用が低下する恐れがありまして……。
それに保証金の額も、とんでもない高額になりますよ」
「一応聞くが、Fランクの俺がこの依頼を請けるとして、支払う保証金は、いくらだ」
「……そうですね……」
ブノアはしばし、口の中でモゴモゴと何かを数えたかと思うと。
「金貨、500枚といったところでしょうか。
正確な額は、こちらでしっかり算出しないと分かりませんが」
「500枚か」
金貨500。
立派な家を一軒買えてしまうほどの大金だ。
その額は、並の人間が払える額ではない。
ネロクは、ブノアの出した額に相槌を打つと。
「これで足りるか?」
ドン、と、見るからに重そうな大きな革袋を、カウンターの机に置いた。
革袋は机の上に置かれると、ジャラジャラと金属の擦れ合う音を立てて、ゆっくりと潰れてゆく。
「な、一体、どこから……!?
……いや、それよりも、その袋の中身は――」
「金貨、だいたい500枚だ」
ネロクが袋の口を開け広げる。
黄金色の金属光沢が、眩いほどに漏れだした。
「そんな……こ、こんな大金、どうやって……」
「……うそ……」
金貨の一枚を手にとり、その重さや質感から、本物の金であると判別したブノアは、戦慄したように呟いた。
ブノアのそばの受付嬢も、自身が先ほどまでゴミのように蔑んでいた黒髪の男が、思わぬ大金を持っていた衝撃で、様々な感情がないまぜとなり、絶句している。
この黒髪の青年が、ただの無謀な馬鹿ではないらしいことに気づき、ネロクを茶化していた冒険者たちの間にも、にわかに先ほどとは別種のざわめきが広がった。
「もう一度言おう。俺は、この依頼を請ける。
保証金の額を計算してくれ。
もし足りないなら、不足分を出す」
「し、しかし――」
どうみても強そうには思えない、黒髪の青年。
そしてその青年が提示してみせた、出処の不明な500枚もの金貨。
依頼を受けることを許可すれば、青年が依頼を達成しようがしまいが、ギルドにとっては莫大な利益となる。
竜の巣に生える希少な薬草は、青年に支払う報酬を差し引いても恐ろしい額で売れるし、青年が依頼に失敗すれば、保証金の金貨500枚がそのままギルドのものとなるのだ。
だが一方で、彼はあまりにも怪しすぎる。
揺れるブノアの思量は、しかし唐突に訪れた人物によって中断された。
「ブノアさんっ! 報告したいことが!!」
ギルドの出入口から、まるで転がり込むように一人の男が現れ出た。
彼はキョロキョロとせわしなく首を動かし、ブノアの姿を認めると、焦燥した様子で大声を張り上げる。
身なりと口調からして、ブノアや受付嬢と同じ、ギルドの職員であろう。
「少し、待ちなさい。
今は少々立て込んでいて――」
「緊急なんですッ!!
街の西門に、フライ・ドレイクが!!」
フライ・ドレイク。
その言葉を聞いた直後、ブノアはまるで別人のように表情を険しい物へと変じ、何も言わずに、受付カウンターの奥へと走り去ってゆく。
わけが分からず、状況の説明を求めてネロクが周囲を見回せば、先程まではどこか気の抜けていた冒険者たちは、いずれも鬼気迫る表情でせわしなく動いており、とても声をかけられる様子ではなかった。
彼らは各々の手に武具を持ち、次々とギルドの外へと走り去ってゆく。
数分と経たずに、冒険者ギルドの受付ロビーは、数人を残すのみの閑散とした場となった。
「フライドレイクって、何だ。揚げ物か何かか」
ネロクの呟いた疑問は、広々としたロビーに虚しく反響した。
「ちょっと!」
そんなネロクのもとへ走り寄って来る、一つの人影があった。
鎧に護られた、すらりと伸びやかな四肢。
後ろで一つ結びにした深い茶色の髪に、気むずかしげにしかめられた、整った目鼻立ち。
「ジルか」
「色々とアンタに聞きたいこともあるけど、とりあえず今は逃げなさい。
方角は分かる? ギルドを出て右――東門の方に行くのよ。
西門に近づいたらダメだからね!」
「それよりもフライドレイクについて聞きたいんだが」
「この騒ぎが終わったら、いくらでも説明してあげるわよッ!
いい!? 東門の方に逃げるのよ!?」
それだけ言い残すと、ジルは猛烈な速さでギルドを出てゆく。
後には、静けさだけが残った。
「行くなと言われると、余計に気になるんだよな」
カウンターの上に置かれた、500枚の金貨を含んだ革袋を掴み、ネロクはゆっくりとジルの後を追って、西門の方へと歩き出した。
◆
「……どうなってんだ」
「本物じゃねえか、クソッ……」
「なんで、こんなところにフライ・ドレイクが出るんだよ……!」
イルニア国、王都カルティエの西門に殺到した冒険者たちは、皆絶句して、一点を見上げていた。
そんな中、数人の冒険者が震える声で発したつぶやきが、いやに明瞭に聞こえた。
王都カルティエは草原の中にあり、土の魔法を駆使して建造された、高さ20メートルを超える石造りの外壁に囲まれている。
その外壁のへり、街への出入りのために設けられた西門からやや離れた位置に、前足に翼膜を持った、黒いく巨大なトカゲがへばりついていた。
まるでコウモリとトカゲの間の子のようなその生物の名こそが、フライ・ドレイク。
竜から分化したと考えられている、知性の低い爬虫類型の魔物『ドレイク』のうち、翼を持ち、飛行能力に特化した種である。
外壁に張り付いたフライ・ドレイクが、時折身動ぎするたびに、それを遠くから見上げる冒険者たちの間から、怯えをはらんだ声が小さく上がった。
ドレイク種の魔物は、ほぼ例外なく凶暴な気質を持ち、人を喰う。
そんな性質に加え、強靭な肉体と硬い鱗、そして何より空をとぶ能力を持つことから、フライ・ドレイクは魔物の中でも極めて高い危険性を持つ。
フライ・ドレイク討伐の難易度は、ランクにして、最低でもC以上。
身体の大きい成体ならば難易度はBに引き上げられ、群れやつがいを作っていた場合はさらに難易度Aへと繰り上がる。
そしてBランク以上の冒険者であろうと、入念な準備と、適切なパーティ編成があって、初めて勝負になる相手である。
カルティエの壁に張り付いているフライ・ドレイクは、どう見ても成体の肉付きをしており、身体も大きい。
Dランク層の冒険者が主体であるカルティエのギルドには、街に常駐するBランク以上の冒険者は存在しておらず、一段下のCランクですら数えるほどしか居ない。
つまり、この街でBランク以上の依頼を頼みたい場合は、街の外部から高ランク冒険者がやってくるのを待つか、高い金を払って他所のギルドから呼び寄せるしか無いのだ。
「Bランク以上の冒険者は……!?
この中に、どなたか、いませんか……!」
冒険者の一団に混ざって、西門の様子を見に来たギルド職員、ブノアが、緊迫をにじませる声で呼びかけた。
いつ、外壁から飛び立って街の中に入り込んだり、こちらへ向かってくるとも知れないフライ・ドレイクを刺激しないよう、その声は、押し殺したような音量であった。
しかし彼の声に答える冒険者は居ない。
それはすなわち、フライドレイクに対抗できる戦力が、今この場には存在しない、ということを示していた。
「まずい……まずい、まずい……」
ブノアの額に汗が浮かび、指先が震え、目が泳ぐ。
今のところ、フライ・ドレイクは壁に留まったままじっとしているが、そのまま何処かへ去ってゆく保証など無い。
下手に放置して、フライ・ドレイクが空腹にでもなったその時は、この王都カルティエは、彼奴の餌場に変わるだろう。
放置という選択肢はない。
しかし、手を出せば、この戦力ならば間違いなく大量の死人が出る。
そこには絶望しか無かった。
「……弓士と、魔法使いの方は、居ますか」
低く、感情を押し殺したような声で、ブノアは静かに問いかけた。
「お、俺は弓士だ」
「私も……」
「俺は、攻撃の魔法が使える。
土の魔法がメインだが、火もすこしはいける」
ちらほらと、声が上がる。
彼らの顔には、一様に悲壮な覚悟と諦観があった。
自らの命よりも、街の防衛を選択した者達である。
「……恐らく今頃、王城の騎士団も戦いの準備を整えているでしょうが、向こうは、動くのにかなりの時間がかかるでしょう。
それまで、あのフライ・ドレイクを放置するわけには、いきません」
街の防衛を目的とする、イルニア国王が擁する常備軍。
彼らが参戦すれば、戦局は多少は楽になるだろう。
しかし、元来、戦における集団で向き合っての対人戦に特化している騎士団は、魔物に対する備えが少なく、機動性も劣る。
王の了承を得て、フライ・ドレイクに通用する飛び道具などを準備し、隊を編成して出撃するという一連の作業は、そう素早く行えることではない。
「……フライ・ドレイクが動きを見せようとしたら、即、街から引き離せるように準備しましょう。
少数の弓士と魔法使い、それに護衛として、防具を持つ戦士職からなる組が、フライ・ドレイクに攻撃を当てて挑発。
フライ・ドレイクの注意を惹きつけたら、応戦しながら全力で街から離れます。
街から離れた位置に残りの冒険者を配置しておき、フライ・ドレイクを挑発した組はそこに合流。
その後は、騎士団が来るまで、死なずに持ちこたえることを最優先にして全員で戦います。
これは、冒険者ギルドイルニア王国本部からの、Dランク以上は強制受注の、緊急依頼とします」
それは、死の宣告と同義であった。
◆