10 アドバイス
前話にTUEEE分が殆ど無く物足りない気がしたので、それっぽい話を急ごしらえで書きました。
これ以降は先の展開を考えつつゆっくり書いていくので、今度こそしばらく更新はできません。
冒険者の必需品をひと通り買い揃えたネロクは、ジルと別れるとそのまま王都の通りをブラブラと散策しはじめた。
あてもなく歩き続けるうちに、彼はやがて人気のない裏道へと入り込んでゆく。
小国ながらもそれなりに豊かな生活水準を持つ国、イルニア。
表通りはそんな国の繁栄を誇示するかのように華やかで、石畳の敷き詰められた広い道に、立派な建物や賑やかな屋台が立ち並んでいる。
しかし、脇道に入ってしばらく進めば、その様相は一変する。
背の高い建物によって日は遮られ、一日中薄暗く湿った道。
見渡せば、あちこちにゴミが落ちているのが分かる。
スラムとまでは行かないものの、そこは表通りの繁栄から副次的に生まれた、不浄なものの吹き溜まりとなっていた。
きれいな部分を表通りに、そして汚い部分はその裏道に寄せ集められているのだ。
「……そろそろ、来るかな」
誰にともなくネロクがつぶやいた。
その直後、彼の眼前にある横道から、一人の男がヌッと姿を現した。
「よう、黒髪の」
大柄な体躯と、くすんだ金髪。
傷だらけの革鎧に、腰には幅広の片手剣。
ネロクにとっては、大いに見憶えのある容貌だ。
「あーっと……アンタは、たしか――」
「ディダックだ」
ディダック。
先ほど、ギルドで冒険者登録をした直後のネロクに文句をつけてきた男である。
彼はネロクの進路上に立ちふさがり、嗜虐性のかいま見える気味の悪い笑みを浮かべていた。
「そう。ディダック。そんな名前だったな。
……で、何の用だ」
「おう。なに、ジルに随分と良くしてもらったみたいじゃねえか。
俺達からも、先輩冒険者からのアドバイスってのをくれてやろうと思ってな」
「俺"達"ねえ。……そいつはありがたい」
ディダックの言葉には、あからさまに不穏な響きがあった。
言葉の通りにただのアドバイスを目的としていないのは明白だ。
ネロクはそれにあくまで軽い調子で返しながら、自身の背後へと目をやった。
そこには、退路を塞ぐように、ディダックとはまた異なる冒険者風の風体をした男が二人立っていた。
状況から見て、彼らはディダックと共謀している者だろう。
「あと、よう。
てめえ、ジルとはどういう関係だ?」
「どういう関係も何も、あの場で知り合った、ただの先輩冒険者だ」
「んなわけあるかよ。
アイツがあそこまで他人に入れこんでるのは、今まで見たことがねえ」
それを聞いたネロクは、意外そうな表情を浮かべた。
あの、ツンケンしながらも根は優しいジルという少女は、誰にでもああやって世話を焼く気質だと思っていたのだ。
だがディダックの話によると、ジルの性格は取り付く島もない冷徹そのもので、特別な用がなければ会話すらさせてもらえないという。
整った容姿と、冒険者らしからぬどこか上品な所作も相まって、ジルという存在は、あのギルドにおいてもどこか別格のような扱いを受けているのだ。
そんな彼女が、今までに見たこともないほど饒舌に喋り、あまつさえ初心冒険者に無償で手を貸すというのは、今までのジルを知る者からすれば、まるで考えられない事態だった。
「正直に言えよ。なあ。恋人か何かか?」
「だとしたら、どうするんだ?」
ネロクがおどけた調子で問いかけた。
ディダックは変わらずその顔に笑みを浮かべ、しかし一瞬その目に殺気を宿らせて答えた。
「なおさら、テメエが気に入らねえ」
そしてその言葉を言い終わるやいなや、ディダックは腰の剣を抜き放ち、ネロクへ向けてその刃を振るった。
狙いは、腕。
身体の各部はジルの助言をもとに購入した鎧が覆っていたが、所詮は関節などのごく僅かな局所だけを防御する、いわゆるポイントガードと呼ばれるもので、刃が通る部分を狙うのは容易い。
致命傷になる首や胴体を避けたのは、時間をかけてネロクをいたぶるためだ。
ガインッ、と、金属のぶつかり合う高い音が響いた。
「……ああ?」
肉を断つ手応えを感じなかったディダックが怪訝そうに声を上げる。
見れば、ネロクはいつの間にやら右手に剣を持ち、ディダックの刃がそれ以上進まないよう押さえ込んでいるのが目に入った。
「てめえ……」
剣を、止められた。
黒髪の初心冒険者に。
それを認識した途端、ディダックの顔と声色に怒りが満ちてゆく。
しかし一方で、激しい怒りの中にありながら、彼の精神の一部分は冷たく冴え渡っていた。
ディダックは剣を握る手に力を込めるも、刃はそれ以上進むこと無く、ネロクの持つ剣と自身の剣がこすれ合う音だけが生じる。
この黒髪、見かけによらず力が強い。
その上、斬りつけられてもまるで動揺を見せない。
ただの初心者じゃ、ない。
剣の押し合いを演じながら、ネロクの背後に控える二人の仲間に目配せする。
二人はディダックの意思をくみ、それぞれ剣を抜いて近づいてくる。
もう油断はしない。
3対1だ。
「らぁッ!!」
ディダックは素早く剣を引き、別角度から刃を走らせた。
首を狙った斬り下ろし。
しかしネロクは手首をひねり、難なくそれを止める。
間を置かずに再び斬撃を繰り出す。
止められる。
足を狙って斬る。
かわされる。
正中を狙った突き。
剣で軌道を逸らし、受け流される――。
ディダックの放つ息をつかせぬ連撃に、ネロクは完璧に対応してみせた。
しかし間もなくして、戦局が変わる。
「……っとぉ」
ネロクが気の抜けるような声を上げて体勢を崩した。
彼の背後に、ディダックの仲間の一人が剣を振り下ろした姿勢で居るのが目に入る。
ネロクは、背後からの剣撃を辛うじてかわすも、体勢を崩したのだ。
今だ。
殺す。
ディダック、そしてその二人の仲間は素早くネロクへ向けて飛び出し、三者三様に剣を片手に持って突き出した。
一本の剣では防げない。
いかなる体勢でもかわせない。
終わりだ。
もしも、この一撃で運良く――否、運悪く生き残ったら、どうやってなぶり倒してやろうかと、ディダックが想像をめぐらそうとした瞬間。
一陣の突風が吹いた。
「えっ?」
それは誰の発した言葉だったか定かではない。
見れば、三つの刃に貫かれて剣山のようになっているはずのネロクには傷の一つもない。
不思議に思ってディダックら三人が自身の利き手に目をやれば、そこに剣はなく。
どころか、手首から上が消失しているのに気づく。
その事実に理解が及ぶと同時に、彼らは焼けつくような痛みを感じ、声を上げた。
「あ、ああああっ!?」
「ギャアアアアアアッ!?」
「ひぃっ!? ひいいいいぃッ!!」
言語に絶する痛みが、手首から全身に伝播してゆく。
三人は意味を持たない言葉をわめきながら、のたうち回った。
彼らは、剣を持つ手を斬り飛ばされたのだ。
「たったひとりの初心者相手に、先輩三人がかりで"アドバイス"して、これか。
えーっと……ディダック? だったか。
わざわざ裏道に入ってお前らが襲ってきやすい環境を作ってやったんだ。
もう少し、粘ってもいいんじゃないか?
例えば、ほら。
魔法を使うとか、アイテムを使うとか……何かあるだろう?」
ネロクはそう言いながら、手に持つ剣の腹で自身の肩をトン、トン、と叩いた。
その刃には血の一滴も付いていない。
ディダックらの手を斬り飛ばした一撃が、血糊すら振り切るほどの凄まじい剣速であったことを示していた。
痛みによる耳鳴りの中、ネロクの言葉を聞いたディダックは、激しい怒りで体を震わせる。
視界が白く染まり、手首の痛みがどこか遠いところへ遠ざかっていくような感覚を覚えた。
「があああッ!!」
ディダックは咆哮を上げながら、ネロクへ向かって飛びかかった。
もはや彼に理性はない。
激しい痛みと怒りにより彼の脳はリミッターが外れ、その四肢は一瞬、人間の限界を超えた膂力を発揮した。
しかし、それでもネロクには届かない。
スラックスをまとったネロクの脚がしなるように動くと、ディダックの顔を横合いからしたたかに蹴りつける。
ディダックは吹き飛び、道の端に堆積したゴミの山に突っ込んだ。
そこから起き上がりすぐさま反撃しようとするが、それよりも早く、ネロクの次なる蹴撃がディダックの胸部に見舞われた。
「がっ!? あっ……!!」
強い衝撃が襲う。
突如として呼吸ができなくなり、ディダックが目をむいて呻き声をあげた。
視線を下に向ければ、彼の胸部をネロクが踏みにじっているのが見えた。
地面に仰向けになったディダックを、ネロクが上から足で押さえつけているのだ。
「うーむ。冒険者の強さもこんなものか」
ネロクはつまらなそうに言うと、脚に力をこめてゆく。
ディダックの肋骨が圧迫され、ミシミシと軋むような音を鳴らす。
押しつぶそうとしている。
ネロクの意図を察したディダックは、恐怖で顔を青ざめさせた。
もはや、彼の中にネロクに対する怒りや侮りの感情は無く、そこには小動物のように怯える一人の男がいた。
「ま、ま、待て。待って……!」
ジタバタともがきながら、ディダックは震える声で言った。
「んんー?」
ネロクは顔色も変えず、ディダックの言葉に曖昧な声を返す。
その間にもディダックを潰そうとする力は徐々に増してゆく。
「悪かったっ! おっ、俺達が悪かったっ!!
謝るっ……!! な、何でもするっ……!!」
「ふーん……」
ディダックを圧迫する力が、ふっと弱まる。
涙目になったディダックが首を持ち上げて上を見上げると、彼を射抜くように見下ろしている、ネロクの黒い瞳が目に入った。
「なら、誓いを立ててもらおう。
……そこの二人もだ」
ネロクの声を受けて、血の滴る手首を押さえながら退散しようとしていた二人の男――ディダックの仲間たちが、ビクッと身をこわばらせた。
「一つ、今後一切、俺に危害は加えないこと。
二つ、今後、俺の指示があれば、それに無条件で従うこと。
三つ目は、これからする質問に正直に答えることだ」
「わ、分かったっ! 従う! 従うから……!」
必至の形相を浮かべたディダックが、早口で言う。
ネロクは何を思っているか判然としない不気味な顔で、目を細め、それからゆっくりとディダックを押さえつけていた脚をどかし、口を開いた。
「一つ目の質問。
お前たちの冒険者ランクは?」
ゆっくりと、言い聞かせるような問いかけだった。
開放されたディダックは、咳まじりの荒い息をつき、体勢を整えながら、それに答えた。
「ゲホッ……。D、だ。
俺たち三人とも……」
「そうか。では二つ目の質問。
お前たちはこの国の兵士と一対一で戦って、勝てるか?」
不可解な質問に、ディダックは一瞬、答えに窮した。
しかしすぐさま記憶を頼りに、兵士と自身を頭の中で戦わせ、その結果を告げた。
「一般兵には多分……勝てる。
だが、中にはとんでもなく強い騎士も居る。
そいつを相手にするには、道具を使うなり、数人で掛かるなりしなきゃあ、無理だ」
「そのとんでもなく強い騎士というのは、冒険者ランクにしてどれくらいだ?」
「騎士は魔物を相手にしないから、ハッキリとは言えねえが……。
Cの、上位……いや、Bくらいまでは行くかもしれねえ」
「AランクやSランクの冒険者に匹敵する奴はいないのか?」
「イルニアにそこまで強い奴は居ねえさ……。
帝国や連合王国あたりには、AランクやSランク級の奴らがゴロゴロ居るって話だがな」
「ほう……」
帝国、そして連合王国。
共に、この大陸において指折りの大国である。
その国力はイルニアなどとは比較にもならない。
「なるほど。よく分かった。
では、次の質問――ッ!?」
言葉を続けようとしたネロクが、突如として弾かれたように仰け反った。
しばしネロクはその姿勢で停止した後、ゆっくりとその体を仰向けに傾けてゆき、そのままドサ、と音を立てて地面に倒れ込む。
「……はっ、ははっ……! ハハハハッ!!
ギャハハハハハッ!!」
突然ネロクが倒れたことで生じた静寂を、ディダックの上げた笑い声が切り裂く。
「油断したな、間抜け!!」
そう言って、ディダックはゆっくりと立ち上がった。
剣を握る手を切り飛ばされ、惨めに命乞いをした彼であったが、その殺意は彼の奥底で未だに衰えを見せていなかった。
ネロクが油断するのを見計らい、彼は剣を握っていなかったために斬り飛ばされず無事であった左手で、腰に帯びていた小さなナイフを抜き、ネロクの顔へと投げ放ったのだ。
化け物じみた強さを見せたネロクであったが、顔にナイフの直撃を受けて無事では済むまい。
勝った。
殺したのだ。
その事実を理解した途端、ディダックに続き、彼の仲間二人も顔に喜色を浮かべはじめる。
「ハハハハハハッ!!
……へっ。黒髪のくせに、手こずらせやがって。
何が、"誓いを立ててもらおう"だ。甘ちゃんが」
ブツブツと悪態を吐きながら、ディダックは地面に横たわるネロクへとゆっくり歩み寄ってゆく。
彼の狙いは、ネロクの死体をいたぶるのに加え、もう一つあった。
ネロクの持つ剣である。
一瞬でディダックたち三人の手を切り飛ばした、あの攻撃。
いくら力が強くとも、あれを単純な剣の腕で成しえるはずがない。
何か、カラクリがあるはずだ。
そこでディダックが目をつけたのが、剣だ。
ドワーフの名工が鍛えた剣は、鎧ごと人体を断ち切るほどのすさまじい切れ味を有すると聞いたことがある。
ネロクの剣は、そういった名剣の類いに違いない。
そういえば、ネロクと剣を交えた時、やたらと力が強く、また剣を振る速度が速かった。
もしかすると、あの剣は刃に高度な魔法――身体強化の術などを仕込んだ魔剣かもしれない。
であれば、さらにその価値は跳ね上がる。
見立てでは、死ぬまで豪遊してもなお使い切れない金額になるはずだ。
散々馬鹿にしてくれた礼だ。
剣も、鎧も、持ち物は一つ残らずいただいてやろう。
斬られた手も、断面は綺麗なものなので、金を積んで腕の良い治療術師に頼めば元通りに繋がる可能性が十分にある。
手を斬り飛ばされる痛みと屈辱に見合った儲けだ。
そう考えたディダックは、高揚で思わず口の端を吊り上げた。
「誓いを、破ったな」
ディダックの耳が、くぐもった声を聞き取った。
誰だ。
誓いとは、何だ。
ディダックがその疑問に思考をめぐらそうとするよりも先に、彼はその答えを知ることとなる。
「今後一切、俺に危害は加えないこと。
今のは明らかに、俺への攻撃だったな」
ディダックの眼下。
地面に倒れ伏していたものが、静かに起き上がってくる。
黒いシャツ、黒い髪。
その姿は、伸び上がる影のような不気味さをもっている。
「誓いを破ったからは、罰を受けてもらう」
そう言って、立ち上がった黒衣の少年ネロクは、ディダックへとその黒い瞳を向けた。
彼の口元には、銀色に輝くものがくわえられている。
ナイフ。
ディダックがネロクへ向けて投げたナイフだ。
それを、彼は。
「う……うそ、だ……。
馬鹿な……! ありえない!! ありえねええええッ!!」
常軌を逸したその事実に我を忘れて、ディダックは喚き散らした。
「歯でッ……!?
歯で、あのナイフを止めたって言うのかよ!!」
「面白い一発芸だろう?」
ナイフの刃をくわえている故のくぐもった発音でそう言って、ネロクは口の端をわずかに持ち上げて笑ってみせた。
「……まあ、この程度、戦闘局に所属する兵なら誰でも出来るだろうがな。
当てるなら、せめて亜音速でナイフを飛ばせるくらいでないと……」
口にくわえていたナイフを手にとり、それを片手で弄びながら、ネロクは小さく呟いた。
しかしディダックの耳にその言葉は入らない。
彼は驚愕と絶望で、何も言えずにただ呆然と立ち尽くしていた。
「う……うわああああああっ!!」
ネロクの背後に立って震えていた、ディダックの仲間のうちの一人が、絶叫を上げる。
彼はそのままネロクの方へ走り出すと、すれ違いざまにネロクが腰に帯びていた剣を抜き取っていった。
ネロク当人はというと、それに何の抵抗も見せず、どこか退屈そうにその様子を見ているのみであった。
「へ……へへへっ!!
テメエの負けだっ!!」
ネロクから剣を奪い取った男が、得意気に言った。
「……何で負けなんだ?」
首を傾げるネロクに対し、男は斬られていない無事な方の手で剣を構え、その切っ先をネロクに向け、つばを飛ばしてまくしたてる。
「て、テメエの強さの秘密はっ、コイツなんだろっ!!
黒髪野郎のくせに、魔剣なんて卑怯なもん使いやがってっ!!」
「魔剣?
……あっ。そういうことか」
得心がいった様子で、ネロクはポン、と手を打った。
そして。
「残念ながら、それはさっき武器屋で買った、ただの鉄の剣だ」
そう言って、一瞬で男のもとまで距離を詰め、ナイフを持った右手を振り払うように動かした。
ややあって、カラン、と乾いた音が鳴る。
下に目をやれば、先程まで男が持っていたネロクの剣が、地面に転がっている。
その柄には、手首から上だけになった男の手がくっついていた。
「ぎぃぃぃああああっ!?
な、なああっ!? なんでええええっ!?」
「強いのは剣じゃなくて、俺だったってことだな」
そう言うネロクは、ナイフを振りぬいた姿勢をとっていた。
剣を奪った男の、失われていないもう一方の手を、一瞬で切断したのだ。
ネロクが持っていた剣ではなく、ディダックが投げた、ただのナイフで。
そこに至ってディダックたち三人は、自身が喧嘩を売った相手が、人智を超えた何かであることに気づく。
人ならざるもの。
化け物。
生ける伝説と伝え聞く、ここイルニアから遠く離れた帝国や連合王国に住まう、Sランク冒険者や大魔法使いに匹敵する存在。
「あ、ああ……ゆ、ゆる、ゆる、して……」
イルニアという狭い世界で暮らす、平凡なDランク冒険者などには想像すら及びつかない、気の遠くなるような高い次元に存在する絶対強者。
その深遠なる力の一端を目にした三人は、幼子のように震え、涙を流し、中には失禁しているものも居た。
「お前たちが心から俺に従っていたら、口頭での質問に留めるつもりだったんだが……。
やっぱ賢狼族みたいに、身をもって教えないと無理か……はあ。
上手く行かないな。
ゲームみたいに、忠誠度や好感度の計算式でもあれば良いんだが」
ネロクのつぶやきは、誰に聞かせるでもない独り言のようだった。
もはやディダックたちの嘆願は耳に入っていない。
「ま、運が悪かったと思って諦めろ。
大丈夫だ、殺しはしない。……多分な」
そう言ってネロクは、地面に座り込んで未だに謝罪の言葉をわめき続ける三人の近くへ向けて、魔法を発動させた。
「『ゲート』」
三人の背後に、扉の形の魔法陣が浮かび上がり、ゆっくりと開いてゆく。
「……マリア、聞こえるか。人間を三人、頼みたい。
この世界に関する情報を、搾り取れるだけ搾り取れ。
作業は参謀隊と連携し、賢狼族やドラゴンから得た情報と照らし合わせながら行うこと。
必要があれば殺したり、精神を壊しても構わんが、ちゃんと復元しろよ。
情報を得た後は、レウコン・イーリスへの忠誠とかを適当に教えこんどけ」
「喜んでー♪」
『ゲート』によって生じた扉に向かってネロクが語りかけると、それに、扉の奥から響くたおやかな女性の声が答えた。
直後、扉から無数の白いものが飛び出してくる。
それは腕の形をしていた。
大小様々な骨が無秩序に、でたらめに組み合わさって出来上がった、出来損ないの骨格標本のような長い腕が、扉の奥から何十本と伸びている。
それはガチャガチャ、ギイギイと不快な音を立てながら、ディダックたち三人を包み込むように動いてゆく。
「ひぃぃっ!? な、なんだ、これっ!?」
「うわあああああっ!! 嫌だあああああっ!!」
「助けてっ! たすけてくださいっ!! たひゅけてえええっ!!」
骨の腕が、三人の腕を、脚を、首を、服を掴む。
そして、そのまま一瞬で扉の奥に引きずり込んでいった。
三人の叫び声の残響を残し、『ゲート』は無慈悲にも固く閉ざされた。
◆
「……うぅ……」
暗闇の中で、小さな呻き声を上げながら、ディダックは意識を覚醒させた。
「……ここは」
数度、パチパチとまばたきを繰り返す。
どうやら自分は、仰向けに横たわるような姿勢でいるらしいと、ディダックは自覚した。
身体を起こそうとするも、どういうわけか、うまく動けない。
首も同様に曲がらないとみて、ディダックは視線をキョロキョロと彷徨わせ、あたりを観察した。
薄暗い。
周囲は、石造りの壁や天井で覆われ、まるで迫ってくるかのような威圧を放っている。
見たところ室内のようだが、装飾や家具のたぐいはまるで見受けられないところからして、人が住む空間ではない。
牢か、何かだろうか。
そこまで考えたところで、ディダックはふと、自身がなぜこんな場所に居るのかという疑問を抱く。
どこかぼんやりと靄がかかったように曖昧な頭を働かせ、記憶をたどってゆく。
彼の脳裏に、自身の片手を切り飛ばし、ナイフの投擲を歯で受け止めた黒づくめの化け物、ネロクと名乗る少年の姿が、鮮やかに想起された。
「あ、お、俺は……」
喧嘩を売ったのだ。
あの、化け物相手に。
そして、ディダックは愚かにも、彼の許しを反故にした。
誓いを破り、ナイフを投げつけたのだ。
そんな小賢しい攻撃がネロクに通じることはなく、そして――。
「あら、おはよう」
ディダックの思索を、美しい女声が遮った。
彼は反射的に体を動かそうとするが、やはり動けず、怯えたように眼球のみをせわしなく動かした。
「あ。ごめんなさいね?
ちょっと、動けないように拘束させてもらったの。
窮屈だと思うけど、我慢してちょうだいね?」
拘束。
何の話だ。
ディダックは、僅かに角度を変えられる程度に動く頭部と眼球を総動員して、自身の身体を見回した。
胸より下はよく見えなかったが、腕や体にいくつもの鉄の輪がはめられており、それがディダックをベッドか何かの上に固定しているのが分かった。
体や頭が動かせないのは、これのせいだろう。
「あ、アンタは……?
俺は、なんでここに……」
「ふふっ……。混乱してるのね。無理もないわ」
視界の端、部屋の暗がりの奥から、人の姿をした影が現れる。
それはゆっくりとディダックのもとへ歩み寄り、そして彼の顔のすぐ側で立ち止まった。
その姿を目でとらえたディダックは、思わず息を呑んだ。
「審問部部長、マリア・キアーラよ。
気軽に"先生"って呼んでちょうだいね。
短い付き合いだけど、よろしくね。ディダックくん?」
マリア・キアーラと名乗るその女性は、ディダックが生まれてこの方目にしたことのない、さながら宗教画の女神が顕現したかのような美女であった。
くすみ一つ無い白い肌に、みずみずしい桜色の唇。
金色の絹糸のように細くつややかな髪の束が、一片の乱れもなくゆるやかにウェーブを描いて流れ、やがて美しく絡み合って三つ編みを形作っている。
そして髪と同色の、黄金に輝く長いまつげに縁取られた青く澄んだ瞳が、ディダックを優しく見つめていた。
ディダックが密かに狙いをつけていた、イルニア冒険者ギルド屈指の美少女と謳われる、ジル。
そのジルの容貌ですら、彼女の美貌の前には、塵芥のように霞んでしまう。
マリアと名乗るその女性は、美しい身体を修道女が着るような修道服に包んでいた。
その姿は神々しい容貌と相まって、触れることすらあたわないと思わしめるほどの、神聖で澄んだ雰囲気をまとっている。
しかし、そんな完璧と形容するにふさわしい美貌の中には、いくつかの違和感が存在していた。
まず、彼女の美しい面貌は、その右半分が黒い革のような材質の、巨大な眼帯で覆い隠されていた。
そして顔から下に視線を移せば、修道服から覗く彼女の右腕には隙間なく黒いベルトが巻き付いており、手には手袋をはめ、指先に至るまで一切の肌を見せていないのが分かる。
彼女は右半身のみを執拗なまでに覆い隠し、肌を露出させていないのだ。
もっとも、マリアの姿を目にしたディダックは、そのあまりの美貌に圧倒されるあまり、彼女の右半身にさしたる疑問を抱くことはなかったが。
思わず言葉を失い、口を開けて呆然とするディダックに構う様子も見せず、マリアは幼い子供に寝物語を語り聞かせる母親のような優しい声色で、しかしどこか淡々と言葉を続けた。
「さてっ♪
まずディダックくんは、何でここに連れて来られたのか、分かるかしら?」
「な……何で、って……」
「答えはね、お勉強のためよ」
マリアはそう言ってしゃがみこむと、ディダックを寝かせている台の横から飛び出たレバーを掴んだ。
カチカチカチ……と、小刻みな金属音が石造りの部屋に響き、同時にディダックは、身体が傾いてゆくのを感じる。
見ればマリアが、レバーを繰り返し押し引きしている。
そして彼女の持つレバーが引かれるたびに、ディダックが寝かされている台が徐々に垂直に立ち上がってゆくのが分かった。
どうやら、レバー操作によって台の角度を変えることができる機能を有しているらしい。
頭が持ち上がってゆくにつれて、今まで天井しか映さなかったディダックの視界は、部屋の様相をとらえはじめる。
暗がりで、部屋の奥はよく見えない。
想像以上に広い部屋であった。
周囲には、何やらよく分からない器具や機械がゴチャゴチャとくっついた寝台のようなものが置いてある。
自分が寝かされているコレと同じものかと、ディダックは未だにどこかぼんやりと不明瞭な頭で考えた。
やがて、ほとんど立っているに等しい角度まで台が持ち上がったところで、マリアはレバーを操作する手を止め、ディダックの正面へと立った。
マリアの美貌が、改めてディダックの視界に入る。
寝かされた状態で、眼球のみを動かして見上げた時よりも、彼女の容貌の素晴らしさをよりつぶさに感じ取ることができた。
修道服を押し上げるようにしてその存在を主張する、はりのある豊かな胸。
引き締まった細い腰。
身長は女にしては長身な方だが、男の中でも巨大な体躯を持つディダックからすれば、十分に小さく、かよわい存在に思えた。
この女の身体を。
胸を、唇を、好きにできたら。
ディダックの中でムラムラと劣情が沸き起こり、彼の頭のなかを満たしてゆく。
情欲にまみれたディダックの視線を知ってか知らずか、マリアは変わらない調子で話を再開した。
「先生としては、まずは情報を聞き出すべきなんだけど、それは"さっきの二人"でほとんど終わっちゃったの。
『リード・マインド』で軽く調べてみたけど、ディダックくんの知識も、あの二人と大差無いみたいだしね。
だから、尋問は飛ばして、いきなり調教から入らせてもらうわね」
マリアの肉体に心を奪われていたディダックは、彼女が発した言葉の意味を理解するに及ばなかった。
「よい、しょ」
マリアはどこからか――恐らく、ディダックの死角となっている寝台の裏側から、キャスターの付いた巨大な箱を引っ張り出してくる。
箱は人の胸辺りまでの高さを持ち、鉄のような鈍くくすんだ銀色の輝きを放っている。
そしてその側面には、両開きの扉や小さな引き出しがいくつも備え付いている。
「……ふふっ。
久々のお仕事だから、先生、楽しいわぁ♪
普段はフェデリカちゃんを拷問させてもらってるんだけど、あの子、何しても喜ぶから、ちょっとマンネリになっちゃうの」
マリアはそう言いながら、箱の側面の収納を開き、様々な器具を取り出すと、それを手際よく箱の上面に並べて置いてゆく。
小さな茶色い瓶に入った、謎の液体。
太さや形状の様々な針が先端についた棒。
重厚なハンマーやペンチ。
異様に幅広い刃を持ったハサミ。
糸ノコギリ――。
その道具の異様さを見て、情欲に浮かされていたディダックの頭は、徐々に冷えてゆく。
「な、なあ。アンタ、何を――ガッ!?」
ディダックの口に、突然、冷たい何かがねじ込まれる。
「がっ……あがっ……!?」
「うんっ、ちゃんとフィットしてるようね」
開口具。
口を開けたまま閉じられなくするための金属製の器具が、ディダックの顎を開いた状態で固定していた。
マズい。
何かを、される。
身の危険を察したディダックは、拘束から逃れるべく、身体をメチャクチャに動かして暴れ始める。
ガシャガシャと音を立て、ディダックが固定されている台が揺れる。
しかし、拘束が外れる気配はまるでない。
「もう。動いちゃダメよ、ディダックくん」
マリアが子どもを窘めるように優しく言う。
直後、ディダックは全身を何かに強く押さえつけられた。
「先生の言うことは、ちゃんと聞くのよ?」
「ぐっ……!」
抵抗しようとするも、身じろぎの一つもできない。
何が起こったかと、ディダックは視線を動かし、自身を押さえつけているモノを見ようとした。
そこには、白い、骨の腕が。
様々な骨をでたらめに組み合わせて作ったような、無数のいびつな腕があった。
「あ、あ、ああ」
それを見た瞬間、ディダックの脳裏で、彼が意識を失う直前の記憶が再生された。
無数の骨の腕によってディダックたち三人がどこかへ引きずり込まれる、おぞましい記憶が。
「あああああ、ああああっ……!」
ディダックの目から、絶望の涙が流れ出る。
彼は、理解したのだ。
自らに救いがないことを。
そして、眼前の美女は、女神などではなく、死神であることを。
「さっ、お勉強の始まりよ、ディダックくん。
ネグロ様に真の忠誠心を抱けるよう、頑張りましょうね。
まずは、レウコン・イーリスの概要を教えるついでに、歯を全部抜いてみましょうか♪」
右肩から生やした無数の骨の腕でデイダックを押さえつけながら、マリアは聖女のような微笑みを浮かべた。
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