第七話 並行世界
被害妄想にも似た、ネガティブな思考に街中の人々がとらわれはじめたその時。
突然、快活な声が街中に響き渡った。
「ですが! その天災めいた異変も、バークウェアにとって、悪いことだけをもたらしたわけではありませんでした! なぜなら、移人たちがもたらした技術や製品により、この世界は何百年分もの革新的な成長を、手にすることができたからでーす!」
それまでの重い空気を吹き飛ばすように、満面の笑みを浮かべ、にこやかに断言するエイーシャの陽気な姿。
その神霊の様子に、どことなくホッとした溜め息があちらこちらから漏れてくる。
「科学という知識、先進のシステム、精密な工業製品、エトセトラ、エトセトラ。ありとあらゆる革命的な異世界からの恩恵は、このバークウェアを大いに沸かせました! ありがとう異世界の人! 新生活がこんなに面白く、便利になるなんて♪ 本当にありがとう!」
わざとらしいほどのオーバーな演技。
その様子に綜や亜理紗が不信感を抱き始めた時。
エイーシャの態度がガラリと変わった。
「そんな感じで、当時の人々は手のひらを返したように歓声を上げました、そう――多少の被害には……目をつぶってでも……ね」
はしゃいだ様子から一転、スイッチが切り替わるように声のトーンを落とすエイーシャ。
その異様に、再び不安に駆られはじめる人々。
だが、神霊はそんなことはおかまいなしに、マイペースに語り続けていく。
「新しい技術の導入で復興が進む街と、便利な生活に歓喜の声を上げる住人、そして新生活に慣れ始めた移人たち、そんな世界にあの転移からきっかり一年後の日……黙祷を捧げる人々をあざ笑うように、まるで当時を再現するかのように、【街】は再び現れました。」
「なっ!?」
「……やっぱり」
エイーシャの語る事実にどよめく人々。
それにつられる様に驚きの声を上げる綜と、予想していた通りの結果に苦虫をかみつぶした顔をする亜理紗。
「そう、一年をかけて再建された新しい街を塗りつぶすように、再び同じ時間、同じ場所の【ココ】に、《二番目の志麻霧市》が出現したのです」
「っ!? そんな! う、ウソでしょ……な、なんなのよぉ、それは!」
「どういう意味だよ、そりゃ? 意味わかんねえ!」
(くっ、う! また頭痛が……!)
衝撃の事実に校庭でざわつく生徒たちの喧騒も、隣で身じろぎする亜理紗の戸惑いも、今はすでに気にも留められないほどの混乱と頭痛の中で、綜の動悸がどんどん激しくなる。
そしてざわめく街の騒ぎもどこ吹く風、依然エイーシャの語りは続いていた。
「さて……皆さんは並行世界と言う言葉を聞いたことがありませんか? そう、映画や漫画なんかでよくありますよね? 分岐によって枝分かれした世界。それは多重次元に無数にある可能性のお話です」
そう語るとエイーシャは、自分の両隣の空間に、二つのひと際大きく鮮明に映るスクリーンを展開した。
「つまりは、こういうことなのですよ」
エイーシャが軽く指示棒を振ると、【二つの画面に、同一人物の映像】が流れた。
「あれは……同じ人?」
「でも、服が違うわ……それになんだか雰囲気も」
真桜の感想に重ねるように亜理紗の呟きが漏れる。
その二つの映像の人物は、小太りの、およそ五十代の男性だった。
右側の年配の男はエイーシャと同じように、着物を洋風にアレンジしたような、おそらくこの世界の格好で見たことも無い異郷の地に佇む姿で映し出されており。
左側のこれも同じ年配の人物は、白衣姿で志麻霧市でも有名な研究所の敷地に、数名の同じ白衣を着た集団と共に空を見上げている姿が映し出されていた。
『おっ、俺だ? 俺が映ってる!』
不意に街に響く、年配の男の声。
それは、左側のスクリーンの白衣の男性の口から聞こえたものだった。
「そうですよ丸島貴之。サイエンス=アドバンス研究所の主任研究員であるあなたは、私たちの世界に革新をもたらした技術者の一人なのです。おめでとう! 偉業を成し遂げた、異界からの旅人よ!」
『えっ……あ、はい。って? これって俺の声!? き、聞こえてるのかコレ? み、みんな!?』
丸島と呼ばれた男が、周りの人間をキョロキョロと見渡し、驚き慌てふためいている様子が流されている。
おまけに、画面の左端にはご丁寧に《LIVE》と表示されていた。
「おそらく……左のモニターが、現在の丸島というあの人のリアルタイムな中継映像で、右側に映し出されたのが、初めにこの世界に現れた、もう一人の【過去の丸島】ということなのね」
誰に聞かせるまでも無く漏らした亜理紗の推論に、異を唱える者は、周りにだれ一人として居なかった。
「二つの同じ街と、同じ住人。この丸島のように、同一人物が複数存在するということに、当人たちはもちろん。世界は、人々は、驚き戸惑いました。果たしてどのように接すれば良いのだろうか……と」
ゴクリ、と。誰かが喉を鳴らす音が、やけに強く響きながら綜の耳に入った。
――自分と同じ人間が、同時に存在する。
それは勉強や仕事に追われてる時、自分のコピーが居れば良いな、と。
誰もが一度は考えそうな空想の類であって、あくまで都合の良い妄想の話だ。
だが【ソレ】が本当に現実に存在し、自分と同じ思考をする本物の存在だとしたら……
「はじめは、全ての移人を元の人間と同等の扱いをすべきであろう、という主張が半数以上を占めました。当時の世論は移人の方々に技術者として期待していた部分もあったので、人権擁護という建前もあり、人道的国家としての体面もそれで保つはずでしたから」
いつしか平坦な口調になり、ただ淡々と言葉を連ねていくエイーシャ。
人々は判決を待つ被疑者のごとく、緊張した面持ちで、ただ今だけは、神霊の下す宣託をその耳で聞き続けることしかできなかった。
「ですが、同じ人物とは言ってもすでに差異は現れていたのです。それは、このバークウェアで過ごした一年という月日の差でした。さて丸島貴之、技術者としての貴方に聞きますよ。果たして一年と言う日々の重さを貴方自身、どう感じているのでしょう?」
『えあっ? あっ……は、はい! 確かに一年もあれば、私の研究も飛躍的、に……』
エイーシャの問いかけが何を意味するのか、研究者としての丸島の脳裏に閃くものがあった。
一年の年月を経てば確実に変わるものがある、それは――
『うあぁ……ま、まさか!』
「く、あのオッサン。あのままじゃ……」
綜を苦しめていた頭痛が、不意に頭の奥底に引き込むように、すうっと潮のように引いて行った。
だが、そのかわりと言うように、新たな異状が現在――綜の身を襲っていた。
(《これ》、は……赤い霧のせいか? それとも俺の眼の異常なのか? でなければ、映像がおかしいってことだろうけど……周りで【それ】を指摘する声は上がらない、それじゃあやっぱり俺の方がおかしいってことなんだろうけど)
「なんで……あの丸島ってオッサンは――【赤く】染まって見えるんだ?」
綜の眼には、左のモニターでライブ中の丸島貴之の姿だけが。
まるで赤いポインターで照射されているように。
――赤色の光で縁どられている姿――が、見えていた。
色覚の異常かとも考えたが、映像内の他の人間や、周囲の亜理紗や真桜らを見ても赤く塗りつぶされたような異常は見受けられない。
ただ綜の目には、丸山一人だけが周囲から切りぬかれたように浮いて見えており。
それはまるで子供が無作法に、|写真(世界)から気に入らない部分を無慈悲に切り離したように見え、綜にはひどく不快に感じられた。
綜が自身の異常に戸惑っている間も、エイーシャは遥かな高みから、身体の震えを抑えつつ怯えた様子を見せる中年の男を、悲しげな表情で見詰めていた。
「この世界で造られた新しい工房の技術主任として、すでにこの世界で活躍していた【一番目の丸島貴之】、そして……その一年後に現れた【二番目の丸島貴之】。この二人の同一人物の間には悲しいかな、とうに埋められない【技術の差】があったのですよ。たとえそれが、元が同じ能力を持つ人間同士だったとしても」
『う、うあぁ嘘だ!? ……そっ、そんな! そんなぁぁ、それじゃ俺は!!』
語られる事実によろめき、押しつぶされたように呻く、画面の中の白衣の丸山。
「経験の差から二番目の丸山は、結局最初の丸山の部下となりました。次第に二人の丸山の格差も表面化していきます。それは他の移人にも同じこと。どうして同じ人物なのに能力が違う? アイツとは賃金も仕事内容も違う、なぜできない!? 足を引っ張るな! お前の顔を見るだけでむかつく!! そもそも二人もいらないんだよっ!! ……なーんて感じでしょうか」
再現したつもりなのだろうか、大仰なセリフを身振り手振りで表現するエイーシャ。
両腕を大きく広げ、、神霊は声を天に響き渡らせた。
その威容に人々はただ気圧され、大人も子供も老人も、もはや誰もが身震いしたまま一言も発することはできなかった。
「そのように、たとえ同じ移人同士でありながらも、衝突は絶えなかったそうです」
顔を上げ、空を仰いでいた女神が優しく語りかけながら、再び眼下の人々へと視線を向ける。
――その顔には女神の笑み。
口元を浅く吊り上げたアルカイックスマイルが浮いていた。
「そして……誰しもが不満を抱えたまま、一年が過ぎました」
静かに語りかけるエイーシャ。
だがその優しげな口調が、綜にはひどくうすら寒く聞こえた。
「三回目。今から五十四年前に、三度。七万七千とんで二十九人の人口を抱える、志麻霧市が……ココに転移してきました」
「なんてこと……それじゃあ、まさか」
亜理紗の脳内で、疑惑が確信に変わった。
五十六回にも及ぶ街ぐるみの転移現象。
その事実から、およそ自分たちが【この世界】に居ることは。
どう考えても、この世界にとっては厄介ごとにしかならないはず、ということに。