第二十話 運転免許
朝日が真珠のようなきらめきを放ち、空を薄く紫色に染めあげた明け方の時刻。
綜たち四人は、山荘の右手にあるガレージへと集まっていた。
街の高台に位置する山荘のガレージには、赤い霧のベールが掛かっている今も、綜たちに朝一番の新鮮な空気を運んでくれた。
早朝の冷えた新鮮な冷気が、埃の舞っていたガレージ内の空気を入れ替え、開け放たれた扉から差し込まれた日の光が、その中心で磨き上げられた車体を照らし出している。
「こりゃまた、ずいぶんと手入れが行き届いてるんだな」
「ピカピカだね、兄さん」
柳ヶ瀬兄妹が思わず感嘆の声を漏らす。
二人の目の前のガレージには、威風堂々と鎮座していた車があった。
それは、全長およそ五メートルほどの威容を誇る、大型の四輪駆動車。
ランドローバー・レンジローバーと呼ばれるアクティビティ用の多目的車だった。
「こいつはスゴイな由宇、こんなデカイ車が街を走ってる姿なんて、めったに見ないぞ」
「そりゃあ、公道を走るには多少不釣り合いな大きさの車だからね。普段から乗ることはそんなに無かったけど、手入れはバッチリ欠かしてないよ」
その外見は濃紺なバルティック・ブルーのカラーリングを施してあり、V8・五リットルの排気量エンジンは、悪路走行を想定した走りのSUV車だが、しなやかでフラット感のある上下動を抑えた走りは、オンロードでの走行も申し分ない作りになっている。
「さってと……それで、誰が運転するの? もちろんアタシはできないんだぞ」
「…………えっと、兄さんは?」
「いやいや! 俺はまだ免許取れないし! でも、それじゃ……まさか?」
ヴィーの何気ない問いかけから、誰がこの車を運転するのかという、探り合いの視線がそれぞれに交差する。
そうこうするうちに、綜の視線を受けて、ようやくと由宇が笑みを浮かべた。
「ふふん、まかせてよ。ボクがちゃんと運転できるからね~」
どこか得意げに表情を緩ませ、余裕を滲ませる動作で由宇が挙手をする。
「海外で国際免許取得? あれ、でも日本在住なら……」
「はは、いやだなぁ真桜ちゃん。ボクはまだ未成年の少女なんだよ」
オーノー、と洋画の俳優がするようなオーバーリアクションを取る由宇。
「つまりは無免許運転か」
「緊急事態だからね、ここで責められてもボクは止めるつもりは無いよ。わざわざ不利な条件を呑むほどバカじゃないし」
「綜、由宇の言うとおり。使えるものは使った方がいいぞ、そもそも地球のルールなんて、【この世界】では適応外なんだぞ」
「……はぁ、分かったよ。さすがにこの状況で文句言うほど俺も潔癖症じゃないしな」
どこか呆れたように溢しつつも、ヴィーの擁護もあり、一同は由宇の運転で街を脱出することを決めた。
「にしても、車の運転もできたのか……由宇、まったくお前には負けるよ」
「なに言ってるんだい、車の運転くらいなら、綜だって教えてもらえればすぐにできるようになるよ、今のボクみたいにね」
どことなく少年っぽい、邪気のない笑みをのん気に振りまく由宇の姿に、綜と真桜は思わずため息を零す。
そんな少年少女たちを、どこか優しげな瞳で、ヴィーは静かに見つめていた。
三人の服装は、それまでの学生服から、山荘に置かれていた、カジュアルで動きやすい私服へと着替えてある。
黒のTシャツに、襟の高いマウンテンパーカーとカーゴパンツの綜。
可愛らしいマスコットのプリントが入ったシャツと、パーカーにショートパンツ装備の真桜。
白地のTシャツに、ジャケットを引っ掛けたGパン姿で、ボーイッシュ系がより強調された由宇。
三人が三人とも無造作に着こなしているが、それぞれが持つ素材の良さが光り、ファッション雑誌の一面を飾っても遜色のない姿を魅せていた。
(うん、普通に街を歩いてるだけでもカッコいい、目を惹く面子だと思うんだぞ)
生まれたばかりのヴィーにとって、平和な街の様子などデータ上での情報に過ぎず、そこに実感を持つことはできない。
しかし、この服装の彼らが平和な街を歩く。
ただそれだけの日常の風景を見れないことが、今のヴィーにはひどく残念なことのように思えて仕方が無かった。
(せめて、今はアタシがフォローしてやらないと――っ?)
その時、ヴィーの思考に割り込むように、不意に――【新規のデータ】が送られてきた。
「うあ、たっ!? ……な、なに、これ!」
「っ! ヴィーっ! どうした!?」
脳内に瞬間的に大量のデータを送信されたことで、まるでノイズが走ったテレビの様に思考が乱れ、取り乱すヴィー。
そんな彼女に気付き、われ知らず声を上げる綜。
「う、あ……だ、大丈夫だぞ綜。これは……え? ――これは! アタシのデータバンクに掛けられてたロックが――解除されてる? 一体どういうことなんだぞ!?」
「ヴィー! おい、ちょっと待て、落ち着けって!」
「あ! う、うん、ゴメン……つい驚いちゃって」
「……アンロックってことは、もしかして何か、追加情報でもあったのかい?」
未だ落ち着かない様子のヴィーと、それを気遣う綜。
その傍であたふたしてる真桜を横目に、比較的冷静な由宇が場をまとめようと、落ち着いた声音でヴィーに声を掛けた。
「……うん、アタシも今知ったばかりなんだけど。……って、これは――!」
ヴィーが新たな情報について、語りはじめようと口を開いた、その時――
辺り一帯に響き渡るほどの痛烈な爆発音と、建物を震わす轟音の連続に、街が襲われた。
「きゃあぁ!」
「くっ、なんだっ!?」
「っ!!」
小屋を揺らし、地鳴りの振動をその身に感じ、一同はあわててガレージから飛び出すと、山荘裏手の小高い丘から街を見渡す。
「あれは……まさか!?」
高地からの見晴らしの良い眺望。
その眼下で相変わらず赤い霧が辺り一帯に漂っているのが見える。
だが今はそれに加え、山荘がある丘陵からおよそ数百メートルのところでは、淡い赤い霧のベールを突き破るほどの、色濃い現象――巨大な黒煙が立ち上っているのが、見て取れた。
「火事、ううん……街が、破壊されてる?」
その煙を見たまま、茫然とした口調で呟く真桜の言葉が、山間の木々が鳴らす枝葉の擦れる音と共に、風に乗って虚しく消えていく。
さらに綜が辺りを見渡すと、街のそこかしこでも黒煙が立ち昇っていることに気付いた。
「なんであんな煙が? あれも、グールの仕業ってことなのかよ?」
「……ううん、やってるのは多分……この世界の人間なんだぞ」
「なっ、人間が!?」
綜の口を突いて出た疑問に、情報を得て、答えを知ったヴィーが即座に応じた。




