第十三話 対立
「はあ……いいかげんにしてくださいよ先ぱーい、会長も言ってるでしょう。こんな所で言い争ってる時間すら、今の僕らには惜しいんですよ、分かってます~?」
(健瑠のやつ、なんでこんな時に!)
いつもながらの、綜に対する挑発まがいのちょっかい。
常なら綜も軽く見過ごすところだが、しかし今回ばかりは時と状況と場所、全てが都合悪かった。
「だからって、俺がここで引くわけにはいかないんだよ!」
「いやあ、本当におかしくなっちゃったんですか、先輩? 言ってることがメチャクチャですよー、ははっ……ねぇ真桜さん、あなたもそう思いませんか?」
「えっ?」
薄く笑っていたかと思うと、不意に綜の後ろに居る真桜へと、声を掛ける健瑠。
その声にびくりと真桜は身体を震わせると、綜の制服を掴む指にも力が入る。
「なんで真桜に聞く? 今は関係ないだろ」
「おや、そんなことも分からないんですか? 先輩、あなたがワケのわからないこと言って場の雰囲気を悪くすると、家族である真桜さんも巻き込まれる可能性が――て、いう意味ですよ」
「お前っ、それは……!」
(まさか、こんな時に脅しかよ! 健瑠のやつ、真桜が俺の傍に来たのが気に喰わなかったのか?)
単に嫌味を言いたいだけなのか、それ以上に含んだ感情があるのか。
目の前の健瑠から読み取ることができず、戸惑う綜。
「だからほら、二人ともこっちに来て。こんな馬鹿げたことは止めて、さっさとモールへ行きましょうよ、ねっ」
不意にそれまでとは一転。
逡巡する綜と怯える真桜に、今度は優しく語りかける健瑠。
まるで淑女を誘う悪魔の囁きのように、にこやかな微笑を浮かべながら、二人を誘うように華奢で白魚のような手を差し伸べる健瑠。
だが、その姿を数秒見つめた後、綜は軽く息を吐くと、ゆるやかに首を振る。
「悪いな健瑠……ここが譲れない瀬戸際ってやつなんだよ。だから真桜も……妹も、そちらに行かせるわけにはいかないんだ」
「……先輩の意思がそうでも、実際に真桜さんはどう考えてるんです?」
「っ、私は、兄さんと……一緒に、いるよ」
ほんの数瞬の躊躇の後、たどたどしくも、震える声で断言する真桜。
その言葉を聞いた瞬間。
微笑を浮かべていた健瑠の顔から、温かい表情が消えうせた。
「そう……そうですか。あくまでも離れない、と? ふふ、どこまでもあなたたちは一緒なんですねぇ、ああそりゃあ家族ですから当然、か……それなら、いっそ――」
「お、おい健瑠? 何を言ってるんだ?」
うつむき、ブツブツと喋りはじめた健瑠の姿に違和感を覚え、思わず声を掛ける綜。
その言葉が聞こえていたのか、不意に顔を上げる健瑠。
そこには、今まで浮かべていたどことなく胡散臭い微笑も、常日頃の呆れた様な皮肉気な笑みもすでに無く。
ただ相手を見据えるだけの、身も凍るような冷徹な瞳があった。
「もういいです、あなた方に振り回されるのも、足止めされるのも、もうウンザリだ。ねぇ、みなさんもそう思うでしょう? だからさあ、もうさっさと行きましょうよぉ。ここに残りたいって人だけが残ってればいいんですよ、ねえ先輩、そういうことでもういいでしょう?」
不意に後ろの生徒たちへと振り返り、問いかけるように皆をうながす健瑠。
その言葉がきっかけとなったのか、押し黙っていた生徒たちが次々に口火を切る。
「そ、そうだよ! 今すぐにモールに行けば、襲われるリスクも少なくなるじゃん!」
「そうよ! アンタが邪魔をするから……さっさとそこをどきなさいよ!」
「みんなコイツの相手はするなよ! あくまでそこをどかないってんなら、力づくで通ろうぜ!」
理不尽な状況が続く中で、積もり積もったストレス。
生徒たちは、これまでのやり場のない不満のはけ口を見つけ、口々に綜を罵り、強硬手段に訴えようとする素振りをも見せてくる。
「こんな――ちょっと、待ちなさいみんな! あまり短絡的にならないで!」
「っ、兄さん……」
周りの異様な雰囲気に抗うように、あくまで理性的に努めようとする亜理紗と、綜の背中に隠れ怯える真桜。
「……俺は、みんなを救いたいと思って――」
「それで犠牲者が出たらっ! 意味なんてないじゃない!」
「そうよ! さっきだってアンタがみんなを誘導してなかったら! もしかして犠牲者も出ずにすんだんじゃないの!?」
女生徒たちの叫びに呼応するように、周囲の生徒たちからも剣呑な雰囲気があふれ出す。
「いや、さすがにそれは理不尽すぎるでしょ……」
自分から煽ったとはいえ、さすがに場の雰囲気が取り返しのつかないレベルにまで達したことで、熱が冷めたように顔を青くさせ、周りを諫めようと声を掛ける健瑠。
しかし小柄な健瑠の呟くような言葉を気に留める者は、すでにこの場には誰一人居らず。
対峙する綜と生徒たちの間にはピリピリとした空気が流れていた。
「……そうだな、さっき逃げる時に俺の力が足りなかったのは、確かだろう」
「柳ヶ瀬? そんなことは無いでしょう! あれは誰が指揮をしていても、犠牲者が――」
咄嗟に擁護するように声を上げる亜理紗。
その脳裏に、自身が最初に選んだルートを進んだ先の、未来を予測する。
(あのままだと、犠牲者はこんな数では済まなかった、ひょっとしたら全滅も……今だからこそ、柳ヶ瀬が選んだ道は最善だったとも確かにいえる。でも、それが偶然である可能性だってないわけで……それに、ここで足止めを食うのは、どう考えても悪手なはずよ)
心の中では、先ほどの綜の指揮を認めつつ。
自身よりも優れた指揮に対する嫉妬と、この先の危険性を考えて亜理紗は口をつぐんでしまう。
「ほっ……ほら見ろ! 自分でもさっきのは失敗だったって認めてるんじゃないかぁ! だったらお前、はやくそこをどいて――」
「俺が力不足だと認めてるのは! 犠牲者をゼロにできなかったことだ!!」
「っ!?」
綜の力不足発言を聞き、揚げ足を取るかのように糾弾しようとした男子生徒。
しかしその言葉は、更なる綜の宣言にかき消される。
「さっきの行動自体を後悔してるかって!? それは一切無いと断言してやる!」
「待ちなさい柳ヶ瀬! それ以上は……!」
自身の行動に対して、綜は力不足を認めつつも、後悔は無いと、言い切る。
聞き様によっては挑発行為にも見えるその発言に、あわてて制止しようとする亜理紗。
「なぜなら! ここまで来たことを失敗だと自分が認めてしまったら、この先俺は! 誰一人として救えなくなるからだよっ!!」
だが、そんな亜理紗の言葉に耳を貸さず、堂々と宣言する綜。
そのあまりに爽快で、どこか開き直りのような綜の姿に呆気にとられる生徒たち。
「…………」
「……無茶苦茶だ、そんな子供じみた理論通るはずが……バカで暴君だった子供時代は卒業したんじゃないんですか? 大人になったんじゃないんですかぁ、先輩は」
呆れを通り越したような健瑠の声に、ちょっとだけ申し訳なさそうに、綜は軽く首をひねって応える。
「傍から見たら、おかしなこと言ってるようにしか見えないのは承知の上さ、でもな、今の俺はここで止めることこそが、みんなを助けるために必要だと信じてる。だったらもう、やるしかないんだよ」
「だからって……心底アホですか、どうして……今更、昔みたいに」
「あ……に、兄さん?」
状況に付いて行けずに、どもる真桜とうつむく健瑠。
二人とも、もはやどうしていいのか分からず、綜に掛ける言葉が思いつかなかった。
「は? なによ、コイツおかしくなっちゃったの?」
「ふっ、ふざけんなよお前! 馬鹿野郎が! そこをどけってんだよ!」
綜の真意はやはり生徒たちに伝わることなく。
業を煮やした生徒たちの集団は、綜を押しのけるため、強行突破の姿勢を見せ始める。
「…………真桜、俺から離れろ」
「に、にぃ……さん」
覚悟を決め、背後に隠すようにしていた真桜に対し言い放つ綜。
だが真桜自身は足が竦んでしまったのか、震える手で綜のシャツを握りこんだまま離れようとはしない。
その義妹の様子を一瞥した後、もはや予断を許さない状況に備え、眼前の生徒たちを見据えると左足を軽く引き、浅く腰を落とす綜。
あくまで自然体でありながら、梃子でも動かない意志がその構えから見て取れる。
「こ……こいつ! どけってんだろぉ!」
「言葉では納得してもらえない、ついでに時間もないってんなら、俺にはもう身体を張って止めるしか術はない」
大柄な生徒が集団から一歩踏み出し、オーバーな身振りで威嚇するものの。
それに対しても、綜は一瞥するだけで動く気配はまったく無い。
(柳ヶ瀬……こんな状況に追い込まれても、まだ、人を救う気持ちを持てるっていうの?)
グールからの逃走の選択では、綜の答えが正解だったと亜理紗は判断している。
ゆえに、心情的には綜の擁護をしたくなる気持ちもあったのだが。
異常な状況で、さらに暴力的な雰囲気を醸し出す生徒たちの集団を前に、亜理紗はいつもの毅然とした態度で前に出れないでいた。
(やっぱり、今の柳ヶ瀬は異常よ……でも)
自分とは対照的に、どれほど不利な状況に陥ったとしても、あくまで、生徒たちを救うために行動していると言い張る綜の姿。
それが、亜理紗にはどこか異様な佇まいに見えると共に、崇高な――まるで聖域を守護する殉教者のように尊い様相にも見えていた。
しかし、今はまだ生徒たちが躊躇しているとはいえ、所詮は多勢に無勢。
いずれ本気で生徒たちが動き出してしまえば、柳ヶ瀬綜は紙屑のように踏み潰されてしまうだけだということが、簡単に予測できる。
その未来予想図に亜理紗が頭を痛めてる間にも、場は更に殺気立ち、一触即発の状況を要している。
もはや、暴力の行使も止む負えないという状況に直面した――その時。
「はい、そこまで」
殺気をはらむ場に、静かに響くハスキーボイス。
それは喧騒ではなく、暴言でも、挑発でもない。
ただこの場には場違いなほど落ち着いた声であり。
だからこそ、この場の全員の耳に届いた。