第十二話 齟齬
「は、あ……はあ……っ、これで……なんとか逃げ切れたか」
「ふぅ、少し……疲れたね……兄さん」
逃走開始から十数分後。
大通りから小道へと、綜が先導し様々なルートを経ることで、なんとかグールの集団を振り切ることに成功した集団は、天川中央公園と呼ばれる公共施設の一角。
木々が生い茂る、外からは人目に付きにくい場所で休息を取っていた。
市の緑化推進計画で建設されたこの古びた公園は、学校のグラウンド二個分の広さを誇る大きさを持っていたが、利用者の数は伸び悩み、樹林の手入れも行き届いておらず、全体的に寂れた雰囲気を漂わせていた。
だがそれゆえに、人を襲うグールの動きが必然的に人の多いところに流れているため、この公園内に、まだグールの姿は見あたらなかった。
「ああ……ちくしょう。お腹へったなあ」
「そういえば、お昼食べてなかったもんねぇ……はぁ、もうすぐ夕方だよ」
「これからどうするの? 日が落ちたらさ、アイツらが近づいても分かんないかもよ」
ようやく落ち着ける場所で休息を取れたことで、生徒同士ぽつぽつと会話をするものの、その口から出てくる言葉はネガティブなことばかりだった。
あれから、無事に逃げおおせた生徒の数は35名。
体力の尽きた者、パニックになり綜の誘導から外れた者など、結局4名の犠牲者を出すことまでは防ぐことはできなかった。
4名という数字が果たして少ないと言えるのか。
その死を悼む余裕のあるものは、今はあまりにも少なく。
それは今日一日――ほんの数時間の間に、あまりにも身近に人間の死を見すぎていた生徒たちにとって、【死】に対する感覚が麻痺していることと、現状の絶望感と虚脱感に抗うことで、他のことに気を回す余力が無かったことも要因となっていた。
「夜になったら……もっとやばいんだよなぁ」
「このまま逃げてるだけじゃ、あいつらに食われるだけだよ……なんとかしないとさあ!」
否が応にも、襲い来る人喰いのモンスターと対峙しなければいけないという現実にさらされ、平和な日本で育った少年少女たちの体力と精神はとっくに擦り切れる寸前で、いずれ限界を迎えるのも目に見えていた。
「じゃあどこか、どこかに隠れなきゃ! ここじゃあすぐに見つかるよぉ!」
「ねぇ……デパートとかいいんじゃない? ほら、ホラー映画とかでよくやってるじゃん!」
大きなデパートに立て籠もろうと言う案が、一人の女生徒から提言される。
すると瞬く間に、周囲の生徒たちからも賛同の声が上がった。
「いいぜそれ! そうだ、それだよ! はじめからそっちに行けば良かったんだよ!」
「だよなー、それって俺もゾンビ映画で見たことあるぜ!」
賛成の波紋はたちまち全体へと広がる。
この先の指針を決めるポジティブな希望が出たことで、生徒たちの顔にも少しずつ生気が戻ってきていた。
(っ!、嘘だろ……なんでこんな? そこに行っちゃ駄目ってことなのかよ!)
だがそんな集団の中で、ただ一人――綜だけが顔を青ざめさせていた。
「兄さん?」
「また、みんなが【赤く】? そんな……これは、このままじゃ!」
気遣わしげに声を掛ける真桜にも、うつむく綜は気に留める余裕がない。
グールから逃げる時同様。
女生徒の宣言が出てから、綜の目は多数の生徒たちが赤く染まっていく姿を見ていた。
つまりそれは、綜にとって、この先の未来で――生徒たちの【死】が待ち構えているという意味と同義でもあった。
「ねえ会長! はやく移動しましょうよ!」
「え……ええ、そうね皆、異存が無いのなら……その案で行きましょうか」
常になく歯切れの悪い亜理紗。
彼女自身も今現在の異常な状況下で、どのように動くべきか決めかねていた。
そのため深く考えずに、目の前に提案されたその案に乗ってしまう。
「えっと、一番適しているのは……やっぱりプリビレッジ・モールかしら、ここからならおよそ一キロあたりの距離ってところだから、皆で固まって上手く移動すれば……」
「おー! さすが会長、もうプロットまで考えてるじゃん!」
「いける、いけるよ! なんとかモールまでたどり着けばさ! アタシ達大丈夫だって!」
それでも、内心の動揺を抑えつつ意見をまとめ。
市内でも有数なショッピングモールに立て籠もることを立案する亜理紗に、周りの生徒たちも信頼を示し、一斉に肯定する。
その流れは、すでに確定しているようにみえたのだが。
「それじゃあ皆、ゆっくり公園を出て、道路沿いに進みながらプリビレッジ・モールに立て込むということで……それでいいわね?」
「――いや! ダメだ!!」
「えっ?」
進軍マーチのように、揃って歩を進めようとした生徒の行進から、蒼白な顔の綜が集団から素早く飛び出すと、肩幅に両足を広げ仁王立ちになり。
集団の前に立ち、その行く手を遮った。
「ちょっと……どういうつもり柳ヶ瀬。今、なんて言ったのかしら?」
「……このまま行ったらダメだって、そう言ってるんですよ、神部生徒会長」
「何を言ってるのよ……あなた、やっぱりさっきからおかしいわよ、柳ヶ瀬綜」
亜理紗の射抜くような眼光を、真正面から受け止める綜。
探るように、威圧するように向けられる、亜理紗の強い視線。
だがそれを受けても綜は気圧されることも無く、身じろぎ一つしない。
ただ亜理紗を静かに見返すだけだった。
「……くっ、ここで睨み合ってる暇はないのよ柳ヶ瀬! もうすぐ日も落ちる、そうすれば移動のリスクは増えるわ。それにこれは皆で決めたことよ、あなたのワガママを認めるわけにもいかないのよ、分かるでしょ?」
「ワガママじゃない! この先は、危険だって言ってるんだ!」
「っ! 危険って、……どういうこと?」
強い口調で断言する綜の姿に、この先の道のりに不安を抱き、ざわつく生徒たち。
その集団の中から、綜を心配する様に真桜が一歩進み出てくると、綜へと近づく。
「……兄さん、あの」
「真桜、後ろに下がってろ。俺はどうしても、ここで止めないといけないんだ」
「え? あ、う……うん」
諫めようとしたものの、綜に言い切られると結局何も言い出せず、真桜はそそくさと綜の後ろに回った。内心で、そんな自分にため息をつきながら。
その間にも、亜理紗と綜の睨み合いは続く。
「どういうつもりよ柳ヶ瀬……みんなの不安を煽る様なことは、止めてくれないかしら」
「煽ってるんじゃない、これは、警告してるだけですよ」
「警告? ふーん、あのねぇ、それがみんなを不安にしてると言ってるのよ! 根拠もないデマはよして!」
「くっ……根拠がない、ワケではなくて」
「へえ、じゃあ理由があるんだ? それじゃあどういう意味かしら? 柳ヶ瀬、それはもちろん、皆が納得できる話なんでしょうね」
挑むように亜理紗の目が細められ、綜にさらにプレッシャーをかけてくる。
いつもなら多少の諍いにも冷静に事を進める亜理紗も、今は余裕を保てなくなっている。
それに加え、まともな指示を出せない自身への不甲斐無さに対する憤りと、皆を先導し公園へと導いた綜への嫉妬から、亜理紗自身も無意識のうちにその矛先を綜へと向けていた。
(くっそ! やっぱディベートじゃ会長には勝てない! 大体根拠って、死にそうなやつが【赤く】見えるって話をすればいいのか? そんなんで止まってくれるなら、いくらでも話してやる! だけど……信じてもらえるのか? それこそ、赤い霧のせいで見間違いでもしてたんだろって、そう言われるのがオチなんじゃ……)
負けじと一心不乱に思考を巡らす綜。
自身でも予兆のことは、いまだに馬鹿げた話だと、どこか頭の片隅では思っていた。
ただ、今の切迫した状況が、それにすがる道しか残されていないため、どうしようもなく必死になっていただけでしかないのだ。
「ねえ、兄さん……」
不意に、制服の腰の部分を引っ張られる感触に綜は気付いた。
それは本当に弱弱しく、かろうじて触れているだけという、感覚でしか伝わらない儚い仕草だった。
だが綜にとってはその行為から、後ろに居る義妹が不安で押し潰されそうになっていることを感じ取れた。
守るべき存在を意識することで、綜の保護欲が強く刺激される。
その欲求は、今はまだ特定の誰かに向けられたものではなく。
不特定多数の、己に近しい存在に向けられたものだ。
「……俺は、みんながこの先に進めば……不幸になることを、知っているんだ」
周りの人間のきょとんとした反応。分かってはいたが、胸が少し痛んだ。
「は? なに……それ? ちょっとまって、そんなあやふやな……それじゃあ意味が通らないわよ! 大体あなたは――」
「驚きましたね、こんな非常時にまさかの預言者気取りですか? 先輩」
「え、健瑠?」
対峙する綜と亜理紗に割って入るように、横合いから声を掛かる。
その声の主は、集団から抜けるように前に出た、名波健瑠だった。




