~ただの書~
――――終わった世界にひと粒の愛を
1
今から五千年前に人類は絶滅した。
全ての動物が消え、植物が消え、思いの消えた世界に神が降り立った。
そして神が一つの言葉を唱えた。
その言葉は誰も知らない。
未知なる言葉。
誰も知らない言語だったらしい。
もしかしたらどこか宇宙の中にある国の言語なのかもしれない。
そこから世界は愛に包まれた。
植物が生えたのだ、動物が生まれたのだ、人間が生存し始めたのだ。
だが、それが起きたのは神が降り立ってから四千年後の話だ。
実際四千年間もの間があったのかはわからない。
ただ、それ以前の人骨が見つからないだけの話である。
それゆえ、四千年前になっているし人類の絶滅に関しても同じことである。ただ、神が降り立ったことに関してはただの仮設であり妄想であり誰も知らないことであり、そんなものを見たものは誰一人としていない。居たらむしろ世界を大きく変えてしまう話である。
そのことに関してはそのうちわかってくるだろう。ただ、今語ることは不可能でありそんな言葉はまだこの書に書かれてはいない。
さて、一つ読み手に聞きたいことがある。
人間とはこの世に必要であるか否かの話だ。
この書は人間の短所にしか書かれていない。
人間なんて、世界や宇宙や他人や環境や他生物のことをを考えない生き物だ。いわゆる、自己中心ってやつだ。そんな生物がたくさん集まっている。そんな汚らしい生物がこの世には必要であるのだろうか。
いや、いらないはずだ。
人間なんていないほうが世界や宇宙や植物や他生物や環境からしたらありがたい。
人間は確かにすばらし頭脳を持ち合わせている。だが、そのすばらしい頭脳をしっかりつかえている人間は何人いるのだろうか。そなたらは何人の人間を知っている。しっかりつかえている人間をそなたらはどれぐらい知っているのだ?
まず、自分は使えていないはずである。周りでテスト毎回五百点取ってるやつがそうだと思ったり、科学者や医者等がそうだとお思うものもおるかもしれないが、それは違う。断じて違う。
五百点をとゆう数字はただの与えられた者の中での最高点であり、それを作るものがいるわけだ。それだけじゃない。その問題はどれぐらいのレベルであるのだろうか?ものすごく難しいかもしれないし、ものすごく安易かもしれない。だが、それは他人によって異なる差であり難しい安易など感情は自分で勝手に思い込んでいるだけの話である。
では、学者や医者はどうだろうか?
それは、ものすごく近しいものである。未知なる世界へ挑戦することは難しいことであり、そんな簡単になすことはできない。だからこそ、人間はそうゆうものに憧れるのだろう。
まあ、言いだしておいてあれだかこのことに関してはまた後程触れよう。
この書にはあることが書かれている。
それは、世界を救うものが二人現れることについてだ。
その二人の者を人々は「カンナ」と呼んだ。
尊敬の意も込めてである。
これは、その「カンナ」の話である。
きっと二人が気づく世界があるだろう。知らない世界を二人、いや四人は旅する。
これはその冒険をつづった話である。
長い旅の中であなたはきっと気づくことがあるかもしれないが、そんな保証はどこにもないことを忘れないでもらいたい。とだけでも言っておこう。
これが世界の愛であり希望であり夢であり、人間であるのだ。