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昨日なりゆきでバイトをすることになった店の裏口に悠斗は立っていた。目の前の扉を開くことを躊躇う自分がいるが、昨日帰り際に店長に提示された時給は今の悠斗にとってありがたい金額だった。今さらこのバイトを逃すのも惜しい。そんなことを扉の前で考えていると、後ろから不機嫌そうな声がした。
「邪魔なんだけど」
「あ、ごめん。すぐ退くから」
後ろに立っていたのは冬希だった。学校帰りにそのまま来てるらしく、気怠そうに首元のネクタイを緩め、肩に鞄をかけている。動作は男子高校生だが、なにぶん顔が女性的なためひどくアンバランスに見える。
「早く入れよ。今日からバイトだろ」
「うん、そうなんだけどね……」
そんなことしてる間にも冬希は扉を勢いよく開けてしまった。
「おはよーござーまーす」
「あははは……はあ」
悠斗はため息しか出てこない。タイミングよく、扉を開けた先には待ち構えていたように店長が立っていた。いつか壊れるのではないかというほど大きな音を立てて入って来た冬希を注意することなく、今日も元気だねと向かえている。冬希の後ろから入ってきた悠斗を確認すると微笑みかけてくる。
「悠斗くんも。あ、そうそう悠斗くんの分の制服できたから着てみてくれるかな」
「はい。昨日合わせたばかりなのにもうできたんですか?」
「できてるもののサイズを直すだけだからね。着替えたら二人でホールの方に来てね」
真新しい制服、もとい燕尾服を渡され冬希と共に更衣室に入った。並んでいるロッカーにはご丁寧に冬希の隣に悠斗の名前が書かれていた。とことんまめな店長なのだと思った。
「ほら、さっさと着替えろよ。きりきり働けよ」
「……君は本当に男らしいよね」
「その言葉を俺の顔見て言ってんじゃねえよぶん殴るぞ」
拳を握る冬希から目を逸らすと急いで渡された制服へと着替える。サイズは悠斗の体にぴったりだった。店長の仕事の早さと正確さに感心してしまう。着替え終え、どんなものかと自分の制服姿を鏡の前で見ていると同じくさっさと着替え終えた冬希に早く行くぞと急かされる。二人でホールへ向かうとそこに店長は居らず、いたのは一人で接客している相馬であった。お客からオーダーを取ってからこちらへ向かってくる。
「あら、冬希ちゃんに悠斗くん。学校は終わったの? お疲れ様」
「おーっす、相馬さん」
「……お疲れ様です」
昨日の出会いで悠斗は相馬に警戒心を抱いてしまっていたが、そんな悠斗を意にも介さずにずいずいと近寄ってくる。
「近い、近いですって相馬さん」
「恥ずかしがってるのね。やっぱり可愛いわあ」
恥ずかしがっているのではなく嫌がっているのだが、行ったところで聞いてはもらえないと判断して目線を逸らした。冬希は悠斗を無視してお嬢さまたちのお相手をしている。どうやら相馬の引付役にされてしまったようだ。
「じゃ、じゃあ俺も仕事に入るんで」
「ふふ、あたしは休憩に入りまーす。頑張ってね」
ウインクを一つ落として相馬は去っていった。その背中を見送ってから息を一つ吐いて落ち着かせると、ホールの方へ足を踏み出した。冬希がテーブルのお嬢様の注文を聞いていたため、ちょうど開いた扉の前に立ち出迎える。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
一礼をしてから顔を上げると、きょとんとした女性の顔があった。その顔を見る限りこの人も常連なのだろうと頭の中で判断してから空いている席へと案内した。お嬢さまが席に着いたのを確認してから離れようとすると呼び止められた。
「あの、私あなたをこのお店で初めて見ました。新しい人ですか?」
「はい、昨日から働かせてもらっています」
「そうなんですか。私このお店に来るようになってそんなに経ってないから、まだ知らない人がいるのかと思って」
目の前で穏やかに笑う女性を見て、何か普通の人だと悠斗は変な安心感を覚えてしまった。たった一日で個性の強い人たちと接したからだろうかと思いながら、これからよろしくお願いしますと挨拶をする。
「林田です。まだまだ新米ですが」
「私もこのお店のお客の新米ですよ。同じですね」
(……ああ、この和やかな空気の中にずっといたい)
女性のふんわりのした雰囲気がそうさせるのか、悠斗のここしばらく荒んでいた心に穏やかな空気が染み込んでくるようだった。お互いに微笑み合っていると、悠斗の首筋に突き刺さるような視線を感じ、後ろを振り返ると笑顔のまま、こちらを見つめている冬希がいた。両手はサンドイッチとケーキがのったトレーと紅茶のポットがあり、その姿と笑っていない目を見るとさっさと働けと無言で言っているのがすぐに分かった。
「そ、それではそろそろ仕事に戻りますので。ご注文がもうお決まりならお伺いしますが」
「あ、そうですよね。お仕事の邪魔をしてしまってすみません。それじゃあ、紅茶とケーキのセットを」
「かしこまりました」
席から離れ、オーダーを言いに行こうとすると冬希とすれ違い、お嬢さまたちには見えないように足を思いっきり踏まれた。
「いっ、て……」
「きりきり働けよクズ」
小さな声で言われた言葉に痛みをこらえながら頷くと、冬希は再び笑顔で仕事に戻っていった。