第8章 代償の疼き ~忘れられない温もり~
戦いの翌朝。境内は静かだった。倒れた石灯籠はコンが一晩で直し、朱の鳥居は朝陽に輝いている。さきは縁側に座り、ぼんやりと空を見上げていた。左手首の紋章が、時折チクチクと疼く。昨夜の力が、まだ体に残っている証拠だ。コンは小型の姿でさきの膝に丸まっていた。赤い瞳が、さきの顔をじっと見つめる。
「……痛むか?」
さきは首を振って、笑ってみせた。
「ちょっとだけ。慣れるよ」コンは尻尾をぴたりと止めた。
「嘘をつくな。
昨夜、お前が核を握り潰した時……俺の力が、お前の『感情』を少し奪った」さきは目を伏せた。
「……うん。
なんか、ぼんやりする瞬間がある。
学校の友達の顔とか、昨日までの楽しかった記憶が、薄く感じる時が」
コンは小さく息を吐いた。
「それが代償だ。
古の厄を完全に封じるには、俺の力だけでは足りなかった。
お前の『大切なもの』を、少しずつ俺に預けてもらう」
さきはコンを抱き上げ、胸に押し当てた。
「だったら、いいよ。
あんたに預けるなら、怖くない」
コンは赤い瞳を細めた。声が少し震える。
「馬鹿なことを言うな。
お前が俺に感情を渡せば渡すほど、お前は……俺を『必要』としなくなるかもしれない。
それが、一番恐ろしい」
さきはコンを優しく撫でた。ふわふわの毛並みが、手に温かい。
「そんなこと、ないよ。
あんたが必要なのは、感情じゃなくて……心だもん。
私があんたを好きでいる気持ちは、代償なんかで消えない」
コンは沈黙した。
やがて、ゆっくり体を膨張させ、巨大な九尾の姿に戻る。
さきを背中に乗せ、境内をゆっくり歩き始めた。
「なら、証明してみせろ。
今日、お前の記憶が薄れる瞬間が来ても……俺を忘れないと」
さきはコンの背中で頷いた。
「約束。
絶対に、忘れない」
昼過ぎ、学校へ向かう道中。さきはあかりと一緒に歩いていた。あかりが楽しそうに話しかける。
「さきちゃん、昨日文化祭の片付け手伝ってくれてありがとう!
次は修学旅行だね~、どこ行きたい?」
さきは笑顔で答えようとした。
でも、突然――頭の中に霧がかかった。あかりの顔が、ぼんやりする。
昨日までの笑顔が、遠く感じる。
「……あかり……?」
あかりが心配そうに覗き込む。
「さきちゃん? 大丈夫? 顔色悪いよ」
さきは左手首を強く握った。紋章が熱くなる。コンが肩で小さく囁いた。「思い出せ。
お前が守りたいもの」
さきは深呼吸した。
胸の奥に、温かいものが灯る。
「あかり……ありがとう。
私、修学旅行、一緒に行きたい。
みんなと、たくさん思い出作りたい」
あかりがぱっと笑顔になった。
「うん! 絶対だよ!」
霧が晴れる。記憶が、鮮やかに戻ってきた。コンが耳元で、静かに言った。
「……よくやった」さきは小さく微笑んだ。
「忘れなかったよ。
コンも、あかりも……みんなも」
夕方、神社に戻ったさきは、コンを膝に乗せてお稲荷さんを食べさせた。
「これからも、代償が来ても……私はあんたを忘れない。
だって、私の心は、もうあんたのものなんだから」
コンは赤い目を細めて、尻尾を優しくさきの手に絡めた。
「……ふん。
生意気な相棒だな。
だが……それでいい」
月が昇る。
朱の鳥居の下で、二人は静かに寄り添った。さきの成長は、まだ続く。
代償は疼くけれど、絆は決して薄れない。




