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前回2/28は2話(007,008)更新しているので、
まだそちらを読んでないかたは、
そちらからどうぞ。
第8話「声が、多すぎる」
朝のキャンパスは、思っていたより騒がしかった。
学生の話し声。 自転車のベル。 講義開始を告げるチャイム。
――なのに。
(……うるさい)
古都音は、無意識に眉をひそめた。
「うるさい」というほど大きな音じゃない。 むしろ、どれも小さい。 小さくて、断片的で、意味があるような、ないような。
なのに、頭の奥で重なっている。
「……あ」
歩いている途中、ふと足が止まる。
キャンパス中央の古い銅像。 何十年も前に建てられた、寄贈者の像。
その前を通り過ぎようとした瞬間――
『……また季節が巡ったか』
低く、鈍い声。
(……え?)
思わず、像を見上げる。 もちろん、口が動くはずもない。
『昔はな、もっと人が立ち止まったものだ』
『近頃は皆、忙しそうだ』
(……今の、誰……?)
背中に、じわっと汗が滲む。
「気のせい、気のせい……」
小さく呟いて歩き出す。
けれど――
次は、図書館前。
古本屋の出張販売コーナー。 木箱に詰められた、色あせた文庫本たち。
その横を通った瞬間。
『……この匂い、懐かしいな』
『あの人、元気にしているだろうか』
(……本?)
視線を向けると、革表紙の古書が一冊。 ページは黄ばみ、背は擦り切れている。
『読まれなくなっても、消えたわけじゃない』
『覚えている者がいる限り』
(……待って、待って)
古都音は、頭を押さえた。
(これ、全部……?)
歩くたびに、微かな声が増える。
『あの子、ひかっているな』
『変わった気配だ』
『……そこは危ない』
『もう少し、右だ』
(……危ない?)
反射的に足を止めた、その瞬間。
目の前を、自転車が勢いよく横切った。
「っ……!」
心臓が跳ねる。
(今の……聞こえた、から……?)
誰も、古都音を見ていない。
誰も、今の声を発した様子もない。
『聞こえたのか…?いや、そんな筈はない』
『……ただの、ひとりごとだ』
(……ひとりごと?)
古都音は、思わず苦笑した。
(神様のひとりごと、多すぎやん……)
けれど、笑えない。
講義室に入っても、声は止まらなかった。
古い机。
『何人の肘を支えてきたことか』
窓際の植木。
『水、今日は足りている』
天井の梁。
『よく持っているな、まだ』
(……もう、無理……)
ノートを開こうとしても、集中できない。
(これ、全部聞こえてたら……)
(普通の生活、できひんやん……)
ふと、足首に結ばれた結い紐に、視線が落ちる。
昨日、あの小さなお社で受け取ったもの。 軽くて、存在を忘れそうなのに、確かにそこにある。
(……これの、せい?)
問いかけるように、そっと触れる。
すると。
『ああ……』
『やっと、気づいたか』
今度は、はっきりとした声だった。 すぐそば。 でも、姿は見えない。
『少し、急ぎすぎたな』
『まだ慣れていない』
古都音は、小さく息を吸う。
「……聞こえすぎるんやけど…」
小声で言う。
返事はない。
ただ、どこか困ったような、静かな気配だけが残る。
講義のチャイムが鳴った。
ざわめきの中で、声は少しずつ遠のいていく。 完全には消えない。 でも、波が引くように、落ち着いていく。
(……選ばなあかんってことか)
(全部、拾わんでもいいんやんね)
そんな感覚が、胸に残った。
窓の外。 風に乗って、たんぽぽの綿毛が一つ、ふわりと浮かぶ。
『……面白い子が来たな』
誰に向けたとも知れない、ひとりごと。
古都音は、それに返事をしなかった。
ただ、少しだけ、足首の結い紐を確かめるように結び直した。
――この世界は、思っていたより、ずっと賑やからしい。
次回は3/13金曜日に更新予定です。




