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第2話「なんで日本だけなんやろう」
学食は、昼どき特有のざわざわした空気に包まれていた。
トレイがぶつかる音。
湯気の立つ定食。
あちこちから聞こえる笑い声。
古都音は、いつもの席でカレーを食べていた。
「ねえねえ、聞いて!」
向かいに座っている留学生の友だち――リナが、目を輝かせて身を乗り出してくる。
「昨日ね、わたし、お財布落としたの!」
「ああ、言うてたな。見つかったん?」
古都音がそう返すと、リナは大きくうなずいた。
「それがね! 今日の朝、そのまま返ってきたのよ!
お金も、カードも、なにも取られてなかった!」
「へぇ……よかったやん」
古都音は素直にそう言った。
驚きは、正直それほどなかった。
けれど、リナの反応は違った。
「よかった、どころじゃないわよ!」
「アンビリーバボー!日本、アンビリーバボー!」
両手を広げて、大げさなくらいの身振り。
「わたしの国ならね、絶対に戻ってこない!」
「落とした時点で、もう終わり!」
「なのに日本は、翌日よ!?信じられない!」
周囲の学生がちらっとこちらを見るほどの熱量だった。
「そんな国、他に聞いたことないわ」
「なんで? どうして日本だけなの?」
そう言われて、古都音はスプーンを止めた。
(なんで、って言われても……)
小さいころから当たり前だった。
落とし物が返ってくることも。
傘を忘れても、次の日そこにあることも。
「うーん……たまたま、親切な人やったんちゃう?」
そう言ってみたけれど、リナは首を横に振る。
「違うと思う」
「だって、日本の友だち、みんな同じこと言うもの」
「“日本では普通”って」
(……普通、か)
古都音は、ふと考える。
確かに、日本では「拾ったら届ける」が自然だ。
誰かが見ているかどうかよりも、
「そうするもんや」と思っている人が多い気がする。
「ねえ、古都音はどう思う?」
「なんで日本だけ、こうなの?」
急に話を振られて、少し困った。
「なんで……」
言葉を探して、少し間が空く。
「……神様が、見てはると思ってる人が多いから、かな」
自分でも、少し意外な答えだった。
リナはぱちぱちと目を瞬かせる。
「神様?」
「日本の?」
「うん。たぶん」
「見られてる、っていうより……見てくれてる、みたいな」
リナはしばらく考えてから、ふっと笑った。
「それ、素敵ね」
「じゃあ、日本では、神様がいつも忙しいのね」
「そやなぁ」
古都音も、つられて笑った。
けれど、その言葉は、胸のどこかに引っかかったままだった。
夕方、おばあちゃんの家。
台所から、出汁の匂いがしてくる。
おばあちゃんは、味噌汁をかき混ぜながら言った。
「今日は、大学どうやった?」
「学食でな、留学生の子が財布落としてんけど、次の日そのまま返ってきたって、大騒ぎしてて」
「ほう」
「日本はアンビリーバボーや、言うてたわ」
おばあちゃんは、ふふっと笑った。
「そら、そう言われるやろなぁ」
「なんで日本だけなんやろ、って聞かれてん」
古都音は、少し考えてから続けた。
「私、神様が見てはると思ってるからちゃう、って言うたんやけど」
その瞬間、おばあちゃんは何でもないことのように言った。
「そら、そうやろ」
「……え?」
「神様は、いつも見たはるさかいに」
まるで、
「朝はパンやで」
とでも言うみたいな口調だった。
「見てはるから、悪いことせぇへんのとちゃうで」
「見てはるからこそ、ちゃんとしよ、って思うんや」
古都音は、その言葉を噛みしめる。
(見られてるから善をなすんか)
(善やから、見てくれてはるんか)
どちらが先なのか、分からない。
その夜。
布団に入っても、なかなか眠れなかった。
留学生の驚いた顔。
おばあちゃんの声。
――神様は、いつも見たはるさかいに。
天井を見つめたまま、考える。
(……ほんまに?)
答えは出ないまま、いつの間にか眠っていた。
翌朝。
少し早く目が覚めた。
カーテンの隙間から、やわらかい光が差し込んでいる。
(……久しぶりに、行こかな)
特別なお願いがあるわけじゃない。
ただ、あの場所に行きたくなった。
山のふもとの、小さなお社。
朝の空気はひんやりしていて、澄んでいる。
観光客はいない。
聞こえるのは、鳥の声と、葉の揺れる音だけ。
石段に腰を下ろし、古都音は空を見上げた。
(なんで、日本だけなんやろ)
(ほんまに……神様、見たはるんかな)
そんなことを、ぼんやり考えながら。
――まさか、
その神様のひとりごとが、聞こえてくるとも知らずに。
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