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〈番外編001〉「神さまの話を、勉強する日」
大学の講義室は、午後になると少しだけ眠気が漂う。
古都音は後ろから二列目、窓際の席に座りながら、ノートを開いていた。
「さて、今日は日本神話です」
担当教授がそう言った瞬間、教室の空気がわずかに変わる。
期待する人、退屈そうにする人、どちらも混じったざわめき。
「宗教として、ではなく。今日は“物語”として、日本神話を見てみましょう」
その言葉に、古都音は少しだけ肩の力を抜いた。
「課題です。四人一組でグループを作ってください。
テーマは――
『日本神話の神々は、なぜこんなにも人間臭いのか』」
え、そこ?
と、誰かが小さく笑う。
ほどなくして、古都音の周りに人が集まった。
同じ学部の日本人学生が二人と、交換留学生の青年。
「よろしく。俺、ルーカス」
流暢な日本語でそう名乗られて、古都音は少し驚く。
「古都音です」
簡単に挨拶を交わし、配られた資料に目を落とす。
「天照大神って、太陽の女神ですよね?」
最初に口を開いたのはルーカスだった。
「はい」
「世界を照らす、すごく大事な神さまなのに……」
資料を指でなぞりながら、彼は首をかしげる。
「弟が暴れたからって、洞窟に引きこもるんですか?」
教室のあちこちで、同じところに線を引く音がする。
「まあ……そやな」
思わず、古都音が答えてしまった。
「え?」
「あ、いや。弟のスサノオが、まあ、だいぶやらかしたし」
日本人学生の一人が苦笑する。
「畑荒らすし、建物壊すし、最終的に機織りの場に死体投げ込むし」
「……ひどいですね」
ルーカスが本気で引いている。
「それで天照大神は、天岩戸に引きこもる。結果、世界が暗くなって、みんな困る」
「太陽の女神なのに、メンタルやられるんですね」
「やられんな」
古都音は、ペンを持つ手を止めた。
——ちゃんと、拗ねるんや。
ふと、そんな言葉が頭をよぎる。
「じゃあ、スサノオは?」
次の資料に移る。
「泣き喚く、暴れる、追放される。でも、ヤマタノオロチを倒して英雄になる」
「問題児からヒーローへ?」
「成長途中、って感じかな」
古都音がそう言うと、ルーカスは少し首をかしげた。
「なんというか……」
「うん?」
「思春期の少年みたいですね」
一瞬、間があった。
「あー……それ、めっちゃ分かりやすいかも」
古都音は思わず笑いそうになるのを堪えた。
「感情が先に爆発して、 自分でも扱いきれへん力持ってて、 拗ねて、暴れて、でもどこか真っ直ぐで」
「中二病?」
「それや」
日本人学生の一人が小さく吹き出す。
「神なのに、完成してない?」
「そやね。完成してへんから、物語が続くんやと思う
教授の声が、教室の前から重なる。
「日本神話の神々は、
善悪や完璧さで分けられていません」
スライドに映る文字。
――八百万の神々。
「“八百万”とは、八百万という数ではありません。数え切れないほど、という意味です」
教授は淡々と続ける。
「山にも、川にも、家にも。
名も残らなかった神々が、無数にいた」
「木霊とか……?」
誰かが呟く。
「そう。土地の神、道具の神、仏さま、付喪神。人の暮らしのそばに、ずっと在った存在です」
古都音の胸の奥で、何かが静かに揺れた。
「つまり」
教授は、少しだけ声の調子を変えた。
「日本では、神は“上に君臨する存在”ではなく、“そこに居る存在”だったのです」
居る。
ただ、居る。
「だから、完璧である必要がなかった。
怒り、迷い、間違え、引きこもる神もいた」
教室は、しんと静まり返る。
古都音は、ノートの余白に、無意識に言葉を書いていた。
――ちゃんと引きこもる神さま。
その瞬間。
窓の外に立つ、大きな樹が、
風もないのに、わずかにざわりと揺れた。
声は、聞こえない。
けれど、
“気配”だけが、確かにあった。
講義が終わり、グループで軽くまとめを確認する。
「神さまが、そんなに人間っぽいなら」
ルーカスが言う。
「ちょっと、親しみやすいですね。怖い存在じゃない」
「うん」
古都音は頷いたあと、少し考えてから続ける。
「でもな、近づきすぎたらあかん気もするねん」
「距離感?」
「たぶん」
それ以上は、言葉にしなかった。
神さまを知る方法は、ひとつじゃない。
信仰でも、学問でも、物語でも。
そして、
暮らしの中で、
そっと声を聞いてきた人たちも、
確かに存在していた。
古都音は、鞄を肩にかけ、教室を出る。
この話を、
きっと、あの人は、ずっと前から知っていた。
――おばあちゃん。
幕間・了
次回は4/3金曜日に更新予定です。




