「無能であることに気づかぬ者が、世界で一番幸せだ。」
コツ…コツ…コツ…コツ…。
24階建てのマンションの階段ともなると、足音はやけに反響して、嫌になるくらい耳につく。
正直、この階段は地獄だ。
俺は普段から「階段を登りながら物事を考えるのが好き」とかいう、我ながら微妙に変な習慣を持ってるから、しょっちゅうここを利用してる。
でも、さすがに24階分ともなると息は上がる。足もプルプル震える。
……それでも登る。だって、登る価値があるから。
ガチャ。
屋上の扉を押し開けた瞬間、いつもの暴力的な風が全身を押し返してきた。
「……はいはい、知ってた」
何度も来ているから、この風の強さにも慣れている。慣れている、はずなんだけど――やっぱり今日も飛ばされそうになる。
それでも足を踏み出す。
視界に広がる夜景は、何度見ても見飽きることなんてない。
無数の光が散りばめられた街を見下ろしながら、俺は息を整える。
ここ以上に綺麗な景色を見られる場所なんて、この街にはないだろう。
俺はビルの端に腰を下ろし、景色に癒されながらイヤフォンを耳に差し込む。
流れてくるのは、リラクゼーション系の曲。いかにも心が安らぎそうなやつだ。
――で、そんな音楽を聴きながら、俺が考えることはだいたいいつも同じ。
「俺って、なんでこんなに無能なんだろう」
……いや、“無能”って言葉じゃまだ足りないかもしれない。
正しくは、“欠点のデパート”。そんな感じだ。
何をしてもダメ。勉強?得意教科ゼロ。
運動?ボールが顔面に直撃する未来しか見えない。
芸術センス?カエルを描いたつもりが、なぜか宇宙怪獣になるレベル。
料理も裁縫も、火事と流血のリスクしか感じられない。
つまり、俺には“できること”なんて何ひとつないのだ。
……いや、待て。ある意味ここまで徹底して何もできないって、逆に才能じゃないか?
……なんて、ポジティブに考えようとしたけど、やっぱり無理だった。
考えて、考えて……気づけば二十五年。
それでも俺は、まだ今だに答えを見つけられていない。
「人生に価値なんてあるのか?」
そんなことを考えるのが、いつの間にか習慣になっていた。
周りの人間は、口をそろえて言う。
「お前、ほんと使えないよな、笑」
「何のために存在してるんだよ」
「君さ、いつになったら仕事できるようになるわけ? そろそろ戦力になってもらわなきゃ困るんだけどなぁ」
……まあ、聞き慣れたセリフだ。今さら胸に刺さりもしない。
だって、これが俺の“日常”だから。
むしろ、ここまで毎回同じように言われると、「ああ、今日もちゃんと無能やれてるな」って妙な安心感すらある。
――いや、違うな。
最後のは、ただの強がりだ。
本当は「無能」という言葉に逃げたいだけなのかもしれない。
無能であることさえ理解できない“鈍い自分”でありたかった。
気にせず、笑って人生を楽しめる人間でありたかった。
でも、俺にはそれができない。
だからこうして、今日も“無能”という言葉にしがみついている。
また今日も答えを見つけられないまま、俺は夜景を眺めながら立ち上がった。
街の光は相変わらずきれいで、まるで俺の悩みなんて最初から存在しないみたいに瞬いている。
「……帰るか」
ポケットに手を突っ込み、風に押されながら屋上をあとにする。
どうせ答えなんて今すぐ出やしない。
だから――また明日の夜に考えよう。
いつものように、ここで。
翌日。
俺は――交通事故にあって、そのまま他界を果たした。
……え、ちょっと待て。
あっけなくね?
昨日まで夜景見ながら「また明日考えよう」とか言ってたのに、その“明日”が来た瞬間これである。
考えるどころか、考える俺ごと消滅。
まさか自分の人生の幕引きが、こんな雑な形だなんて、誰が想像しただろう。
少なくとも俺じゃなかった。
……眩しい。
確か、俺は――事故で……?
いや、待て。地面に叩きつけられる痛みも、血の匂いもない。
代わりに、草の匂いがした。
柔らかい風が頬を撫で、耳に聞き慣れない鳥の声が届く。
ゆっくりと目を開ける。
そこに広がっていたのは、見渡す限りの草原だった。
空は異様に青く、雲は手で掴めそうなくらい近い。
「……え、どこだここ」
体を起こし、辺りを見回す。
ビルも道路も信号機もない。
ただただ広がる大草原に、俺ひとり。
「……マジで、どこだよここ」
風は心地いい。けど、どう考えてもここは日本じゃない。
いや、日本どころか地球ですら怪しい。
そして、俺の目の前に――
『ステータスを開きますか?』
……と、空中に光る文字。
はい、出ました。完全にゲーム仕様。
「いや、こんなの夢でしか見たことねぇよ……」
そう呟きながらも、俺は迷わなかった。
躊躇わず YES をタップした。