四 企業会計原則と商法
僕は何か恐ろしさと不気味さを覚えた。
「いったいどうなっているんだ」
そんな不気味さを感じながらも、僕は過去の資料をさらに調べることにした。一冊一冊、一枚一枚、丹念に目を通していった。
1時間ほど経ったときだっただろうか。僕は、一式の資料に目を留めたのである。それは、昭和30年代、学生運動が激化していた時代の会計研究会の活動記録と、それに付随する学生組織の資料だった。それらの資料には、「コンテンラーメン同盟」と呼ばれるグループが、ただの秘密結社というよりも、むしろ学生たちが企業会計原則を反映した商法となるよう、その改正を求める運動を行うために結成した政治的な学生組織の一端であることが示されていた。彼らは、当時の企業会計原則の精神を反映した商法改正を強く要望する学生運動を行っていたのだ。
僕はその時の資料を読みながら、次第に事実が明らかになってきたことに気づいた。細田教授の“秘密結社”は、じつは政治的な学生運動の一環として生まれたものであり、当時の社会的な動きの中で、企業会計原則の精神を反映した商法改正を求めるための組織だったのである。
細田教授らは、商法における計算規定と企業会計原則の不一致が、結果的に彼らが誇りをもっていた我が国特有の企業会計制度の欠陥となってしまうことに反発し、そのために秘密裏に、というよりは、だいだい的に学生組織として政治的働きかけを行っていたものと思われる。彼らの活動は、表向きは学内サークルの体裁をとっていたが、実際は、より大きな社会的・政治的な運動の一部だったのであろう。
僕は、その事実に戦慄した。僕が最初に壁の文字に惹かれたのは、単なる好奇心や都市伝説の面白さではなく、歴史の一端を垣間見た結果だったのだ。かくして、細田教授が、何も秘密結社のリーダーなのではなく、当時の学生運動の中心人物の一人だったということを僕は理解したのである。
そして、心の奥底で悟った。
「最初に抱いていた、“秘密結社”という誤った解釈は、実は歴史的な政治運動の一端に過ぎなかった」
その甲斐あってかどうか定かではないが、昭和37年4月、企業会計原則の精神を反映した商法改正は行われたのである。ただ一方で、彼らはこの商法改正に強く抗議を続けた。なぜなら、商法における計算規定の一部分で、企業会計原則の精神が反映されず、逆に企業会計原則の修正を求められることとなったからである。
だが、その努力もむなしく、最終的には企業会計原則の一部修正が行われ、その運動も終息した。学生たちの会計学徒としての精神でもあった企業会計原則は、社会の流れの中で一部修正を余儀なくされ、彼らの理想と現実の間に大きな隔たりが生まれたのである。
僕は、壁の裏に隠されていた歴史の真実を知ることで、何とも言えない複雑な気持ちになった。
おそらく、壁裏に閉ざされた紙片の“コンテンラーメン同盟はその体系を引き継ぐ”とは、後世への企業会計原則の精神の引継ぎであると同時に、永遠に閉ざしたい無念の表われだったのではないだろうかと我ながら、推察する。
結果的に、僕の大掃除が、会計学徒として、社会や歴史の深層に触れ、時代の矛盾や抵抗の姿を垣間見る貴重な時間となったことをここに書き留めておく。
なお、今回、この記録についての同人誌掲載は見送ることとした。
この件は、黒木にも伝えず、”大掃除の見返り”とまではいかないが、僕だけの貴重な史料とさせていただこう。