一 大掃除
休日、僕と黒木は会計学科の細田教授に頼まれ、教授が顧問を務める薄汚れた古い蔵書だらけの会計研究会の部室の大掃除をふたりで行う予定だった。“ふたりで行う予定だった”というのも、黒木が風邪を引いたせいで結局、僕一人でやるはめになったからである。
サークルの部室は、本来、サークル棟にあるのだが、じつは会計研究会だけ、2階建ての旧会計学院棟の1室が割り当てられており、旧棟のほかの空き部屋は、蔵書保管庫として利用されている。
そんな静かな午後の光に包まれていた会計研究会の部室で、僕は一人、古い部室の壁に書かれた、ずいぶんとかすれて、くすみ消えかかった奇妙な文字に目を留めていた。
「これ何だろうな」
僕は一人ぼそっとつぶやいていた。
そこには“テン・ラーメン”と書かれてあった。10杯のラーメンという意味だろうか。だが、そんなことを言おうものなら、間違いなく床に臥せている黒木に馬鹿にされよう。ただそう思いつつも、床中に転がる未開封のカップ麺に意識がいってしまい、どうもそれと分けて考えることもできなさそうなのである。
とは言っても、所詮は大学の部室の過去の落書きにすぎない。深い意味などないはずである。どうせ、当時の不学な学生たちが講義をさぼって部室で十人、肩を並べラーメンを食べながら、悪ふざけで“テン・ラーメン”と書いたに違いない。そう自分に言い聞かせて、僕は淡々と部室の清掃と、部室にとっちらかった蔵書の整理を行っていた。
棟の空き部屋が蔵書保管庫として使われており、会計学科の教授たちも、たびたび会計研究会の部室でひといきつくことが多いことから、学部の学生には、到底読めないであろう外国の文献もあちらこちらに積み上げられていた。
「『COST ACCOUNTING』、原価計算か」
一冊一冊、背表紙だけ、チラ見しながら、ジャンルごとに整理していると、ちょうど細田教授が部室に入ってきた。
「おお、銀杏君、どうだい進捗は?」
「このとおり、散らかった蔵書の整理だけでも、果てしない作業ですよ。ここらへんに散乱しているごみは積年の学生たちのものだと思いますが、ここらへんの蔵書は先生方のしわざですよね?こんな外国文献、うちの学生なんか読めませんよ」
僕も相当疲れていたのか、おもわず本音が漏れ出てしまった。それでも細田教授はそんな僕をねぎらい「悪いね、まあ、これでも飲んでもうひと踏ん張り頼むよ」と言って、缶コーヒーを手渡してくれた。
「ありがとうございます」
僕はそう言って、さっそく缶コーヒーを開けて小休憩に入った。