60 この匂いに抗える人はいるのかしら
学園祭当日、今年もよく晴れて絶好の学園祭日和だわ。雨が降ったらかまどもテラスも使えないものね。もしそうなっても魔法でなんとかしそうだけれど……私以外の誰かが。だって、かまくらじゃ雨除けにはならないから、他力本願なのも許して。
うちのクラスは朝早くから集まって、カレーとおにぎりの準備中。薪割りも前日までに男子達がしてくれていたから、火もすでに熾きているわ。研いで浸水したお米の第一弾が炊かれ始めた。
あら、男子達が直立不動になっているわ。もう、仕方がないわね!
「お父様! クラスメイトがみんな緊張してしまっているわ!」
「ああ、すまん。若い人が米を炊いている姿が珍しくて、つい凝視してしまった」
「お父様も! そんなに近付かなくても見えるでしょ!」
「だってー、気になるからさー」
ヘンリー小父様、『だってー』って。外務大臣なのにいいの?
今日は、うちのお父様、ユージェニーのお父様のグラント侯爵、森さんのお父様のファニング子爵もこの学園に来ている。あくまでも極秘でお客様の反応を観察したいとのことで、大臣としてではなく、いち保護者として紛れ込んでいる、つもり。早速クラスメイト達をビビらせているわ。そりゃあね、国の要人がこんなところで学生をガン見していたら怖いわよ。
ふたりはしゅんとして、ファニング子爵の座るテーブルへ戻っていった。森さんのお父様が一番落ち着いていらっしゃるわ。今日のお米は、ファニング子爵領から運んでこられた物なの。国産米第一号! ピッカピカの新米よ!
お米が炊けたら、手分けして塩おにぎりとめんつゆを混ぜたおにぎりを量産していった。おにぎりはオルコットさんがリーダーとして活躍している。頼んだわ!
めんつゆおにぎりの方は、ピザ窯で焼いていく。香ばしい匂いが漂ってきた。ソワソワと窯が気になって落ち着きのないおじさん達に、焼き立ての焼きおにぎりをひとつずつ差し入れしておいた。おじさん達が嬉しそうに、アチアチとおにぎりをかじる姿は萌えるわ。
カレー班は優さんが中心となって、キートン先生も一緒に進められている。一応レシピ通りのはずだけど、さっき『季節外れのトマトを見つけた』とか言いながら刻んでいたから、得意の『これも入れちゃえ』が発動するかもしれない。まあ、美味しければいいか。
森さんは自分のクラスのお化け屋敷の設営を手伝ってから、こちらに合流してくれる予定。それまでに私は、『いにしえの古文書解読研究会』のブースをテラスの端っこに設置した。と言っても、机をひとつ置いて、小さく倶楽部名を書いた紙を貼っただけ。机の上には本を並べてお金を入れる缶を置き布を被せておいた。煤が飛んできたらいけないしね。
「これなあに?」
準備をしていると、クラスメイトの男子に聞かれた。
「えっと、私の入っている倶楽部のなんだけど、部員全員がカレー屋をやっているから、ここでお店を開かせてもらったの。倶楽部の活動誌? みたいなやつ」
「へえ、あ、女の子向けなんだね」
チラっと布をめくると、表紙だけで興味を失ったようだ。うん、それでいい。君の反応は正しい。こちらは細々とやっていく所存だ。
クラス委員達とテーブルの確認をしていく。紙ナプキンよし、紙皿とスプーンもよし。
カフェテリア横の売店では、おばさまが飲み物の準備をしてくれていた。
「ヴァイオレットちゃん、去年と同じく冷たい飲み物にしといたよ。コーヒー、紅茶、オレンジジュース。それにリクエストのあった、飲むヨーグルトもね」
「ありがとうございます。これ意外とカレーに合うんですよ。氷はここに出しておきますね」
私はカラカラと飲み物用のかち割り氷を、アイスペールに出しておいた。カレーの辛さが苦手な人にはラッシーがいいと言うもんね。だからそれに似た飲むヨーグルトをリクエストしておいた。今回のカレーはそんなに辛くないんだけど、一応ね。
そこまで確認が終わったら、おにぎりを包む作業に入った。サンドイッチを包む用の紙で、塩おにぎりと焼きおにぎりを一個ずつセットにして包んでいった。まだ三十五セットほどだ。今日の目標は百セット。どんどん炊けた順に作っていかなくては。
土鍋はうちにある八個全部持ってきたから、一度に四つのかまどで炊いて、終わったら次の鍋を四個火にかけるというようにフル回転の予定だ。なんせ米だけは沢山用意されている。
お父様達はじっとしていられなくなったのか、薪割りを買って出たようだ。男子達は慌てているけど、ファニング子爵の腰の入った堂々たる割りっぷりに、任せることにしたようだ。まだまだご飯は炊かなくちゃだもの。薪も余分にあったほうがいいわよね。
カレーは、大きな寸胴鍋に二つ分、これ何人前なんだろう。多すぎて良くわからん。物凄くいい匂いがしてきた。
「いや〜、今日はめちゃくちゃ芋の皮を剥いたわ。次はあれがいるわね、ピーラー」
優さんは首をコキコキと鳴らしている。
「お疲れさま。こっちにも美味しそうな匂いがしていたわ」
「でしょう? この匂いに抗える人はいるのかしら」
「うん、いない」
だってさ、他所のお宅からカレーの匂いがしたら、もう頭はカレーでいっぱいになるよね? カレーを食べたことのないこの世界の人にも、ぜひそうなっていただこう。
「ポスターを学園中に貼ってきたわ!」
この声はアニーさんね。今年もいつの間にかポスターを描いてくれていたみたい。ありがたや。
「うぐっ、これって――」
「ええ、例の本の表紙の女の子よ。ついでに、本の宣伝もしとこうかなって」
今年のポスターは、『真実の愛の裏側』の表紙に描かれている金髪の令嬢だわ。ただし、涙を流すのではなくカレーライスを前にスプーンを持って微笑んでいる。バックにはもちろん花を背負っている。花を背負った令嬢とカレーライス。シュールだわ。
「ほらここ、知ってる人にだけ分かるよう書いといたから」
「『真実の愛に辟易したあなたも、こちらでお待ちしています』って。秘密の暗号みたいね」
「どんな本なのか噂で聞いている人は、この女の子の絵でピンとくるかなと思って」
「そうかも。うちの母達も欲しがる人には『聖フォーサイスの学園祭で……』って、ほのめかしといたって言ってたわ」
「アニーさん、今年もポスターを描いてくれてありがとう」
「いいのよー、好きでやっているだけだから」
照れてツンとしようとしてるけど、隠せていない。かわいい。
「ご飯が炊けたよー」
「はーい! じゃあ残りのおにぎりもちゃっちゃと作りますか!」
「もう時間がないわ。急ぎましょう」
自分のクラスの設営を終わらせた森さんも合流し、大急ぎでおにぎりを仕上げていった。
◇◇◇◇
「お父様達、くれぐれもバレないようにしてくださいよ」
「わかってるよ。ちょっと観察するだけだから」
そのちょっと観察がガン見にならないようにねって意味よ。小父様達も目立たないように小さくなっているけど、逆に目立つような……まあこれ以上は仕方ないか。
とうとう学園祭が始まった。今年もお客さんは来てくれるかしら。
「いらしていたのですね、大臣」
お客さん第一号にバレてるじゃない。まあ、学園長先生だから当然か。
「学園長、今日は極秘視察でね。保護者として見てくれないか」
「分かりました。どうぞごゆっくりされてください」
そう挨拶を済ませると、学園長は会計の方へと歩いてきた。
「いい匂いだ。カレーライスを貰おうかな」
「ありがとうございます。四百ペナです」
お米は国がファニング家から買い上げて、サンプルとして今回提供されている。なのでスパイス代がちょっと掛かったけど、比較的安価で提供することが出来たわ。
「本当にいい香りだ。私は試食をさせてもらっているからね。この匂いを嗅ぐとあの味を思い出して食べたくて仕方がなくなる」
「ふふっ、それがカレーのすごいところですわ」
学園長先生に続き、他の先生方もカフェテリアから顔を出した。毎度のことながら、生徒より先生の間で噂になっているのが面白い。
「やあ、いい匂いだね」
「ネイサン先生も早いですね」
「うん、職員室までカレーの匂いがしていてね。先生方も気になって仕方がなさそうだったよ。カレーライスとおにぎりの両方もらうよ」
「ありがとうございます。両方で五百ペナです」
手には飲むヨーグルトを持っている。売店のおばさまに勧められたのかしら。両方食べるだなんて、意外と食欲旺盛ね。
「スパイシーでうまい! それにこのお米、ツヤツヤなんだね」
「ええ、今年採れたばかりの新米ですの。モリーさんの領地で育てたものですよ」
「へぇ、そうなんだ。とても美味しいよ」
先生もおにぎりを手に持って美味しそうに食べている。パンだって手で食べるものね。抵抗がなくてよかった。
「あの、ここで本が手に入ると聞いたんですけど」
二人組の女子生徒から声を掛けられた。
「ええ、こちらですよ。よく分かりましたね?」
「先輩から噂で聞いたんです。どんな本か読んでみたくて。図書館のはずっと予約が入ってて回ってこないんですもの」
「そうなるともう余計に気になって! 一冊ずつください」
ブースには森さんがいた。お金を受け取ると、本を一冊ずつ渡した。ふたりは本を胸に抱え、ついでに隣のブースを珍しげに見ておにぎりを買ってくれ、嬉しそうに駆けていった。廊下は走っちゃだめだぞー。
「ヴァイオレットさん、そろそろあちらも見に行った方が良いですよね」
「ええ、お化け屋敷ね。ユージェニーを呼んできましょう」
私達三人は森さんのクラスを確認するために、クラスメイトに頼んでカレー屋を抜け出した。




