54 ノリノリのノリ
翌朝、ヘンリー小父様は朝食もそこそこに王都の仕事へ戻って行かれた。昨日の晩餐で何か思い付かれたようで『忙しくなった』と、なぜかとても楽しそうにされていた。
私達はというと、朝食後ジェームズ小父様の案内で、邸の裏手にある森へ行くことになった。森と言っても鬱蒼とした暗いものではなく、木漏れ日の中で爽やかな朝のお散歩という感じ。この森も全てグラント侯爵家の私有地内なのだそう。
「ジェームズ小父様、この森は熊など出ませんか?」
森さんが心配そうに聞く。
「ハハッ、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。このあたりに大型の動物はいないんだ。街にも近いしね。精々、うさぎだのリスだのに遭遇するくらいかな。もちろん山の方に行けば、熊やイノシシ、鹿なんかも見られるけど」
「いえいえいえ、うさぎで十分です」
ジェームズ小父様がいたずらっ子の顔で言うと、森さんが両手を振り慌てて断わった。私もちょっとホッとした。だってポンコツだから、熊と戦えるような魔法は使えないもの! まあ、護衛の騎士達も後ろから見守ってくれてるけどね。
「お父様、あったわ!」
何かを探すようにキョロキョロとしていたアンジェラさんが、ある一本の太い木を指差して嬉しそうな声を上げた。それは遠目でもわかる幹が黒い木で、前世今世合わせても見たことがない。なんだあれ? 一本だけ焦げたのかしら? でも葉っぱは深緑だし生きてるよね。
私がいぶかしげな顔をしたのがわかったのか、優さんが教えてくれた。
「あれが『ノリーの木』よ」
「ああ! だから黒いのね!」
近付いて見ると、所々で樹皮が剥がれたようになっている。ジェームズ小父様がその角と角を両手で摘み、ゆっくりと引っ張る。
「これをこうやって剥がすんだ」
するとペリペリペリときれいな四角に樹皮が剥がれた。ちょうど焼海苔一枚分くらい。
「わあ、凄いわ。私もやってみていいですか?」
「もちろんいいよ」
森さんが早速挑戦した。小父様のように、剥がれかけた一片の角を摘むと、ペリペリペリ!
「わ、出来たわ」
「初めてなのに上手に剥がれたね」
森さんが剥がしたものも、ちょうど焼海苔一枚分くらい。勝手にそのサイズに剥がれるみたいね。私も挑戦してみようっと。ペリペリペリ!
「わあ、本当に海苔だわ」
匂いもくんくんと嗅いでみる。うん、森なのに磯の香り。どういう仕組みでそうなったわけ? 端をちょっとちぎって口に入れてみる。うん、間違いなく海苔だわ。しかも前世なら高級な方の真っ黒で艶のある海苔。海苔を剥がした後も幹は真っ黒で、またしばらくすると樹皮が剥がれてくるらしい。
私達は夢中になって海苔を収穫した。よく見ると近くに他のノリーの木も生えていて、さながら『海苔狩り』だわ。このペリペリ剥がすのがすっごく楽しくて、みんなノリノリである。海苔だけに。
収穫した海苔は、蓋付きのクッキー缶へ入れていった。
「ロジャーもいっぱい収穫できたわね」
「うん、僕ノリーを巻いたおにぎりが大好きだから」
「私も大好きよ!」
最近また少し背が伸びて少年らしくなったロジャーだけど、やっぱりかーわーいーいー!
帰りは侯爵邸の裏庭を案内してもらいながら歩いた。裏庭なので花壇で整備された中庭とは違って、果物の木や邸で使う家庭菜園のようなものもあった。
「あ、あれは桃かしら」
ある一本の木に、赤くてツルンとした果実が生っていた。日本の白桃のような桃ではなく、どちらかと言えばネクタリンのような、毛の生えていない桃だった。
「そうだよ。採って帰って後で食べようか」
「「「わーい」」」
優さんとロジャーは特に喜んでいる。これ、よっぽど美味しいんだろうな。私達は手が届くところの桃を採り、かごに入れていった。なんかいい香りがする〜。果物の香りって幸せな気分になるわね。
「叔父様、菜園にも寄りましょうよ。何か生っているかも」
「ああ、そうしようか」
優さんが提案すると、ジェームズ小父様は笑顔で頷いた。
「わーきれいな畑ですね! どの葉っぱも元気で」
菜園に着くと、目をキラキラさせた森さんが感嘆の声を上げた。実家の畑を見ているからわかるのかな、さすがは森さん。
「ここは庭師達が趣味でやっているような菜園でね。最初は仕事の片手間にやるお遊びかと思っていたんだけど、これがなかなか美味い野菜なんだよ。今じゃ旬の野菜はほとんど、ここで採れた物を食べているんだ」
さすがは庭師さん。草花や樹木だけじゃなく、野菜を育てるのも上手なのね。作業をしていた庭師さんからも、快く収穫の許可をいただいた。
ふと生っている野菜を見ると、見覚えのあるアレが……
「ユージェニー! これは!」
「ワドレ瓜よ。今年はうちでも種を蒔いてもらったの」
そう、以前うちの領地へお土産として持ってきてくれたワドレ瓜。すり下ろすとなぜか和風ドレッシングの味になる不思議な野菜だ。
「なんですかそれ? 初めて見ました。きゅうりみたい」
「フッフッフッ、あとで見せてあげるわ」
森さんの質問に、悪い顔で答える優さん。驚かす気満々だわね。
「あとは、トマトにきゅうりとオクラ、とうもろこし。あ、青紫蘇もあるわね」
「ユージェニー、あれをやりましょう! 採り立ての海苔もあるし、猛烈に手巻き寿司が食べたくなってきた!」
「刺し身はないけど、玉子とかお肉で出来そうね」
「いいですね! じゃあ私、青紫蘇を摘みます」
森さんがせっせと青紫蘇を摘み出した。一緒に巻くと美味しいんだよね〜。
急に張り切りだした私達三人に、小父様とアンジェラさんはポカンとしている。ロジャーは慣れたものなのか、『また美味しいものが食べられるかも』って顔をしてワクワクと見ている。
「これくらいでいいわね。小父様、私達ちょっと厨房にこもりますわ」
「お、おう」
◇◇◇◇
厨房にはアンジェラさんもついてきた。料理長に昼食を作ってもいいかと尋ねると、
「ユージェニーお嬢様だけじゃなく、御学友のお嬢様方も料理をされるんですか? 近頃の王都の学園は進んでいますな」
と、勝手に勘違いしてくれた。他のご令嬢はそんなことしないと思います。私達は中身がアラサー社会人なので……すみません。
ご飯は料理人が炊いてくれるとのことで、水を気持ち少なめでとお願いした。さすがはグラント侯爵家の料理人、ご飯を炊くのも慣れているみたい。
「ユージェニー姉様、今から何をするの?」
「せっかく海苔を採ってきたから、それを使った昼食にしようかと思って」
「炊いたお米に甘い酢をかけて酢飯にするのよ」
「海苔に酢飯を乗せて、好きな具を包んで食べるのです」
私達は口々に手巻き寿司の説明をした。アンジェラさんが手伝いたいと言ってくれたので、海苔を手巻きサイズに切ってもらうことにした。海苔に折り目を付けて、ピリピリと割いていく。
優さんは玉子焼きを焼いてくれた。それを巻きやすいように棒状に切る。ウインナーも炒めてくれている。
私は持参しためんつゆの実を使って、鶏の照り焼きと生姜を効かせて鶏そぼろを作った。少し砂糖を加えて甘めに作ってみた。
森さんは青紫蘇を洗って、きゅうりも棒状に切っていった。
「このチーズとハムも使っていいですか? あ、アボカドもある」
「どうぞ、なんでも好きに使って大丈夫ですよ」
料理人の許可をもらった森さんは、それも巻きやすい大きさに切っていった。オクラは茹でて硬いヘタの部分は切り落とし、長いままめんつゆの果汁に漬け込んだ。
「醤油がないからね、マヨネーズを作ろうか」
「いいわね、じゃあ泡だて器と玉子と酢と……」
私達のやけに手際の良いチームプレイを見て、料理人達は呆気にとられている。
何度も言いますが、中身はアラサー社会人――
大皿に作った具材を彩りよく並べると、炊けたご飯に酢と砂糖と塩で作ったすし酢を回しかけた。
「なにか扇ぐものをください!」
するとアンジェラさんが扇子を持ってきてくれた。夜会にでも使えそうな華やかなやつだけど、いいのかしら。
優さんが持参したしゃもじで混ぜ、私と森さんが扇子で扇ぐ。完璧な布陣だ。
酢飯がツヤツヤになって湯気が出なくなったら出来上がり。
「厨房を貸してくれた御礼にどうぞ」
少し取り分けていた具材と酢飯を、料理人さんたちにも食べてもらう。優さんが『こうやるのよ』とひとつ作ってみせて、料理長に渡した。
「米に酢なんかかけて大丈夫なのかと思いましたが、意外といけます。あとで合わせ酢のレシピを教えてください」
他の料理人さん達も真似をして手巻きを作ると、美味い美味いと食べてくれた。
ここの人達はお米を食べ慣れているから、酢飯にも抵抗はないみたい。
◇◇◇◇
給仕のメイド達に手伝ってもらい、食堂まで手巻き寿司のセットを運んだ。
「わあ! 今日はおにぎりじゃないんだね?」
「華やかなパーティー料理みたいだな。とてもきれいだ」
「本当ね。あら、ノリーはご飯に巻かないのかしら?」
ロジャー、ジェームズ小父様、グラント夫人が手巻き寿司セットを見て、不思議そうにしている。フッフッフッ海苔は色んな使い方があるんですよー。
「じゃあ私がやってみせるわね。こうやって海苔に酢飯を広げて、好みの具材を乗せる。お好みでこのマヨネーズというソースを乗せてもいいわ。こうやって巻いて……おいひい〜! お行儀なんて今日は忘れて、手で巻いてね」
優さんがモグモグと食べると、みんなの喉がゴクリと鳴ったのがわかった。
「ん、ご飯とノリーで具を巻くと美味しいわ! この鶏肉も初めて食べる味だけど好き」
「アンジェラさんありがとう、それは鶏の照り焼きと言うの。うちの領地から持ってきためんつゆの果汁を使った味付けよ」
「へえ、面白いね。そんな果実は初めて見たよ」
ジェームズ小父様に茶色いオレンジのようなめんつゆの果実を渡すと、珍しそうに匂いを嗅いだりひっくり返して見たりしている。ひとつだけ小父様に見せて、残りはそうめんと一緒にお土産として箱ごと執事に渡しておいた。
「私はこの味付けひき肉と玉子焼きが好きだわ。とっても合うの」
グラント夫人も鶏そぼろの味付けを気に入ってくれたみたい。ロジャーも静かだと思ったら、すでに口の中がいっぱいのようだ。他所でやったら怒られそうだけど、今日はいいわよね。
「やっぱり醤油があればなぁ……アボカド巻きに付けたい」
ボソリと森さんが呟いたのを、優さんは聞き逃さなかった。
「醤油はないけどさ、これも合うわよ。ジャーン」
ワドレ瓜とおろし金を持って登場した。『見てて』と言うと、勢いよくすりおろし始める。
「え、なんで茶色くなるんですか?」
「なんでかわかんないけど、茶色くなるのよ。食べてみて」
森さんはアボカドを皿に取り、ワドレのすりおろしをかけて食べた。
「は? 和風ドレッシングじゃないですか。しかも玉ねぎが入ったやつ」
「だけど瓜なんだよねぇ」
「瓜かぁ。これだけ醤油を使ったような調味料があるのに、醤油はどこに隠れているんでしょうね?」
「国中を探せばいつか見つかるかもね。たぶんどこかで細々と作られているのよ」
他の人達は手巻き寿司を食べるのに忙しく、私達の会話は気にしていなかった。どの組み合わせが美味しいのか、試すのに夢中になっている。
「海鮮がなくてもいけるわね。オクラもいい感じ」
「うん、懐かしい味だわ。マヨネーズも作って大正解」
「こっちの人には、こういうチーズとかお肉で作った方が合いそうですね」
私達も好きなものを巻いて、大いに手巻き寿司を楽しんだ。すっごく美味しい!
デザートには先程裏庭で採った桃が出てきた。少し甘酸っぱくてどんどん食べられちゃう。またも食べすぎてしまったわ。




