50 真実の愛とは
「ねえ、結局、真実の愛ってなんなのよ」
ここは『いにしえの古文書解読研究会』の部室。唐突にそう切り出したのは、図書室から借りてきたロマンス小説を読んでいた優さんだ。巷では、『真実の愛に目覚めた』とか言って婚約者を捨て、ヒロインである別の女性と結ばれる小説が流行っているらしい。
「まるで乙女ゲームじゃないですか」
森さんの言葉に、『たしかにな』と納得した優さんと私。どの時代もこういう話に女子は惹かれるのかもね。
「だけどさ、立場が違ってくると見え方も変わってくると思うのよ。この婚約者の立場に立って見ると、ふざけんじゃねぇだわ」
「そうよね。どんなに綺麗事を言ったところで、やってることはただの浮気だもの。それを正当化されてもねぇ」
「本当そうですよ。それで婚約者の方が悪者扱いとか納得いかないです」
この手の小説は、私達当て馬悪役令嬢(仮)にとっては、敵のようなものなのだ。
「真実の愛とか言うんだったら、ヒロインとくっつく前に婚約者と別れるべきじゃない?」
「それ! 誠実さがないんだよね。それでもしヒロインに振られたら、婚約者と何事も無かったかのように結婚するんだわ」
「うわぁ、なんですかその最低男。滅びてしまえ」
だいぶ現実とリンクしてきている。呪詛まで飛び出してきた。
「なにより公衆の面前で婚約破棄とか意味がわからんのよね」
「人前で『俺は浮気をして婚約者を捨てるクズです』って言ってるようなものでしょ」
「なのにいけしゃあしゃあと、婚約者を国外追放とかにするんですよ。どの口で言ってるんだか」
「「「真実の愛を免罪符にするなーー!」」」
ハアハア、少しヒートアップしてしまったわ。
好んで乙女ゲームをプレイしていたくせに、すっかり棚に上げている。だって、あの頃はヒロイン目線でやっていたから考えもしなかったんだもの。
「こんなものが流行ってるから、私達が悪役令嬢扱いされるのよ」
「本当それ。みんながみんな、この風潮に共感しているわけではないと思いたい」
「そうですよ。婚約者がいるお嬢さんからすると『明日は我が身』だと思いますよ」
「だったら、君たちが書いてみたら?」
「「「ネイサン先生!」」」
いやだ、ヒートアップしすぎてノックの音に気付かなかったわ。どこから聞かれていたのかしら。恥ずかしー!
「僕も常々同じことを思っていたんだ。婚約者を大事にしない最低男なんて、滅びてしまえってね」
あ、その辺りから聞いていらしたんですか。
「でも、私達が書くって?」
優さんが当然の疑問を投げかけた。だって私達は小説家でもなんでもない、ただの学生だもの。
「君たちなら書けると思ったんだ。ネタもあるだろうし、普段からロマンス小説を読んでいるなら、その逆のパターンにすればいい。そうだな、いきなり長編を書くより短編集のほうがとっつきやすいかもしれない」
「短編集……」
「そうだ。ひとり二話ずつ書けば六話分は出来るだろう? それを一冊の本にまとめる」
「なるほど…それならなんとか」
優さんは少し乗り気になっているようね。私も前世で、通勤時間や昼休みにネット小説を読んだりしていた。婚約者の男と腹黒ヒロインにザマァする話は人気の題材だったから、いくつも読んだわ。
「じゃあ、浮気をした男とヒロインにザマァして、婚約者の方を救う話に持っていけばいいですか?」
「いや、それじゃ駄目だ。ヒロインは純粋無垢で男に騙された方がいいかな。例えば婚約者がいることを隠されていたとか。ヒロインの方も被害者にするんだ」
「なぜヒロインまで被害者にするのでしょう?」
森さんがネイサン先生に尋ねる。
「女性というのは自分のパートナーが浮気した場合、パートナーより浮気相手を恨んでしまいがちなんだよ。だから今回はヒロインも被害者にして、徹底的に男だけがクズだと思わせる」
「おお、なるほど」
その通りだわ。ヒロインも腹黒にしてしまうと、恨む相手が二分されてしまう。
「先生、お詳しいんですね」
「え、ああ、その分野をちょっとかじったことがあるから」
すごいわ。魔法学だけじゃなく、心理学まで造詣があるだなんて。
「あとはそうだな、カップリングを一話ずつ色んなパターンにしようか。王族と貴族令嬢、高位貴族と下位貴族、平民同士のパターンもあるといいな」
「それも何か意味があるんですか?」
「読み手が感情移入しやすいようにだよ。自分と同じ立場の方が気持ちが分かりやすいだろう? 色んな人に読んでもらうには、貴族だけ平民だけよりバラけさせた方がいいと思うんだ」
「ほ〜先生、さすがですね」
「ふふっ、僕もちょっと楽しくなってきただけだよ」
ネイサン先生もノリノリである。まるでロマンス小説を読み慣れているかのようね。
「だけど、男性からは反発が起きませんかね」
森さんの心配ももっとももだわ。だって全編通して男性が悪者なんですもの。
「心配ないよ。男はロマンス小説なんか手に取らないから」
「それもそうですね」
「なんなら、乙女チックな表紙にでもしとくか? 男が手に取るのは憚られるようなキラッキラの絵で」
「あ、だったら美術部に頼むといいですよ。キラッキラの男女の絵が得意な子がいるので」
私は、あの学園祭のポスターを描いてくれた彼女を思い浮かべた。前世の少女マンガのような、花を背負った王子様とお姫様みたいな絵がとにかく上手いのだ。
「ああ、あのポスターの。それはいい、あの画風は女性には受けるけど男は手を出しにくい」
「じゃあ、何話か出来た時点で読んでもらって、表紙にしてもらいましょうか。彼女なら内緒で仕事を受けてくれると思いますよ」
「うん、ノリノリでやってくれそう」
優さんも同意する。なんなら挿絵まで描いてくれそうよね。
「よし、そうと決まればしばらくの間、倶楽部活動は小説の執筆にあてよう」
「「「はーい」」」
あ、肝心なことを忘れていたわ。
「先生、いきなり素人が出版社に持ち込んで、本を出してもらえるものなんですかね。それとも自費出版かしら?」
「今までにない新しいパターンの小説だから、出版社も飛び付くとは思うけど……今回は自費出版にしよう。本屋に並べるんじゃなくて、ジワジワと口コミで流行らせたいんだ」
「自費出版ですか。そのあたりのやり方がよく分からないんですけど」
「一冊からでも自費出版できるところに伝手がある。それに、この倶楽部の部費は丸ニ年の間一ペナも使っていないんだ。それを印刷代に使うかな」
倶楽部で使う資料は、たいてい学校の図書館か王立図書館で借りるものね。うん、活動に一ペナもいらないわ。
「だけど、部費を自費出版に使っても大丈夫ですか?」
優さんが心配そうに聞く。
「まあ大丈夫だろう。そもそも本に関する倶楽部だしね。美術部なんかも、部費で買った画材を使って、描いた絵を売って活動費にしてるし。それと同じだ。他の運動部も打ち上げ代にしたりとか、結構緩いんだよ」
「ではそちらは先生にお願いします」
「ああ、任せてくれ。君達がこの本で世の中の流れを変えるんだ」
こうして私達は、しばらくの間『にわか小説倶楽部』となった。