35 夏休み ファニング子爵領訪問
ザッパーン! ドッパーン!
こんにちは、ヴァイオレットです。私は今、森さんの故郷ファニング子爵領へ来ています。
ザッパーン! バッシャーン!
王都から馬車で三日。道中は森さんと優さんの三人でおしゃべりするのが楽しかったし、宿場町の宿に泊まるのも新鮮で楽しかった。おやつもクッションも馬車に持ち込んでいたから、案外疲れはなかったわ。
ドドーーン! ザッパーン!
「東尋坊かな?」
あぁ、優さんの独り言だから気にしないで。私達は昨日の夕方にファニング子爵家に到着して、森さんのお兄様のドミニクさんと、妹のケイティさんを紹介してもらった。ご両親は少し離れた別邸の方で薬草畑の視察をしていらっしゃるとのことで、しばらくご不在らしい。
そして、今日は朝から念願の海に来ています。
「すみれさん、優さん、ここはファニング領の観光名所になっているんですよ」
「うん、すっごい崖だね」
「サスペンスドラマのクライマックスで容疑者を追い詰めるアレね」
「あっちのお土産屋さんで、『崖パイ』も売ってます。パイの中にチョコとナッツが挟まっていて、おいしいんですけど飲み物必須なやつです」
うん、凄い。本当にど迫力の海なのよ。景色もキレイだし、観光名所になるのもわかる。お土産の『崖パイ』も少し気になってるわ。
だけど、ちょーっとイメージしてたのと違うかな? 青い海、白い砂浜、波打ち際でキャッキャウフフと水を掛け合い戯れる恋人達……は、いない。見渡す限り、岩、岩、崖。波も荒い。見事な断崖絶壁だわ。
「異世界に生まれ変わって、初めて海を見た。凄いわー」
「うん、私も。貴重な体験をさせていただいたわ」
「あれ? おふたりともテンション低くないですか?」
森さんがキョトンとしている。
「大丈夫。北の端っこだと聞いた時から、薄っすらそんな可能性もあるかなって思ってたから」
「南側は隣国だもんね。沖縄とかハワイみたいな海は、うちの国にはないのよ」
「そうですねぇ、南国みたいなヤシの木のあるビーチはないですね。だけど、下の方に行けば磯遊びは出来ますよ」
「磯遊び! なにその楽しそうな響きは!」
「磯遊びする! いこいこ!」
私達のテンションは一気に上がった! 海で遊べるなら、砂浜なんかなくてもいい! 岩場上等!
◇◇◇◇
馬車で磯遊びが出来る海岸近くまで連れて行ってもらうと、森さんからあるものを手渡された。
「はい、これに着替えてくださいね」
「これは何かしら? 白衣?」
「水着です」
「「おぉ!」」
それはまるで、前世の海女さんのような水着だった。白い七分袖の上衣と、ステテコのような膝丈の下衣。胸の辺りと腰回りは布が何重かに縫い付けられていて、透けないように工夫されているようだ。
「そうか、さすがに貴族の娘がビキニってわけにはいかないよね」
「私、そもそも水着の存在を忘れていたわ。そうよね、ワンピースで入るわけないよね」
「この辺では、女性はみんなこれですね。男性は下だけはいてます」
私達は、馬車のカーテンを閉めてゴソゴソと着替えを済ませた。この旅行で同行したのは護衛だけでメイドも連れてきていないので、自分で着替えられる服しか持ってきていないのだ。そもそもドレスなんか必要ないもんね。
「足元はこれを履いてください」
「「おぉ!」」
森さんから渡されたのは、裏側が滑りにくく加工された地下足袋のような履き物だ。
「岩場は滑るし、岩や貝がらで足を切ったら危ないので。あとは頭をこれでまとめてください」
渡されたのはど派手な花柄のスカーフ。それでほっかむりをして、日避けにした。顔と腕には森さん特製の日焼け止めを塗りたくった。馬車から出ると、
「どう? 似合ってる?」
優さんが昭和のモデルみたいに片手を腰に当て、もう片手を耳の後ろに添えるポーズをとった。
「ブフッ、とっても似合ってるわ」
「すみれさんも似合ってますよ。グフ」
「ひ~森さんもさすがの着こなしだわ」
私達はテンションがおかしくなっているのか、みんなで変なポーズを取りあいながら笑い転げた。なんかもう、何をしても楽しい!
森さんに案内されて岩場までたどり着いた。ここはそんなに波も荒くないし、潮もちょうど引いているみたいで、海に慣れていない私達でも大丈夫そうだ。
「では、これを持ってください」
私達はひとりにひとつずつ、バケツを渡された。
「なあに? 海水でも持って帰るの?」
「海水なんかどうするんですか。ここはアワビやサザエがゴロゴロいますから、採って帰って晩ごはんにしましょう」
「アワビ!」「サザエ!」
私達は俄然やる気を出した! のんびり水に浸かってる場合じゃないわ!
「ここ、漁業権とか大丈夫なの?」
「そんなもんありません。地元の人しかこないので、根こそぎ採らず食べる分だけ取っていれば無問題です」
「「了解!」」
「ウニはトゲに毒があるから、触らないでくださいね。慣れた使用人がやりますんで」
「「了解!」」
私達はピシッと敬礼すると、岩場へと向かった。ゴツゴツとした岩と岩の間に水が溜まっていて、なにやら生物がいるようだ。
「あ、ちっちゃな魚がいるー」
「こっちはカニがいるわ。あ、サザエみっけ」
カニやヤドカリと戯れながらも、着々とサザエを採っていった。アワビは岩と同化して見つけるのが難しく、森さんに任せた。
「ん? これなんだろ」
優さんが岩と岩の間にある、小さな赤っぽいものをグニグニと押している。
「それ、触っても大丈夫なやつ?」
「なんかグニュグニュしてる」
「あぁ、それはウーメですね」
森さんはそう言うと、水中にあったウーメを採って口に放り込んだ。
「「えぇっ?!」」
「すっぱっ!」
森さんは顔をくしゃくしゃに顰めた。
「それ、生のまま食べられるの!?」
「はい、梅干しですもん」
「「ハァアア?」」
ちょっと待って、私は今ものすごく混乱している。
「なんでこんな所に梅干しが? いっぱいあるけど誰かが撒いたの?」
「いいえ、こういう生物っていうか藻? みたいなもんです。ほらマリモみたいな」
「いやいやいや、梅が藻ってなに?」
「気付いたら磯にいるんですよ。これを拾って瓶に詰めて、各家庭で保存食にします。この辺りの人達が細々と食べているだけなので、王都にはないでしょうね」
「また細々かい!」
優さんが突っ込む。
梅は塩で漬けるから、海水の中にあるのは理にかなっているのか? いや、でもこれ藻だったわ。ちょっと食べてみようかな……私は恐る恐るウーメを拾って口に入れた。
「すっぱ! 優さんこれ完全に梅干しよ。種もある」
「それは種じゃなくて、核と呼ばれていますね」
「すっぱーー! 本当ね。まさか梅干しが海に隠れていたとは」
「だけど、ご飯がないじゃないですかー。私、前世の記憶が戻った後がっかりしましたもん」
私は優さんと目を合わせ、ニンマリした。
「あるよ、ご飯」
「海苔やふりかけもね」
「マジかーーー!」
お昼は、子爵邸の料理人が作ってくれたサンドイッチを三人で岩に腰掛けて食べた。
公爵家と侯爵家からそれぞれ連れてきた護衛も、御者さんに習ってすぐ側で磯釣りをしている。
「この世界の海苔って、木の皮だったんですね。ふりかけも花の花粉だなんて信じられん」
「梅干しが藻って方が信じられんよ」
昼食後、また私達はサザエやアワビを探した。ウーメも水中にポロポロ落ちているので、お土産にしようと一緒に拾った。
「そうだ、森さん。海があるってことは、ニガリはないの?」
「ありますよ。豆腐ですか?」
「そう! 作れないかなーと思って」
「普通に豆腐屋がありますけど」
「「何ですって!?」」
「誰がやり始めたか定かではないんですけど、昔から細々とこの辺りの郷土食として食べられていますね」
「どれもこれも細々としないで、王都まで流通してこい!」
優さんが吠えた。
森さんが滞在中に食べさせてくれると言うので、久しぶりの豆腐が楽しみだ。