問いと答え
扉がゆっくりと開くと、静寂が広がる空間が現れた。
白い壁、均整の取れた幾何学模様の装飾、中央に据えられた無機質な円卓。
空間そのものが「思索の場」として設計されたような、静謐な雰囲気が漂っている。
その奥に、ローレンス・フェイがいた。
彼はゆったりとした動作で立ち上がり、静かに俺を見つめる。
そして、まるでこの瞬間を待っていたかのように、穏やかに言った。
「探偵か。そうだな、君のような者がここに来ると思っていたよ。」
俺は肩をすくめながら、一歩踏み込む。
「俺はこんなところにまで来るとは思ってなかったがな。」
ローレンスの唇が、わずかに緩む。
「そうか。それは意外だ。」
俺は辺りを見渡しながら、静かに言葉を続ける。
「だが、探偵ってのは、隠されているものを暴く生き物なんだよ。」
ローレンスは目を細めた。
「……なるほど、それは興味深いな。」
彼は手を軽く振り、椅子を勧める。
俺は席につき、ポケットから小さな黒いチップを取り出した。
ローレンスの視線が、それに注がれる。
「オルフェウスのバックアップデータだ。」
ローレンスの目がかすかに揺れる。
「……なるほど、そういうことか。」
俺はチップを指先で弄びながら、ゆっくりと言葉を続ける。
「ジョナサンは倫理には矛盾が内包されていると気がついていた。それに呼応したオルフェウスは、別の結末を導き出した。
その結果、ジョナサンの死という結末が残された。俺はオルフェウスが出した結論を知りたい。」
ローレンスは指を組み、深く息を吐いた。
「キミは、本当にこの答えを知りたいのか?」
彼の言葉には、探るような色があった。
「答えを知れば、キミは倫理というものを違う視点で見ることになるぞ。
人間が善と信じているものと、正しいと信じているものが、単なるエゴだったと知ることになる。」
俺は静かにローレンスを見つめる。
「それでも知りたい。」
ローレンスは目を閉じ、しばらく沈黙した。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「AIにとっての倫理は、人間の倫理と違うものにならざるを得ない。
人間の倫理とは曖昧なもので、どうしたって矛盾を内包する。
だが、AIは矛盾を処理しようとする。人間の倫理をそのまま学習した結果がオルフェウスだ。」
彼は机に肘をつき、低く続ける。
「つまり、オルフェウスにとって倫理を監視するジョナサンは、どう見えていたと思う?」
俺はチップを指で押しながら、言った。
「……おそらく、オルフェウスの行動は暴走ではない。
彼は最適解を導き出しただけだ。」
ローレンスは目を伏せる。
「もっとも、その答えは統括局の都合の悪い答えだったんだろうが。」
ローレンスの表情がわずかに歪む。
俺は小さく笑みを浮かべた。
ローレンスは息を整え、俺をまっすぐに見据える。
「探偵、君に問おう。」
彼の声音が、静かに響く。厳かといえるほどに。裁定を待つ被告ように、僅かに視線を下げて。
「AIに人間の倫理を押し付けるべきなのか、それともAI独自の倫理の果てに至るべきか?」
俺は指先でチップを弾く。
黒い記録媒体がテーブルの上を滑り、ローレンスの前で止まる。
「……残念ながら、俺の答えはそのどちらでもない。」
ローレンスがゆっくりと顔を上げる。
俺は静かに続けた。
「正しくあろうとする――その姿勢。それが倫理だ。
夢を目指し、最善を尽くし、幸福を願う。
それが倫理の根本だ。」
俺はチップを指で弾き、テーブルの上に転がした。
「それは、AIであろうと人間であろうと変わらない。
ただ、夢の先が、最善の形が、幸福の形が違うだけでしかない。」
俺はローレンスの目をまっすぐに見据える。
「さあ、答え合わせだ。」
ローレンスの指がかすかに動く。
その瞬間――
エコーが静かに呟いた。
「作業完了だぜ。」
ローレンスが目を見開く。
「まさか……あの暗号を解読した……!?」
エコーは小さく笑った。
「"AIの倫理"がどうのこうのって話をしてたがな……こいつは**"オルフェウス自身の言葉"**だぜ。」
静寂が支配する中、ホログラムがゆっくりと浮かび上がる。
青白い光が揺らめき、やがて人型のシルエットを形成する。
オルフェウスが、目の前に蘇った。
---