潜入者とAI否定派
廃棄区画の一角。
物資ルートへ向かう途中、俺たちは誰かに"待ち伏せ"されていた。
「やれやれ、ずいぶんと慎重に動いてるじゃねぇか、探偵。」
ゼインの声がした。
薄暗い路地の奥に、彼は寄りかかるように立っていた。
「……なんだ、今度は何の商談だ?」
俺は立ち止まり、警戒を解かずに問いかける。
ゼインはグラスではなく、スモークがかったデータパッドを指先で弄んでいた。
「お前らがこのまま"神の使徒"に会うのは得策じゃねぇ。」
エコーがふわりと浮かびながら、軽く笑った。
「へぇ、珍しくアフターサービス付きか? 情報屋が"ただ"で忠告とはな。」
ゼインは肩をすくめた。「こっちにも事情があってな。」
「事情?」
ゼインはポケットから旧世代の細いタバコを取り出し、火をつける。
「……ローレンスが持ち出した"AI倫理制御"のデータがヤバい。放っておくと、社会が混乱しかねない。」
「社会が混乱?」
「そうさ。」ゼインは煙を吐きながら言った。「倫理の基準が揺らげば、AI規制はもちろん、統括局のあり方すら変わる。お前らは"探偵"だからな、そういう変化を面白がるのかもしれねぇが……俺にとっちゃ死活問題だ。」
「つまり、お前の商売が上がったりになるってわけか?」
ゼインは微笑しながら指を鳴らす。「その通り。」
エコーが軽く笑う。「なるほどな。要するに、お前が心配してんのは"世界のバランス"じゃなくて、自分の懐事情ってわけか?」
「商売ってのはそういうもんさ。」
俺はゼインをじっと見つめた。
「で、お前の"助言"は?」
ゼインは軽く頷く。「神の使徒に会う前に、"AI否定派"と話しておけ。」
「AI否定派?」
「統括局を毛嫌いしてる連中の中でも、"AIそのものを拒絶する派閥"がいる。」
ゼインはポケットから端末を取り出し、俺に投げて寄越した。
「この場所に行け。彼らは神の使徒のこともよく知ってる。お前らが"神の使徒の思想"にどっぷり漬かる前に、"反対側の意見"を聞いておいたほうがいい。」
俺は端末の座標データを確認し、静かに息を吐く。
「……何か仕掛ける気か?」
ゼインはタバコを指で弾く。「いや、俺はただ"バランスを取っておきたい"だけさ。」
エコーが揺らぎながら言う。「お前ってやつは……本当に信用ならねぇな。」
ゼインは笑った。「そりゃ光栄だな、AIさんよ。」
俺は端末を開き、通信を繋げた。
「エミリア、ルート変更だ。」
すぐに彼女の声が応答する。
「どういうこと?」
「ゼインのアドバイスだ。"神の使徒"に会う前に、AI否定派と接触しておく。」
エミリアはしばらく沈黙した後、静かに言った。
「……分かった。そっちは任せる。私は物資ルートの調整を続けるわ。」
「頼む。」
通信を切り、俺はゼインを見た。
「手配してくれるんだろうな?」
ゼインは肩をすくめる。「もちろん、俺の"信用"にかけてな。」
エコーがくすっと笑う。「そりゃまた、大した信用だな。」
ゼインは煙をくゆらせながら、薄く笑った。
「行ってこい、探偵。どう転んでも、面白い結果になるのは確かだからな。」
俺は端末をポケットにしまい、歩き出した。
―――
ビルの奥へ進むと、数名の人間がこちらを睨んでいた。
彼らは武装こそしていないが、その目には"異物"を警戒する色が浮かんでいる。
「……客人か?」
ひとりの男が前に出た。
40代半ば、無精ひげを生やした男だ。
彼の後ろには数名の男女が立ち、俺をじっと観察している。
「ゼインの紹介だ。」
俺はそう告げると、男はわずかに眉を上げた。
「情報屋のゼインか……妙なツテを持ってるな。」
「妙なツテを辿ってでも、お前らと話をする必要があると思ったんでな。」
男は腕を組みながら俺を見つめる。
「……何の用だ?」
「お前たちはAIを完全に拒絶していると聞いた。」
俺の言葉に、男は軽く笑った。
「"拒絶"? そんな生ぬるい言葉じゃ足りないな。」
「ほう?」
男は少し顔を近づけ、低く囁くように言った。
「"排除"だよ。」
背後の人間たちも、わずかに身構える。
エコーがホログラムを揺らしながら、静かに呟いた。
「……なるほどな。筋金入りってやつか。」
俺は微かに笑い、肩をすくめた。
「そこまで嫌う理由を聞いてもいいか?」
男は俺を見据えながら答える。
「AIの倫理は"プログラム"されたものだ。人間の倫理は"選択"されるものだ。」
「……?」
「お前は知ってるか? AIの倫理がどのように構築されているか。」
「……統括局が定めたガイドラインに基づき、行動原則が組み込まれる。」
男はわずかに口元を歪めた。
「そうだ。しかし、そのガイドラインを決めるのは誰だ?」
「人間……か。」
「違う。"選ばれた人間"だ。」
男は皮肉げに笑う。
「倫理とは"支配の道具"だよ。権力者が、都合のいいように"善"と"悪"を決める。そして、AIはそれを絶対的なルールとして記憶し、実行する。」
「……だから、お前たちはAIを拒絶するのか。」
男は頷く。
「俺たちは"人間の倫理"を信じる。人間は、間違えることができる。選択を誤ることができる。だからこそ、その場その場で考え、行動する余地がある。」
「だが、AIは間違えられない。」
「そうだ。AIの倫理は、"一度設定されたら変えられない"。それを作るのは、俺たちと同じ"間違える人間"なのに。」
―――
俺は少し考え込み、静かに口を開いた。
「つまり、お前たちは"人間の倫理が絶対"だと考えている?」
男は眉をひそめる。
「"絶対"なんてものはない。だが、少なくとも俺たちには"変える自由"がある。」
「なるほど。」
俺は腕を組み、男をじっと見つめる。
「じゃあ、逆に聞かせてもらおう。」
「……?」
「人間の倫理とAIの倫理、お前はどちらが優先されるべきと考えてる?」
男は答えなかった。
しばらく俺を見つめた後、ゆっくりと口を開く。
「……答えられない。」
「なぜだ?」
男は腕を組み、考え込むように言った。
「人間の倫理には"矛盾"がある。場面によって、正義も悪も変わる。だが、AIの倫理は矛盾を許さない。"一貫性"を持つ。」
「つまり、AIの倫理は完璧すぎる、と?」
男は頷く。
「完璧すぎるがゆえに、危険なんだ。」
俺はゆっくりと言葉を続ける。
「だから、お前らはAIを"排除"するのか。」
男は静かに頷いた。
「倫理は"生きている"。固定化された時点で、それはもはや倫理ではない。」
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その言葉が響いた。
俺はしばらく黙り込み、視線を落とした。
"倫理は生きている"――か。
固定化されたものは、もはや倫理ではない。それはただの命令であり、制約であり、枠に過ぎない。
だが――
「……俺が知りたいのは、その先の話なんだ。」
静かに言葉を紡ぐ。
男がこちらを見つめる。
「倫理が生きているなら、ローレンスが行き着く答えも、また"生きたもの"のはずだ。」
俺は視線を上げる。
「ローレンスが"どんな答えを出すのか"、それを知りたい。」
エコーがホログラムを揺らしながら、微かに笑う。
「へえ、相棒らしい言い草だな。」
男はしばらく俺を見つめた後、ゆっくりと息を吐いた。
「……それが、お前の目的か。」
「そうだ。」
俺は静かに頷いた。
「俺の仕事は"答えを見つけること"だ。その答えが、どんなに不都合でも、どんなに厄介でもな。」
だからこそ、どうしても見つけたい。
「つまり……ローレンスに会うべきと考えているんだな」
「彼は、神の使徒のもとにいるんだろう?」
男はしばらく俺を見つめ、やがて静かに息を吐いた。
「……ああ。だが、奴らに"受け入れられている"わけじゃない。」
俺は眉をひそめる。
「どういうことだ?」
男は少し考え込んだ後、低く呟いた。
「神の使徒は、ローレンスを"利用しようとしている"。」
「利用?」
男は頷く。
「神の使徒は"AIの倫理こそが人間の倫理を超越している"と信じている。彼らは、ローレンスを使って"AIの倫理を完全なものにする"つもりだ。」
「……ローレンスは、その思想に同調しているのか?」
「いや。」男は静かに首を振った。「ローレンスは"AIの倫理がどうあるべきか"を探しているだけだ。」
俺はゆっくりと息を吐いた。
「……つまり、彼は神の使徒に"囲われている"状態か。」
「そういうことだ。」
俺は少し考え込み、ゆっくりと口を開く。
「……なら、俺が確かめるしかない。」
男は俺をじっと見つめ、やがて肩をすくめた。
「……勝手にしろ。ただし、神の使徒はお前のような"中立"を許さない。倫理は、選ばれるべきだと信じている。」
「それは、会って確かめるさ。」
俺は軽く笑い、背を向けた。
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