3-14 告白
シャワーを浴び終わったあと。
俺と那由はお互いに着替えて。
「「………………」」
那由の部屋――そのベッドの上に並んで腰かけていた。
身体と身体の間にはボールひとつ分くらいの微妙な距離が空けられている。
「あのっ――嬉しかったです」
最初に沈黙を破ったのは那由だった。
「え?」
「才雅さん、泳げないとおっしゃっていましたよね? それなのに、私を案じて飛び込んでこられて」
「……プールの床には足もつくのに?」
「足がつくからこそ、です」
那由は口元に手をあてて『ふふふ』と笑った。
「また助けてもらいましたね」
「――え?」
「才雅さんが〝秘密〟を打ち明けてくださったので。今度は――私の番です」
那由は俺の方を見ずにそんなことを呟いた。
彼女は膝の上に置いた手に視線を落としている。
その白い指を細かく震わせて。息を大きく吸って。吐いて。
彼女は。
言った。
「私にも、才雅さんに隠していた〝大きな秘密〟があるんです」
「……ひ、みつ?」
那由はまだ視線を下に向けている。
やがて揃えた指先を、ぐっと決意するように握りこんで。
彼女は語り始めた。
「私の方こそ――〝ぜんぶ〟知っていました」
彼女は。
語り始めた。
「あの時のライブのこと、覚えていますか? ステージ上で足を踏み外した私を、身を挺して助けようとしてくださった時のこと」
その『覚えていますか?』は俺の台詞だ。
まさか、あの時のことを。
那由が――【月城なゆた】が覚えてくれていただなんて。
「私もその場ではすぐにライブに戻りましたが――それ以来、ずっと気になっていたんです。地面に倒れていく矢先で、その方がステージ前に無我夢中で飛び出してきてくださった時の光景が――目を閉じれば、未だにゆっくりと思い出されます。その後スタッフさんに、病院には行ったけれど無事だったとお伺いしてひと安心しました」
ふう、とまさしく安堵したように那由は息をついた。
「それ以来、ずっとその方の存在が気になってしまい。ライブのたびにどこかにいらっしゃらないか……目で自然と追っていました。ふと客席のどこかで見つけることができた際には――心が瞬くような気持ちになりました」
那由はそこで胸の前に小さく手をあてて、頬を温かい色に染めた。
「あ、才雅さんを客席で見つけるの、意外と簡単なんですよ? 見た目はクールなのに、応援の仕方はとても情熱的で、誰よりもまっすぐで――まわりの他の方々とは違った雰囲気をまとっていて。気が付けば、ライブのたびに才雅さんを見つけ出すことが楽しみになっている自分がいました。私にとっては、ライブの空間だけがファンの皆様との唯一の生の接点でしたから」
那由が紡いでいく言葉を。そのひとつひとつを。
俺は脳みそにじっくりと染み込ませるように聴き入っていた。
「信じられない。那由が。月城なゆたが……俺のことを……?」
こくり。那由は頷いた。
そうです、あなた以外に誰がいるんですか、というように。
「それからお陰様で、私は大きな会場でライブをさせていただける機会が増えて――なかなか才雅さんのことを現場で見つけることは難しくなってしまいました。それでも。ステージの上から見る客席の中に。サイリウムで星空のように輝く光の中に――あの時の〝君〟がいることを祈って。私は歌い続けました」
そこでようやく、那由は俺のことを見た。
大きく幻想的な色の瞳で、俺はまっすぐに射貫かれる。
心臓がひと際大きく拍動した。
「そこからはきっと――才雅さんと同じです。私はアイドルを引退して、コスプロの事務所で働くことになって。そこで――君と出逢った」
続いて彼女は見慣れた表情を浮かべた。
月城なゆたを象徴する、あの柔らかくて劇的な微笑みだ。
(……っ‼)
俺のすべてを持ち去った、月光のごとく魅惑的な表情。
見る者すべてを狂わす魔性の微笑み。
彼女は続ける。
「はじめは〝夢〟かと思いました。あんなに離れた場所からしか見られなかった君に――才雅さんに。いきなり手を伸ばせば届く距離でお会いできたんです。月でひとりぼっちだった私が憧れた地球が――その日、私のもとに降ってきました」
違う! と思わず叫びそうになった。
違う。あの日、降ってきたのは。
――あの日、俺のもとに降ってきたのは、月の方だ。
俺の手の届く距離に。キミは落ちてきた。
そしてそこから、ジェットコースターみたいな日々が始まったんだ。
那由は頬を赤らめて。
まるで無垢な子どものように楽しげな表情で続ける。
「それからの私の毎日は幸せそのものでした。憧れて気になっていた才雅さんと同僚で――しかも隣の席になって」
俺の頭の中に〝記憶〟が蘇ってくる。
そうだ。最初はそのスーツ姿の彼女が【月城なゆた】だと気づかなかったんだ。
零れた書類を片付けている時に、俺はキミに出逢った。
――はじめまして。月城です。
何万回と聞いた声でそう言われたこと。
――ごめんなさい。私の隣しか今は空いていないようで。
届かなかった月が、手を伸ばせば触れられる距離にやってきたこと。
覚えてる。
今でもその時の表情を。言葉を。仕草を。
キミのすべてをありありと思い出すことができる。
――9階に食堂があるんです。ふたりで……いかがでしょうか?
出逢ったその日にランチに誘われたこと。
一緒に肩が触れるか触れないかの距離でエレベーターに乗ったこと。
その間もずっと心臓をどきどきと高鳴らせてたのは。
――那由もきっと同じだったんだ。
そのことを知って、じんわりと目頭が熱くなる。
那由と一緒に過ごすたびに感じていた想いは。
全身が滾るような熱情は。
――とっくの昔から、ふたりの間で共有されていたのだ。
それを知ったらもうだめだった。
ぼろぼろと俺の目から涙が零れてくる。
「……っ! くっ……」
これまでの記憶が。那由と過ごした日々が。
キミの声が。想いが。蘇ってくる。
――素敵な組み合わせだなあと思いまして。
俺のメニューを見て、可笑しそうに微笑んでくれたこと。
――私の家に一緒に、住みませんか? あ、いえ。変な意味ではなく。
俺たちはほとんど初対面で、会社の同僚というだけのハズなのに。
どう考えても『変な意味』にしか捉えられない提言をしてきたこと。
――ちょうどルームシェアをできる方を探していたんです。むしろ私にあまり興味がない方のほうが、気を遣わせなくて良いかなとも思い。
俺の心臓をどきりと高鳴らせるそんな表現も。
もしかしたら――那由の中ではすべて分かった上での提案だったというのだろうか?
俺が那由のファンであることを、この時点で彼女は知っていたはずだから。
だから。俺を驚愕させる数々の提案は――
キミにとっての〝悪戯な戦略〟のひとつだったのかもしれない。
それを知って、俺の中の記憶ががちゃがちゃと音をたてて組み変わっていく。
キミの言葉は、行動は――これまでにはなかった〝別の意味〟を帯びていく。
――これだけ広いのにも関わらず、ベッドがひとつしかありませんでした。
そんな陽動作戦で俺を揺さぶってきたこと。
――秘密をみられたからには〝罰〟を受けていただけますか?
恋愛作品一色に染まったあの部屋で、確信めいた笑みを浮かべてそう言ったこと。
――いつかくる〝本番〟のために、私の恋愛の練習相手になってくれませんかっ?
そうしてあの、夢みたいな現実の罰ゲーム。
遥か遠く、届かない場所にあった月から下された指令。
それらのすべては。
ジェットコースターのように目まぐるしい関係の変化は。
最初から他ならぬ――キミ自身が望んだものだったのだろうか。
「――っ‼」
俺の頬を伝う温かな涙は、もう止まることはなかった。




