3-3 夢の話はこれで終わりです
全力で五体投地をする俺に向かって。
「さ、才雅さんっ……そんな、頭を上げてください」
那由が声をかけてくれた。
「ごめんなさい。……私も大人げがなかったです。才雅さんがそんなことするはずありません。何かの誤解だと心では分かっていても……あの瞬間、頭の中が真っ白になり。どうすればいいのか分からなくなってしまい」
たどたどしくも、彼女は自分の中に生じた気持ちを正直に口にしてくれた。
「思わずその場から逃げ出してしまいました。そのあとも……なんだか、才雅さんと合わせる顔が無いような気がして。本当はそんなこと、私が思う資格なんてないのかもしれません。あくまで練習相手の才雅さんに〝嫉妬〟だなんて――」
「――っ!」
嫉妬、という言葉が那由の口から聞けたことで、俺はなんだか逆に嬉しくなってしまった。
仮の〝彼氏彼女〟の契約とはいえ――あの【月城なゆた】がこの俺に嫉妬?
思わず口元がニヤけてしまう。
「……へへ」
「才雅さん――? もしかして今、笑われましたか?」
「あ、いや! すまん。つい」
俺は深呼吸をして仕切り直すつもりが、吸った空気が変なところに入り思い切り咳こんでしまった。
「だ、大丈夫ですか?」
「げほっ、ぐほっ! ――だ、大丈夫だ! ほら、これで元通り」
どん、と胸を叩いてやったらまた咳こんだ。
何やってるんだ、俺は。那由の前だと色々なことが空回りしてしまう。
「……ふふ」
しかし。
そこで那由は口元を緩ませて、
(笑って、くれた――)
俺は胸をなでおろした。ほっと短く暖かい空気の塊が口から飛び出す。
続く言葉で、俺も那由にナニカを伝えようとする。
それは例えばこんな台詞だ。
『ごめんな、変な誤解をさせて』
『俺が本当に好きなのはキミだけなんだ』
『もしキスをするんなら、キミ以外となんて考えられない――』
なんてことを思案して、俺は慌てて首を振る。
一体ナニを言ってるんだ。どれも実際に口にできるわけないじゃないか。
こんなんじゃまるで俺たち、本当に付き合ってるみたいな――
浮かんできた言葉たちを押しとどめていると……。
那由が秘めた想いを語るように口を開いた。
「私――ずっともやもやした気持ちを抱えていたんです。昨日の〝あの瞬間〟を目撃してからというものの、自分の中に今まで触れたことのなかった感情が溢れ出てきてしまい。まるで、澄み切った空気の森の奥でこんこんと湧く泉みたいに。ですが……その泉の水は、黒く、淀んでいるんです」
「……え?」
那由の様子がいつもよりすこし違うように思えた。
例えばふだんよりも抽象的な表現を用いていたり。
その中に含まれた〝黒い淀み〟という言葉が彼女に似つかわしくなかったり。
何より、言葉を語る彼女の瞳から――いつもの柔らかい光が消失しているようにみえた。
(……気のせい、だろうか?)
しかし。
彼女は続ける。
「森の中で黒く淀んだ水は、そのうちに泉から溢れて、街の方へと流れ出してしまうんです。私が平和に暮らしている家がある街です。襲い来る黒い波に、街の人々は慌てて避難するんですが……私の足は、自分の家の椅子に縫い付けられたように動かすことができないんです。やがて黒い水は私の家の中にも侵入してきて――足元を浸からせて、腰にまで届いて、とうとう胸元を越えて私の身体をすっぽりと飲み込んでしまうんです」
彼女は続ける。
「もちろん苦しいです。黒い水で視界は真っ暗で、何も見えなくて……だから私は〝光〟を探すんです。どうにかあがいて、もがいて――ようやく近くに光を見つけるのですが……掴もうとしたところで、その光は消えてなくなってしまい。光だけじゃありません。気づいたらまわりから全部がなくなっているんです。身体を包んでいた水も。座っていた椅子も。家も。街も。自然豊かな森も。すべての発生源であった泉も」
彼女は。
続ける。
「暗闇の中にひとり残された私は、思わず叫びそうになりました。それでも声は出ません。音も無くなっているんです。私は怖くてたまらなくなって……その場を駆けだしました。すると、遠くの方にさっきと同じ〝光〟が見えて。でも……今度はそれに届くことすらないんです。光はずっと空高く――上の方にあって。黒い水が消えてしまった今では、そこまで泳いでいくことは叶いません。だから――私はずっと、その光を遠くから眺めていることしかできませんでした」
そこで彼女は。
部屋の天井を見上げていた視線を、俺の顔へとまっすぐに向けた。
「と。――これが昨日私が見た〝夢〟のお話です」
夢。
と彼女は言った。
それにしては随分と仔細で様々な寓意に富んだ内容だ。世間一般的に言えば〝悪夢〟の類だろうか。
「夢の話はこれで終わりです。ここからは――現実のお話をしましょう。〝私の見た夢の正体〟を、はっきりさせるために」
「……え?」
那由はそこで、今までにないようなオーラをまとって。
俺がいる場所にゆっくりと近寄ってきた。
思わず後ずさってしまう。那由のようだけど那由じゃない。そんな雰囲気が今の彼女からは漂っていた。
「才雅さん……」
すう、と白くて華奢な手が俺に向かって伸びてきた。
その瞬間。
ぴん。
ぽん。
「……あ」
ふたりの間に流れていた異様な空気を洗い流すように、チャイムの音が鳴り響いた。
どうやら尋ね人らしい。
(こんな時間に、一体、だれが……?)
俺の思考はさらなる混沌へと落ちていった。




