2-4 本当の自分を知られたくなかったってことですか?
「さて、と――それじゃあ、そろそろ本題を訊いちゃってもいいですかあ?」
ティーカップをお皿に置いて。
リリが甘ったるい声であらたまって言った。
「どうぞ」
かちゃり。那由も飲んでいたカップをソーサーに戻して音が鳴った。
「ありがとうございますっ! 単刀直入に訊いちゃいますけど――リリ、今度の総選挙で1位になりたいんですっ! どうしたらなれるか、秘訣を教えてもらってもいいですかあ?♥」
ぴくり。那由の眉根がほんの少しだけ動いたような気がした。
それまでの雑談にあったのほほんとした雰囲気からは一転、仕事らしい真面目な空気が漂った。
(ちなみにあれからも何度か〝同棲がバレそう〟になった瞬間が俺と那由ともにあったが、お互いに息の合った完璧なフォローによってどうにか乗り切った……ハズである)
「秘訣、ですか……そういったものは特になくて、私はただ、運が良かったんです」
那由は膝の上に両方の拳を載せている。そこに視線を落としながら、丁寧に言葉を紡いでいく。
「一生懸命歌の練習をして。ダンスの練習をして。演技の練習をして。私には握手会などの機会はありませんでしたから……みなさんに会うことができない分、応援してくださるファンのことを誰よりも想って。その分、最高のパフォーマンスを皆さんにお届けできるように。全力を尽くしてアイドル活動に向き合っていただけです」
「……ふうん」リリはどこか納得していなさそうな声を出した。
「じゃあ――そもそもどうして握手会をしなかったんですか?」
「え?」那由の視線が揺れた。
「どうしてファンの人と交流することを拒否したんですか? 【会いに行けるアイドル】って、今の時代当たり前ですよね? あの【月城なゆた】に会えるってなってたら、もっとすごい場所にたどり着いていたんじゃないですか?」
リリの声に〝裏側〟が混じり始めた。質問の内容がどんどん核心に迫っていくようだった。
俺は牽制も兼ねて忠告する。
「おい、リリ。訊きすぎだ」
「マネージャーさんには言ってません。リリは目の前の――月城なゆたさんに質問してるんです」
リリはまっすぐに那由のことを見つめている。
那由は膝の上に指を並べて、その隙間を行ったり来たりするように瞳を揺らがせている。
「もう一度言いますね。どうしてアイドルとしての【月城なゆた】さんは、ファンの人たちと交流しなかったんですか?」
「……硝子が、」
那由はきゅ、と拳を握りしめた。
「硝子が――割れるのがいやだったんです」
「「え?」」
俺とリリ、ふたりの口を疑問の声がついた。
ガラス、と那由は言った。ガラスが割れる?
「私にとって〝アイドル〟というのはあくまで【偶像】で、とても繊細なイメージ上の産物なんです。ふとした衝撃で壊れてしまう、薄い硝子みたいに」
思います、とか、かもしれません、などではなく――はっきりと断定した語尾で那由は言った。
いつもの大人しくて優しい彼女とはすこし違った、芯の強さのようなものを感じた。
彼女は続ける。
「【月城なゆた】は――あくまで偶像であり、現実に存在してはいけなかったんです。月城なゆたのパフォーマンスを見て、皆さんの中にイメージを焼きつける。ありきたりな言い方ですが、皆さんの【心の中】にこそ月城なゆたは存在したんです。ですので、私はある意味では徹底的に偶像を演じました。その存在は、私の――そして私たちの理想のアイドル像でもあったんです」
リリがカップの中でスプーンを回した。
取り出してソーサーに置いて、短めの興味深げな息を吐く。
「ふうん。ようするに、本当の自分を知られたくなかった、ってことですか?」
「ええと……結果のひとつだけ見れば、そうなります」
リリの質問に直接的には答えずに、那由は膝の上で手を組んだ。
「私がアイドルになろうと決めたのは些細なことがきっかけです。小さい頃に、父の部屋にあったアイドルのライブを録画したビデオテープをよく観ていたんです。そのフィルムに焼き付けられたアイドルは、とってもきらきらとしていて――同時に私の心にも、どうしようもなく焼き付いたんです」
那由は頬を仄かに染めながら語り続ける。
「父に訊いたら、その頃のアイドルは〝会いに行ける存在〟なんかじゃなくて。テレビやコマーシャル、雑誌やライブなどを通じてでしか触れることのできない偶像だったんです。ただ……会えなくても。時代が違っても。私の人生を変えるような衝撃を、そのアイドルは与えてくれたんです。フィルムの中で歌って踊るアイドルという存在に――私はどこまでも憧れたんです」
手の届かない憧れ。
それは俺が過去に【月城なゆた】という存在に抱いていた憧憬と同じだった。
俺は月城なゆたに。月城なゆたはフィルムの中の偶像に。手を伸ばそうとして、その間にある宇宙間物質に阻まれてきた。
でも――それで良い、と俺は思う。触れ合うことができなくたって。
アイドルはそれで良いのだ、と俺は思う。月城なゆたは思う。
「私は人とうまくコミュニケーションを取ることが本来苦手で。【月城なゆた】というイメージと異なった自分も当然、持っています。だから、そうですね……偶像としてではなく直接触れ合うことで、薄氷のような【イメージの硝子】が割れてしまうことを怖れていました。それは私が憧れたファンとアイドルの関係性とはすこし違いますから」
結果として、それは今のアイドルの流行とは真逆をいくものだった。
しかしまさしく〝会いに行けるアイドル〟の道を現在進行形で突き進んでいる【風桜リリ】にとっては、やはり面白くなかったのかもしれない。
リリはあえて思い切り〝表側〟の笑顔を浮かべながら再び辛辣な質問をしてきた。
「ってゆーことは……簡単に握手会とかを開いたり生配信とかでファンと触れ合うアイドルはアイドルじゃないってことですかあ?♥」
「「…………‼」」