1-15 眠れない夜、夢の狭間
月城さんと同じベッドで寝るという誘惑にどうにか打ち勝って。
俺はリビングのソファで横になっていた。
電気は消えているが、バルコニーに出られる南側がガラス張りになっているため、夜の光がブラインドカーテンの隙間から漏れてきて案外明るい。
「……ふう」
息を吐いて寝返りを打つ。目をつむってはいるものの眠りの気配は足音すらも訪れないでいる。
心優しい月城さんから『冬用のもので恐縮ですが』が……とあつめの布団をもらい、腰元までかけていた。
この布団が月城さんの身体を包んでいたのか――『どれどれ香りの方は?』と顔をうずめたくなる内なる渇求を鎮めるのには随分と苦労した。
そろそろ気づいてきた頃合いだと思うが、俺は変態ではない。(断定)
確かに頭の中では色々な【妄想】が駆け巡ってしまうが……それはこの年代の男なら誰でもが持つ性で致し方ないものなのである。是非淑女の方にも知っていていただきたい知識だ。
むしろ俺はどちらかといえば思春期を『女子にかまけるなどくだらん。音楽、小説、映画――世の中には薄っぺらい現実世界の青春なんかよりも、輝かしく素晴らしい芸術作品に満ち溢れているのだ!』と高二病的に過ごすパターンの類型男子であった。そのため、後に訪れた【月城なゆた】という女神との出会いで、これまでに溜め込んできた女子に対する鬱憤が爆発し限界を突破した。
ここでひとつだけ宣しておきたいが、俺が【月城なゆた】という絶対偶像に見出しているのは決して〝性なる劣情〟の類のものではなく、それこそもっと素晴らしく輝かしい烈々たる純粋さをもった情念であり、捧げていたのは完全無償の奉仕愛だ。決して〝遅れてきた思春期〟などではない。きっと。たぶん。
そんなふうにぐちゃぐちゃとした思考が頭の中を駆け巡って、
「……ためだ、眠れる気がしない」
まるでずっとジェットコースターに乗っていたかのような一日だった。
俺は冴えわたる意識を携えてソファから起き上がると、窓辺に近寄った。
ブラインドの隙間から外を覗く。深い藍色の中空には月が小さく浮かんでいる。
「夢じゃ、ないよな」
定番通りに頬をつねってみる。痛い。
だけど、そんなことは関係なく。
――はじめまして、月城です。
コスプロのオフィスで。
月城さんと媒体を通さずに出逢ったあの瞬間から。
今のこの瞬間までに過ごしてきた時間のひとつひとつが。
月城さんを身近に感じるたびに、弾けるように収縮する心臓の鼓動の力強さが。
彼女を視界に映すと、胸の奥を一瞬で染めあげる滾るような情念のすべてが。
――夢なんかで、あるわけがない。
それらのすべては確かなる【現実】としてそこに存在していた。
実在した【記憶】として俺の脳裏に刻みつけられていた。
「……明日は寝不足確定だな」
今夜は眠れるわけなどない。
俺は溜息をつきながら、外に見える【月】をガラス越しに指で撫でた。
そうして何度か指を往復させているうちに、ふっと月は消えた。まるでペイントの消しゴムツールを使ったみたいに。
いくら手を伸ばしても触れることのできなかった【月】は。
今は数枚の扉を挟んだ先の部屋の、ふかふかのベッドの上できっと夢を見ている。
俺と月城さん。
ふたりの間に延々と存在していた宇宙間物質は。
どこまでも非科学的な奇跡が積み重なって溶けて消えた。