赤い少女 白い世界
きはく【希薄】
①液体や気体などの濃度、密度が薄いこと。また、ある要素の乏しいこと。
②物事に向かう気持ち、意欲が弱いこと。
広辞苑より
朝。
薄暗い部屋。
晴れ。
嫌な天気。
バス。
暑苦しい。
私。
希薄。
蝉の叫び声にはうんざりだ。ついでに人生も。
前髪がおでこに張り付く。
アスファルトからの熱が生足を擦る。
あぁ、だるい。
凡庸な女子高生の、凡庸な感情。それでいて、どこか希薄な心持ち。
暑さから離れようとは思っているが、怠惰ゆえに逃れられない。
バスを降りてから校門まで、生徒が一直線に歩く。道がある。前を歩いている女の子のショートカットが可愛らしい。うなじを伝う汗を見て、思わず息を呑む。日光に照らされて、宝石のように輝く雫。伸ばしかけた左手をぎゅっと握る。
そういえば、この子さっきから歩き方が変。考えているうちに、どんどん横揺れが強くなる。大丈夫だろうか。
肩に手を乗せると、彼女が振り向いた。澄んだ瞳と白い肌。頬から流れ落ちた汗を目で追う。胸、両手で持った包丁、腹、足、地。私に向けられた刃先が、私をどうかしようとしている。違和感を感じた生徒たちが、悲鳴を上げながら遠ざかる。
私と彼女だけの空間ができた。
包丁の刃を右手で抑える。彼女の方がビクッと動いた。少しでも表情を動かしてくれたら彼女の気持ちがわかるのに。真顔で包丁を引かないでくれ。
「っ……」
皮膚が焼けるような痛み。思わず喉から声が漏れる。
私が包丁を離すと、同時に彼女も手を離した。鈍い音と共に跳ね上がる刃先が、彼女の白い足に傷をつけた。腹立たしくなって、包丁を踏みつける。そのおかげで近くなった二人の距離。
鮮やかな傷口から溢れ出る血に見惚れる。痛覚の麻痺した右手を左手と合わせ、両手の平に血を塗りたくる。
真っ赤な手で彼女の頬に触れると、気持ちよさそうに目を瞑った。
「冷たい?」
「…はい」
よかった、と微笑み、手を離した。
真珠のようだった肌がすっかり赤く染まっていた。初対面なのに、貴方の狂気さが愛おしい。
先生が息を切らしてやってきた。私は包丁を拾って刃先を向ける。
これで共犯だね。
彼女が顔に付いた血を拭こうと、自分の服の前面をたくし上げる。私はそのせいで露出した細いお腹を隠すように立った。
見せたくない。
彼女を正面から抱きしめて密着する。
その瞬間から、世界は濃密な白と赤だけになった。