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 窓からは翼越しに東京の街並みが確認できる。海外出張を終えて一週間ぶりの日本に間もなく到着する。

「中村、初めての海外出張はどうだった?」

 同行した先輩に感想を求められた。

「もっと言葉を勉強しないとダメですね」

 大学在学中から英会話は習っていたのだけれど、実践的な会話は学校の中でのものだけでは思うようにいかないことも多かった。それに専門的なものが絡んでくると、もうお手上げだった。

「まあ、何度も経験してりゃ、そのうち慣れるさ」

「はい。何事も経験がいちばんですね」

 思えば、南大屋でアルバイトをしながら過ごした学生生活はボクにいろんな経験をさせてくれた…。


 ボクは大学一年目の大晦日、アルバイト先の南大屋で忘年会に顔を出した。メンバーは店長と当時まだ在学中だった彩さんと彩さんの父親で店長の同期で南大OBの裕二さん。その裕二さんが当日遅れて参加した。遅れて来たのには訳があった。



 彩さんの問いかけに頷いたその女性は店長の別れた奥さんだった。

「なんでお前が…。それに、なんで今更…」

 店長はその女性を一瞬だけ見てから裕二さんに向かって問い詰める様に言葉を投げかけた。

典子(のりこ)は別れた後もお前のことが気がかりで、たまに俺に様子を聞きに来ていたんだ。お前が店をたたむというから、その後のことが心配だというので今日、連れて来た」

「じゃあ、お前、俺に隠れてずっと会ってたのか?」

「まあ、そんなところだ」

 典子さんも店長と裕二さんと同じ南大の同期だったらしい。学生の時から三人はいつも一緒にいたらしい。裕二さんも典子さんに好意を持っていたのだけれど、典子さんが選んだのは店長だった。裕二さんはその後知り合った別の女性と結婚して彩さんが産まれたというわけだ。

「ねえ、それよりその子、店長の子なんでしょう?」

 そこへ彩さんが割って入る。

「ウソだろう! 俺たちには子供なんかいなかった」

 店長は青ざめた顔で弁明する。

「ええ。一緒に居る時にはね。でも、あなたと別れた後でこの子が居ることが判ったの」

「そんなこと信じられるか!」

「ウソじゃねえ。典子がお前と別れた後、最初に相談されたのがそのことだったんだ。これを見ろ」

 そう言って裕二さんが店長の渡したものは、その子のDNA鑑定書だった。

「お前のことだからこういうものでもなければ信じないだろうから俺が鑑定してもらうように言ったんだ」

 それから店長はしばらくの間その場に立ち尽くし呆然としていた。

「ねえ、今いくつなの?」

 典子さんの後ろで恐る恐るこちらの様子を窺っていたその子に彩さんが声を掛けた。

「15です。中学三年です」

「よく見ると店長にそっくりじゃない」

 そう言われれば、確かに面影はある。

「この子のためにももう一度やり直しましょう」

 典子さんは冷静な口調で、店長に言葉を向けた。

「あいつはどうしたんだ?」

 店長が言うあいつというのは、当時、店長が典子さんの浮気を疑っていた相手のことだ。

「それはお前の誤解だったんだよ。典子さんはあいつとは何の関係もねえ。それをお前が勝手に勘違いして典子を追い出しちまったんじゃねえか。典子は真子(まこ)ちゃんを産んでからもずっと、お前のことを気にかけていたんだからな」

 裕二さんの話を聞きながら、店長の表情が次第に柔らかくなってきた。

「ねえ、あなた、まこっていうのね。もしかして“真子”って書くんじゃない?」

「はい。その通りです。“真”はお父さんの名前だと母から聞いています」

「やっぱり! ねえ、店長、良かったじゃない。またみんなで一緒にこの店で過ごせるよ」

 店長の名前が“(まこと)”なのだと初めて知った。そう言えば、店長に関しては名前はおろか苗字すら知らなかった。ちなみに苗字は加藤だった。

「そんなに簡単じゃねえよ」

 店長がボソッと呟いた。

「少しづつでいいから。私たちもたまにここへ寄せてもらいますから。裕二君から聞いたけど、彩ちゃんがこの店を引き継ぐんでしょう?」

「はい! ここは私の第二の家みたいなものでしたから。早くにお母さんを亡くしてからはおばさんのことをずっとお母さんだと思ってました」

 彩さんのこんなに嬉しそうな顔は初めて見た。

「本当? 嬉しいわ。それじゃあ、改めてよろしくね。それと…」

 典子さんがボクの方を見た。

「博です。中村博」

「そう! ヒロシくんも」

 そう言って典子さんは優しく笑った。

「あの…」

 ようやく場の雰囲気に慣れて来たのか真子ちゃんが口を開いた。

「彩さんとヒロシさんは恋人同士なんですか?」

「えっ!」

 真子ちゃんの思わぬ発言にボクはドキッとした。少なからずボクは彩さんのことが気になっていたから。ところがそれを聞いた彩さんは腹を抱えて大笑いし出した。

「誰から吹き込まれたのか知らないけど、あり得ないから」

 それを聞いた真子ちゃんが裕二さんの方を見た。

「いや、その…。俺はてっきりそうなのかなと」

 裕二さんはバツが悪そうにそっぽを向いた。ボクはかなりショックだったのだけれど。そんなどこかボクにとっては気まずい雰囲気を振り払うように突然カラオケのイントロが流れ始めた。

「あれ? おかしいな…。こんな曲を入れたつもりはないんだけど。まあ、いいや。せっかくの忘年会なんだから盛り上がろうや」

 そう言って店長が歌い始めた。その歌の下手さ加減にみんな笑いをこらえきれずに、噴出した。こうして南大屋の忘年会は盛り上がりを見せ、除夜の鐘とともに終了した。典子さんと真子ちゃんは店の二階に泊まることになった。

「みんなで初詣に行かない?」

 彩さんの提案に典子さんたちも乗ってきた。

「お前らだけで行って来い。俺はまだ飲み足りねえ」

 店長は照れ臭いのかそう言って店に残った。

「しょうがねえな。俺も付き合ってやるよ」

 それを聞いた裕二さんも店に残ると言った。ボクたちは4人で近所の神社へ初詣に行くことにした。その道中、彩さんがボクに寄り添ってきた。

「さっきはごめんね」

「えっ?」

「真子ちゃんに恋人同士かって聞かれて大笑いしたこと」

「いえ、もう気にしてませんから」

「あら、じゃあ、さっきは気にしてたの?」

「まあ…」

「取り敢えず、君が卒業するまで待つから」

「えっ? それってどういう意味…」

 彩さんはにっこり笑うと、なにも答えずに前を歩く二人の方へ駆け寄って行った。


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