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忘年会シーズンを迎えて店は連日満員だった。あの日の翌日から彩さんが厨房に入った。しばらくは店長がつきっきりで見たいたのだけれど、一週間もすると厨房はすべて彩さんに任せて、店長はもっぱら仕入れや下ごしらえに専念していた。
彩さんが厨房に入ったので手薄になったホールにはアルバイトの女の子が二人入った。優さんと紗子さんだ。ボクはその二人に仕事を教えながらホールを切り盛りする様に支持されているのだけれど、二人とも南大で彩さんの1年後輩だ。ここでは新人なのだけれど、学校ではボクより2歳年上の先輩なのでどうにもやりづらい。
「ヒロシ、もたもたしてないで早く運んで!」
彩さんに怒鳴られながら右往左往する。
「すいません!」
「ほら、優たちが遊んでるよ。ちゃんと指示出して!」
この状況で何をすればいいのか分からない優さんと紗子さんは店の隅に突っ立っている。たまにお客さんから声を掛けられたら対応するくらいで、まだ自分から仕事を見つけて動くことは出来ない。
「そう言われても…。彩さんの後輩なんだし、そこは彩さんが…」
「私にはそんな暇ないわよ。見てて分からないの? そんなんじゃ、チーフは務まらないよ」
「そりゃあ、忙しいのは分かりますけど…。って、チーフってなんですか?」
「この店のリーダーだよ。スポーツで言うならキャプテンってとこかな」
「いやいや、そんなの勝手に決めないでくださいよ。ボクはただのアルバイトですから」
そんなやり取りを店長はカウンター席に座って笑いながら見ている。厨房はもうすっかり彩さんに任せっぱなしだ。裕二さんが来たときは二人で飲みながら、もはや客状態だ。
「ヒロシくん、私たちも仕事を覚えたいから、遠慮しないで何でも言いつけてよ」
さすがに二人も自分たちが居る意味を自覚したのか、声を掛けてくれた。それはそれでありがたいのだけれど、こう上から目線で来られると、どうにも腰が引けてしまう。そんなこんなであっという間に年末を迎えた。その頃には二人もようやく仕事に慣れて今ではボクが顎で使われている。
12月30日に年内の営業を終えると優さんと紗子さんは翌日には帰省すると言うことだったので、後片付けはボクたちでやるからと早めに帰ってもらうことにした。店長がアルバイト代を渡すと二人とも中身を確認すると飛び跳ねて喜んだ。
「こんなにいいんですか!」
「ああ、助かったよ。また、気が向いたらいつでも遊びにおいで」
「はい! こちらこそ。では、よいお年を」
二人が店を後にすると店長がボクに尋ねた。
「お前、正月はどうするんだ?」
「ボクは年が明けてからゆっくり帰ります」
「そうか。明日は俺らの忘年会だ。付き合うか?」
「はい! もちろんです」
大晦日。ボクが南大屋に行くと、まだ店長と彩さんが準部をしている最中だった。
「おお、ちょうどいいところに来た。ちょっと手伝ってくれ。マイクの音量を上げても音が出ねえんだ。こういうのはさっぱりわかんねえんだ」
店長が苦戦しているのはカラオケの機会のセッティングだった。
「それ、どうしたんですか?」
「2階を貸切り宴会用に使っていた時に使ってたやつなんだが、俺一人になってからは2階を使うのをやめちまったから、置きっぱなしにしていたのを下ろしてきたんだよ」
「まさか、今日カラオケやるんですか?」
「二次会で行く予定だったカラオケ屋が昨日で終わりだって言うからよ」
「いや、そう言うことじゃなくて…」
「あら、ヒロシはカラオケ嫌いなの?」
厨房から料理の皿を持って出てきた彩さんが言った。
「好きも嫌いもカラオケとかやったことないです」
「え~! 今どきそんな人居る?」
「はい。ここに」
「そりゃあ、ちょうどいいや。今日はヒロシのカラオケデビュー記念日だ」
「ボク、やっぱり帰ります」
「ちょい! 冗談だから」
「まったく…。ところで今日は三人だけですか?」
「あとは裕二くらいかな」
それを聞いて安心した。ボクも馴染みのあるメンバーだけの方が遠慮なく参加できる。カラオケの機会はマイクの充電が切れているだけだった。充電器にマイクを差し込んで厨房から料理を運ぶのを手伝った。すると、そこの電話がかかって来たのでボクが出た。裕二さんからだった。少し遅れるので先に始めていてくれとのことだったので、そう店長に伝えた。
「おい、彩。裕二のやつはどこほっつき歩いてんだ?」
「知らないわよ。今日は朝から居なかったもの」
「ちぇっ」
店長は舌打ちをすると愛用の湯のみに焼酎を注ぎ始めた。
「店長、フライングだよ」
「ちぇっ!」
彩さんにたしなめられて二度目の舌打ちをした。そして、準備が出来たところで彩さんがグラスにそれぞれの飲み物を注いだ。店長は焼酎のお湯割り、彩さんはビール、未成年のボクにはウーロン茶を。注ぎ終わると彩さんがグラスを掲げて発声した。
「1年間お疲れ様でした」
それに合わせてボクたちもグラスを掲げた。
「乾杯!」
そして、一口飲んでボクは噴出した。ウーロン茶だと思っていたそれには思いっきりアルコールが入っていた。
「ちょっと、これ…」
「あー、そっか。君はまだ未成年だったわね。へへへ」
「へへへじゃないですよ。きっとわざとでしょう!」
「ばれたか」
そう言って彩さんは舌を出す。
「飲めなくはねえんだろう?」
店長がけしかける。
「まあ…」
「だったら、今日くらいは飲め!」
居酒屋の忘年会だ。こうなることは解かっていたのだけれど…。その時、店のドアが開いた。裕二さんだ。
「なんだよ! こんな大事な日にどこほっつき歩いてたんだよ」
店長が文句を言うと裕二さんは神妙なな顔つきで「悪い、悪い」と詫びてから外に向かって手招きをした。どうやら、誰かを連れて来たらしい。
「せっかくここまで来たんだから早く入んな」
裕二さんに促されて入って来たのは中年の女性と中学生くらいの女の子だった。二人を、特に中年の女性を見た店長はお気に入りの湯のみを手から滑らせた。
「あっ!」
傍に居た彩さんが間一髪それを受け止めた。そして、入って来たその女性を見て先に言葉を発したのは店長ではなくて彩さんだった。
「おばさん?」
その女性はゆっくり頷く。
「ひょっとして、その子は娘さん? もしかして店長の…」
女性は再び頷いた。