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彩さんが賄の料理を作っている間もボクはホールのお客さんの対応をしていた。そろそろ閉店の時間だ。店長は最後に注文が入った料理を作りながら彩さんの様子を見ている。最後のお客さんが帰ったのと同時に彩さんは賄の料理を作り終えた。
「店長、ちょっと味見してもらえますか?」
なるほど、そういうことだったのかと、今更気が付いた。彩さんは店長の舌を確認するつもりだったのだ。
「そんなもの食わなくても解る。お前の好みがどうなのかは知らんが、それじゃぁ味が濃すぎる」
店長はきっぱりと言い切った。恐らく彩さんが作るのを見ていてそう確信してのことなのだろう。
「いいから食べてみて。あんたも」
彩さんはそう言ってボクの前にも料理が盛り付けられた皿を差し出した。
「しょうがねえな」
そう言いながら店長が一口食べる。
「ほらな。やっぱり味が濃すぎる」
それを聞いてボクも一口食べてみる。
「あれ?」
濃すぎるどころか全く味がしない。もう一口食べてみたけど、やっぱり全然味がしない。
「やっぱりね。店長、味が判らなくなってるでしょう」
「何を言うんだ。あんな味付けをしてたんじゃ…」
「私が味付けするのを見ていたから味が濃いって言ったのよね。同じものを食べたヒロシはどうだった?」
「あ、その…。全然味がしなかったですけど」
「なんだと! お前の舌はどうなってんだ? こんな味付けの…。あっ!」
どうやら店長も彩さんに試されたのに気が付いたようだ。
「気が付いた? 店長が見ているところではわざと濃い味付けをしているように見せかけていたのよ。実際に出したのは私が家で作ってきたこっちの方。これは何の味付けもしていないのよ。実際、同じ物を食べたヒロシは味がしないと言った。同じものを食べたにもかかわらず店長は味が濃いと言った。それはつまり、食べたものの味が判らないから調理しているところを見て判断したんでしょう?」
「参ったな。彩、お前、いつから気が付いていたんだ?」
「半年くらい前からかしら。その頃、お客さんが料理を食べて首をかしげることが多かったもの」
「たったそれだけのことで気が付いたのか?」
「そうよ。私が何年ここで働いていると思ってんの!」
「そいつは恐れ入った。だったら話は早い。もう、ヒロシには話しているんだがここは年内で閉める」
「そんなことだろうと思ったわよ。昨日からヒロシが妙にぎくしゃくしてたからね。でも、店は閉めさせないわよ」
「なに言ってんだ。味が判らない料理人が作ったものなんか客に出せねえよ」
「だったら味が判る料理人が作ればいいんでしょう」
「そんな人間雇う金なんかねえよ。それに、ここにはここの味があるんだ」
「そう来ると思ったわ。ヒロシ、ちょっと暖簾をしまって来て」
言われるままにボクは店の暖簾をしまって看板の照明を落としてから厨房に戻った。
「悪いけど、店長もヒロシももうちょっと付き合ってもらうわね」
そう言うと彩さんは再び調理を始めた。彩さんが調理したのはこの店の名物でもある五目あんかけ焼きそばだった。具材の大きさから味付け、あんのとろみまで店長の料理を寸分たがわず再現して見せた。
「ちょっと食ってみ」
この五目あんかけ焼きそばは何度も賄で食べていた料理だ。その味はボクの舌にしみこんでいる。一口食べてみる。
「あっ! 店長と同じ味だ」
「おい、本当かよ」
驚いた顔で料理を見詰める店長。そんな店長に彩さんは言い放った。
「私が作れるのはこれだけじゃないわよ。毎晩、お父さんに味見をしてもらいながら特訓したんだから」
「裕二か! なるほど。ヤツのお墨付きがあるのなら本物だ。それで、どうするんだ? お前、この店を継ごうとでも思っているのかも知れねえが料理が作れるからって、簡単に店はやっていけねえぞ」
「えっ! 彩さんがこの店を継ぐ?」
店長の言葉にボクは驚いて、思わず口走った。彩さんは既に就職先も決まっているはず。この店を継ぐとかあり得ない。
「ここは私にとって…。ううん、私とお父さんにとって第二の我が家みたいなものだからね。この店が無くなるなんてことは許せないのよ」
「でも、就職先も決まってるって…」
ボクが尋ねると彩さんは自慢げに答えた。
「そうよ。私の就職先はこの南大屋よ」
「おい、やめてくれよ。俺はそんなの認めてないぞ」
「子供の頃から決めてたの。将来はこの店を継ぐって」
そう言いながら彩さんはバッグから証書筒を取り出した。その中に収められていた証書を広げて見せた。それは調理師免許だった。
「おまえ、いつの間に…。受験するには実務経験証明書が要るだろう。俺はそんなもん出した覚えはねえぞ」
「ある条件付きで組合長さんが出してくれたわ。実際、実務経験は問題なかったから」
「あの野郎、余計なことを…。その条件がこれか?」
ボクは二人のやり取りを茫然と見守るだけだった。
組合長というのはこの地域の飲食店を取りまとめている組合の組合長のことだ。当然ながら彼自身も飲食店を経営している。そして、この店の常連でもある。彩さんはここで働き出して2年が過ぎたあたりから真剣に調理師の免許を取ることを考えていたのだそうだ。ところが店長は跡継ぎが出来ないまま奥さんと離婚したときから、自分の代で終わらせるつもりだったはず。そんな店長が店を継ぐための協力をするとも思えなかった彩さんは、組合長に相談したらしい。組合長は彩さんの熱意に感激し、ある条件をクリアしたら自分の店で証明証を出すと約束してくれた。その条件が南大屋の味を完コピすることだった。彩さんは1年の歳月を費やし、見事にその条件をクリアした。そして、その頃から店長の異変には気が付いていたようだ。
店長は力なく椅子に腰を下ろしうなだれる。眼もとに滲んだ光るものを隠すかのように。
親友である裕二さんに連れられて子供の頃からここに来ていた彩さんが自分の後を継ぐという。きっと店長はそんなことを考えたことはないのに違いない。そんな店長の胸の内は計り知れないけれど、店長が見つめる床に落ちた水玉がきっと答えなのだろう。
「それで、裕二のやつは何て言ってるんだ?」
「美味いものが食えるんなら文句はねえ…。だって」
「あの野郎、一人娘の将来がかかってるっていうのに何て奴だ」
ボクはこの二人の間には到底入って行けない。
「じゃあ、そういうことで」
帰り支度を始める彩さんを店長が呼び止めた。
「まだ認めたわけじゃねえからな。明日からお前が厨房を仕切ってみな。決めるのはそれからだ。俺が納得しなかったら予定通り店は年内で閉める!」
「大丈夫。認めさせてみせるから。さあ、帰るわよ」
そう言って彩さんはボクの首根っこを掴んで店を出た。
「じゃあね。また明日」
店を出た彩さんはバイクに跨ってそう言うとフルフェイスのヘルメットをかぶり、颯爽とその場を後にした。