17 暗い街道 3
「お嬢様!」
リザは騎馬に怯えて縮こまっている彼女の側に駆け寄る。
「エリツ様。いかがいたしましょう?」
「見せてみなさい」
セローが問うのへ、エリツはカンテラを寄せて膝をついた。屈んでもその背は相当に大きい。足を投げ出してへたり込んだニーケは、リザを、エリツを、そしてセローを順に見つめた。
「お二人とも怖がらなくてもいいですよ。俺たちは怪しい者じゃありません。靴を脱がしますので足を見せてくださいね」
セローが明るく声をかける。声の印象から見ると、エリツよりもよほど若いようだ。カンテラの明かりに明るい茶色の髪と目が見えた。気がつくと、騎馬隊がリザ達を取り囲んでいる。誰も何も言わない。
「エリツ様、俺がいたしましょうか?」
屈み込んだ男は黙ったまま首を振って、器用にニーケの編上げ靴を脱がした。
「ああ、これは無理だ」
セローが声をあげた。
「かなり腫れていますね。相当ひどく捻ったようだ。道から落ちたのですか?」
「……はい」
ニーケはリザを気にしながらも、しっかりした返事をした。
「すぐに冷やさないと。放っておいては治りが遅くなります。エリツ様、どうされますか?」
「町に」
エリツは短く答えた。
「え⁉︎ 町に?」
「……だってお二人は、町へ向かっていたのでしょう?」
セローが不思議そうに尋ねる。
確かにこの時刻では、リザ達は町を目前に難儀をしている旅人に見えただろう。町の方角からやって来たなどと言うのはいかにも不自然だ。
「は、はい。そうです。ラガースの町へ行く途中でした」
リザの視線を受けてニーケがとっさに嘘をついた。
「今夜の宿は決まっていますか?」
「……いいえ」
「エリツ様、どうしましょう」
セローの問いかけにエリツは黙って頷いた。彼にはそれで充分だったらしい。
「かしこまりました。では俺たちの宿に一緒に部屋を取りましょう。宿で医者を呼んでもらえると思いますし」
「で、でも……」
「お嬢様、参りましょう」
リザは即座に返事をした。
「お助けいただき、感謝の言葉もございません」
「わかりました。ではお嬢さん……えっと」
「ニ……ニケと申します」
ニーケは自分の名前を略して答えた。
「ではニケさんは俺の馬に。そっちの君は」
「いえ! 僕は歩きますので」
リザは慌ててそう言ったが、エリツはさっさと馬にまたがってリザに手を差し伸べた。
「お前も怪我をしただろう?」
「た、大したことは」
「時間がかかる」
そう言って、エリツは再びリザを鞍に引っ張り上げた。その間にセローはニーケを自分の馬に担ぎ上げ、自分もひらりと飛び乗った。
二騎は、少し離れたところで待っているもう三人の騎馬と合流し、町へと移動し始める。
エリツはセローの後をゆったりと進み、残りの三騎は彼らを囲むように進んでいる。それは訓練された隊列だった。町の灯りがどんどん近づく。
手配書に気がつかれたらどうしよう。暗いし、男の子のふりをしているからわからないと思うけど……。
リザの心臓は急速に高鳴り始めた。
「どうした、馬が怖いのか」
男が低く尋ねる。その声には労りが感じられ、リザは小さくかぶりをふった。
大丈夫よリザ。
堂々としていればきっと気づかれることはないわ。
しかし、その心配は杞憂に終わった。程なく辿り着いた町の東門の役所には、張り紙がなかったのだ。
考えてみれば、兄にはリザが王都からどの街道を通って逃げるか見当もつかないだろう。
これから寒くなる折り、気候の厳しい東や北に向かわないと考える方が自然だ。だから町の正面玄関である、西側の役所にしか張り紙はなかったのだ。
一行は迷いもなく、町の広場にほど近い一軒の宿屋に入った。そこには大きな厩があり、すぐに馬番が飛び出してきた。
男達は馬番に駄賃をやりながら馬を預け、母屋に向かう。とても旅慣れた様子だった。
男の一人は布が掛けられた籠を持っている。中から鳥のような鳴き声が聞こえるのでリザが不思議そうに見ていると、髭面のその男は、にっこり笑って布を少し持ち上げて見せた。
「気になるかい? これは鳩だよ」
「鳩?」
「ああ、特別な訓練を受けた鳩なんだ。今は陽が落ちたからうとうとしているけどね。さぁ坊や、行こうか」
宿の入り口でリザは帽子を深く被り直し、抱えられたままのニーケに駆け寄る。
「……大丈夫よ、リオ。心配かけてごめんなさいね」
ニーケは大丈夫だと言うように力なく微笑んだ。
「やぁご主人、こんばんは。遅くに悪いね。三部屋、頼めるかい?」
セローは、出てきた宿の主人に向かって気さくに尋ねている。
明るいところで見ると、セローの様子はいかにも人好きがするような、明るい瞳の青年だった。最初は剣を持った大柄な男四人にびっくりした風だった主人もすぐに警戒を解いている。
しかし、リザは警戒を解くどころではなかった。街の入り口に貼られていた張り紙が、帳場の奥にも貼ってあったのだ。
リザは用心しつつセローの背後にそっと隠れた。その様子をエリツが見ていることには気がつかない。
「いえ、あいにく二部屋しか空いておりませんで……申し訳ございません」
主人はリザには目もくれないで愛想よく応じている。
「ではこの二人と、俺たち五人で用意してくれ」
エリツが鷹揚に銀貨を二枚、帳場に放り出した。
「しかし、騎士様方五人では、かなり手狭になりますが……」
「構わない。俺たちは野宿に慣れているからな、屋根の下で眠れるだけで十分さ」
髭面の騎士がこともなげに受け合うと、銀貨に気を取られた女将が亭主の袖を引く。
「あんた、物置部屋を片付けたら、後お二人くらいはなんとかなるよ。床に敷物を敷くしさ」
「じゃあ、僕たちがそこを使いま」「俺が使う」
リザに被せてエリツが言った。
「え?」
「足を怪我しているのに、床に寝るのはよくないだろう。物置は俺が使う。いいな」
エリツは鍔広帽子を背中に落としながら言った。
その瞬間、リザの顔が凍りつき、ひゅうと喉が鳴った。
男はエルランド──リザの夫であった。
<予告>
思いがけない再会におののくリザ。
しかし、名乗れないし、気づかれてもいけない。
その想いは乱れて……。




