1-1 異世界転生した彼女
いつか言ってみたい言葉ランキングというものを作ったことがある。
その中の一つを、本当に使うことになるとは実は思っていなかった。
「知らない天井だ……」
今までにも使おうとしたら使う機会があった言葉だが、本心から言ったのは本当に初めてだ。
体を起こし周りを見渡す。知らない天井、知らないベッド、知らない部屋のレイアウト。感じとしてはコテージが近いだろうか。木の香りのする部屋だ。
窓は一つ。開いているのか風がカーテンを揺らしている。部屋で唯一動くのはそのカーテンだけ。ひらひらとなびく薄緑のカーテン。
ぼーっとカーテンを見ながら、頭は必死に考えていた。
本当に知らない部屋だ。旅行で来て寝ぼけてるとかではない。
だって昨日はちゃんと自分の部屋で寝た。かなり遅かったが寝た。
起きたのも覚えているはずだ。確か起きたはずだ。起きてから……何をした?
悪寒が走った。昨日? 今日? 起きてからの記憶がない。
覚えていない。
カーテンの薄緑が白黒になったような錯覚を覚える。
いや、待て。思い出せ。
俺の名前は駒形仁。19歳。大学2年。よし、覚えてる。
家族構成は父と母と兄。大丈夫。よし、落ち着いてきた。
昨日はバイトで夜明けまで働いて帰って寝た。うん。
その後は……?
ない。
寝てからここに来るまでの記憶がなかった。
「……困った」
人は本当に困ったとき天を仰ぐ。今知った。
とりあえず何かがあって、俺はここに来た。たぶん運び込まれた。そしてベッドに寝かされて今さっき目が覚めた訳だ。
うーん、とりあえず誰が何の為にそうしたか目的を確認できないと何もわからないな。手足を縛られたりしていない以上、そこまで酷いことはないだろう。たぶん。おそらく。
コンコン
考え事をしているとノックの音がした。扉は窓の反対側に1つ。これも木目の目立つ自然っぽい扉だ。
「はい」
思わず返事をしてしまったと思う。起きてる事を犯人(?)に知られてしまったじゃないかこれだと。
ほら、返事をしたから扉の奥がなにやら騒がしい。女の子が何か叫んでいるようだ。
バン!
勢いよく扉が開いた。姿を見せたのはあまりにも想像からかけ離れている人物。
小さい。130センチあるかどうかくらいか? 端的に言えば子どもだ。髪の毛はブロンド。海外の子なのだろう。
その小さな子はずかずかとこちらに近づいてくる。顔はこの年頃の子にしては整っているように見える。ふわふわとした髪の毛から少し見えるのは、尖った何か。あれは……耳?
ずかずかと表現したがこの子はかなりの勢いで近づいてきて、そのまま俺に抱きついた。
「え、ちょ……」
ハテナが際限なく浮かび上がってくる。なんでいきなり知らないよその子に抱きつかれるのか。
「よかった」
回した腕に力を込めながら、女の子が感慨深げに言う。流暢な日本語だった。
「目が覚めてよかった……また会えてよかった、先輩」
先輩?
特大のハテナが盥のように俺の頭に落ちてきた。
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あの後、女の子がわんわん泣き出したもんだから大変だった。何を言っても泣き止んでくれないし、なんと言うか俺が泣かした見たいでちょっと居心地が悪かった。
しかしそんな彼女に話しかけながら少しずつ情報を入手した。
俺が丸2日寝ていたこと。なぜかは分からないけど道端で倒れていたこと。大人数人でここに運んでくれたこと。ここはこの子の家でもあること。
そして重要なのはなぜ先輩と呼んだかだ。
彼女は、辰巳芽衣と名乗った。その名前には勿論覚えがある。付き合っていたのだ。俺は芽衣と。
だが、だ。
「つまり芽衣の生まれ変わりであると?」
「そう、だと思います。先輩との思い出は全て覚えていますよ?」
そう、芽衣は俺を残して逝ってしまっていたのだ。この1年下の後輩は。
だからこの子が芽衣だと言うならば、それは生まれ変わりになる。
「例えばどんな思い出を覚えてるんだ」
「そうですね、告白した時のことも、川辺での事も、全部」
「川辺?」
「その、初めてキスしたじゃないですか……」
確認すればするほど芽衣と俺しか知らない記憶が出てくる。認めざるを得ない。
「ここまで言われると信じるしかないな、芽衣だ」
「そうですよ、先輩」
そう言いながら耳の根元を少し撫でる芽衣(の生まれ変わり)。その癖も芽衣のものだ。
というか、
「その耳、何?」
芽衣(もうそう呼ぶことにする)の耳は普通の人とは違い、少し長く、そして、尖っている。
尖っている、ということは……
「ああ、そうなんです。私どうもエルフに転生しちゃったみたいで」
事も無げに言われても困る。
エルフとか想像上の生き物じゃないか。
「えっと、そのですね先輩」
ぽかんとしている俺に、芽衣はとどめの一言を言ってのけた。
「ここ、そもそも地球じゃないです。地球とは別の世界だと思います」