第三場 - 修道僧ロレンスの庵にて
「それじゃあ一郎君のお父さん」
珍しくスーツにネクタイをビシッと決めた担任のハゲが、やや緊張した面持ちでこちらを振り返った。同じく黒のスーツに身を包んだ親父が、俺の隣で厳かに頷いた。
「はい」
「……とロミオ君とジュリエット君」
「「はい」」
「三者面談を始めましょうか」
「何で二人もいるんだよ。これじゃ五者面談じゃねえか」
五人がぎゅうぎゅうに集まった面会室で、俺は呻き声を上げた。
息苦しい。
黒板の前に担任。
その正面に親父。
そして保護者席の隣に用意された生徒の席に無理やり三人で座ろうとするものだから、肝心の、今日の主役であるはずの俺が埋もれてしまっていた。膝の上に乗ってくるから重いし、俺からはもはや二人の背中しか見えない。
俺は視界のほとんどをロミオとジュリエットの背中に遮られながら、大切な自分の将来について見定めることになった。
夏休みもあっという間に終わり、それでも茹だるような暑さが続く二学期の始め。
この季節、ウチの学校では三者面談が開かれた。とは言っても俺たちはまだ一年だから、”将来はどんな仕事に就きたいか”とか、後は”普通科に残るか”それとも”特別進学コースに行くか”とか、まぁ簡単な内容だった。ロミオとジュリエットの二人ならいざ知らず、正直に言って俺はまだ働くなんてピンときてないし、もちろん”特進コース”に行くなんて選択肢もない。要するにすでに答えの決まった、形式的な面談である。
「まず息子さんのご希望……本人が現時点で見ている、自分の未来像についてですが」
担任が一つ咳払いした。
「一郎君は普通科を継続して希望していますが、将来的に大学進学など考えているのであれば、別の科に移ることも今からなら可能です」
どうもロミオとジュリエットが壁になって、イマイチ声が届かない。今何について話しているのか、俺は暗闇の中必死に聞き耳を立てた。二人の背中越しに、担任のくぐもった声が聞こえてくる。
「……まぁ、進路も結局本人がどうしたいかですね。出来る出来ないじゃなく、自分が今、どんな職業に就きたいのか。どんな未来を思い描いているかによります」
「一郎、どうなんだ? お前が今どんな未来像を見ているのか、正直に言ってみなさい」
「え? どんな景色って……。それは……”背中”かな」
「”背中”……?」
予想外の答えだったのか、担任と親父の声に戸惑いの色が見えた。
「一郎、それはどういう意味だ?」
「どういう意味って……そのままの意味だよ」
「君は今、”誰か”の背中を見ていると言うことかい?」
「まぁ、そうですね」
「つまり、”憧れの人”がいる。”憧れている職業”があって、その職人の背中を見ていると言うことだね?」
「うん? まぁ、俺が今、ずっと背中を見ていることは間違いないですね」
親父が少し驚いたように息を飲んだ。
「それは、どんな背中なんだ?」
「どんな背中……? いや、別に普通の背中だよ。まぁ、普通の日本人よりはちょっと背が高いかな」
「”高い背中”……”高い目標”と言うことだね! 君は今、高い目標を見上げているんだ!」
「え? ええ……まぁそんな感じです」
担任がなぜ興奮しているのか分からないが、俺は適当に頷いておいた。
「いやぁお父さん! 普段から一郎君は、授業中も特にやる気がなく、一体何を考えているのか分かりづらい生徒でしたが……失礼」
「いえ、家でもそんな感じです。息子が将来についてこんな積極的になっていたなんて、私も初耳で驚いております」
「高校生にしちゃ立派なもんです。今の子は将来とか夢とか聞いても、やっぱろ照れがあるのか話したがらなくて、中々面談が進まないんですよ」
そう言って担任は鼻息を荒くした。何故かは分からないが、担任が急にやる気を出し始めたので、俺はちょっと引いた。
「これほどしっかり目標がある生徒は、僕らも教育しがいがあるってもんです」
担任は嬉しそうに笑い声を上げ、それから俺たちの方に身を乗り出してきた。
「一郎君。君が見ているその”背中”について、もっと詳しく教えてくれ」
「え? でも、俺の進路の話はいいんですか?」
「良いんだ。今は背中の方が聞きたい。それがきっと、君の将来に役立つと思うよ」
「はぁ、分かりました。じゃあ、えぇと……」
次第に酸欠になってきた。俺は早く終わらせたい一心で、とりあえず思いついたことを言ってみた。
「暗くて……それからちょっと汗ばんでる……」
「ふむ」
「汗? 外回りの仕事なのか?」
「シッ! お父さん、最後まで聞きましょう。彼の本心が聞けるチャンスですよ」
ロミオとジュリエットの間から、二人のハゲが、興味深そうに俺の話に相槌を打つのが見えた。
「ゴツゴツしてて、所々骨が浮き出て見える……」
「骨!?」
「医療関係の仕事ですかね。こりゃあますます、カリキュラムを組むのが大変だぞォ……」
「それから、やっぱり暗い。視界がぼやけて、上手く見えない……早く終わらせてくれ」
「暗い、骨、汗……。考古学者にでもなるつもりか?」
すると担任が急にヒソヒソと神妙な声を出した。
「お父さん……応援してやりましょうよ。息子さんが考古学者になる夢。今日はそのための、進路相談なんですから」
「それもそうだが……いきなり”考古学者”になりたいと言われても。どうやってなるのか、それで食っていけるのかとか、一般人にはさっぱりイメージが湧かないというか」
「何? 何の話してんの?」
「子供の将来を応援して上げるのが、僕らの仕事でもありますから! あのうだつの上がらなかった一郎君が、ここまでやる気を出しているんですよ!」
「そうだな。あんなにポンコツだった一郎が……」
「僕、来年度には彼を特進コースに入れるよう手配しておきますよ。彼のために特別なカリキュラムも用意します」
「先生……」
「やりましょう! 僕らの手で、一郎君を考古学者に!」
「ありがとうございます。息子のために、こんな……」
そこでようやくロミオとジュリエットの二人が俺の膝からどいた。俺が暗闇から解放されると、担任と親父が、何か通じ合った目で固い握手をしているところだった。
「もう終わった?」
「ああ……お前の熱意は、十分に伝わった」
「熱意?」
俺は首をかしげた。俺を見下ろす親父は、何故か少し目を潤ませていた。
「しっかり勉強頑張れよ。来年から、特進コースだぞ」
「はぁ? なんで??」
状況が飲み込めず、俺はぽかんと口を開けた。すると突然、ロミオとジュリエットが横から割り込んで肩を組んできた。
「よかったな一郎! これで来年からも、同じクラスになれるぞ」
「何でだよ? お前ら、特進コースだろうが。俺は普通科で十分……」
「田中くんも化石に興味があるなんて、知らなかったわ」
「化石って? 待てよ。ちゃんと説明してくれ。せっかく来年から、間に挟まれないで済むと思ってたのに……!!」
しかしロミオとジュリエットの二人は、ニコニコと笑うばかりで何の説明もなく、俺を教室までズルズルと引っ張って行った。それからしばらく、親の仕送りが現金じゃなくて貝殻になった。俺は”特進コース”の遅れ分を取り戻すため、冬休みは課外授業を受けることに、決まった。