お箸を使わないのは野蛮人、なの?
「どうやらヴァンデルハウゼン卿には決闘を続けるおつもりはないようですね。
では、ご本人が心に致命傷を負ったと明言なさいましたし、この決闘裁判はオットー・へブラー以下郷士4名の側の勝利ということで。
まあ、命あっての物種とも言いますから。ヴァンデルハウゼン卿もお気を落とさずに。ハハハ」
見物人の輪の中で、若い立会人の、完全に他人ごとだと割り切った冷めた言葉が続く。
見物人たちからは『立会人も面倒くさいから投げてしまったんだな』との納得のため息が漏れる。
頭を抱えていた立会人のリーダーの老人が宣言した若い立会人に対して非難の目を向けたが、若い立会人は肩をすくめただけですませた。
状況はグダグダである。
計画がすべて水泡に帰したうえ、恥までかかされて茫然自失状態のヴァンデルハウゼン卿。
父親の武勇を目の当たりにできるとの期待が裏切られて憤懣やるかたない白雪。
代闘士の職業にみそをつけられ新たな就職先が見つかるまでどう食いつないでいくか焦りを隠せないエルフの3人娘。
喜んでいるのは決闘裁判に勝利したことになった4人の郷士の老人たちだけ。
呂布は呂布で今回も欲求不満のまま終わったことにイライラして【はるばーど】の石突で石畳を何度もたたいてしまう。
そこへ呂布と白雪に野外市場の肉屋を教えてくれた門番の兵士が見物人をかき分けて出てきた。
「おれはちゃんと言ったよな。騒ぎを起こすな、と」
兵士が呂布に冷たい目を向ける。
「おまえが言ったのは『決闘裁判の邪魔をしないように』だ。おれは決闘裁判の邪魔はしていない。むしろ円滑かつ迅速に終わらせてやったのだ。結果は満足だが、過程に大いに不満が残ったがな」
「屁理屈言うな。
とりあえず、おまえは公共用物の窃盗だから衛兵所まで来てもらうぞ。
言っておくが、おとなしくついて来ないと罪が増えるからな」
「窃盗?この【はるばーど】のことか?
これは決闘が終わったら元へ帰すつもりだったのだ。窃盗ではない」
「だから屁理屈言うなよ。
おまえがどういうつもりであろうと、参事会会館の壁から金具引き千切って手にした時点で窃盗なんだよ。
ああ。こちらに治安判事様もお見えになる。少しは黙って控えろよ」
「……」
門番の兵士がヴァンデルハウゼン卿に目礼する。
態度こそ不満たらたらではあるが、結局、権威とか大義名分とかにめっぽう弱い呂布がこのままでは押し切られると察知した白雪は父親に代わって口を出した。
「治安判事?それは判官みたいなもののようじゃの。
判官といえば、時には法を厳格に用いて民が悪い方へ走らないよう訓導したり時には民を愛しんで身を挺して権力の横暴から守ってやったりとなかなか大変な職業じゃな。
フン。それがよりにもよってこの意気地のない男とはの。
そういえば、こやつ、父者に恥をかかされる前に郷士どもに殺人予告をして脅しておったの。
犯罪を裁くはずの治安判事様が実は犯罪を自ら犯しておりました、かや?
本当にすごい土地柄じゃの。のう。門番?」
「えっ。ヴァンデルハウゼン卿?」
白雪の悪口雑言にうなだれているヴァンデルハウゼン卿は兵士と目を合わせようとしない。
「ハハハ。最近、勤務が過激で疲れがたまっているんだな。肩も凝って、そのうえ耳まで聞こえないや。ぜんぜん聞こえないよ。聞こえない聞こえない。まったく聞こえない」
門番の兵士は自分の肩を叩きながらあさっての方向を見ながら白々しくつぶやいた……。
*
「話が違うではありませんか。シュミット卿。
なぜあのような裁定をされたのですか!」
人気のない路地の入口。
馬車の陰に隠れてヴァンデルハウゼンは立会人の若い男を潜めた声で責めた。
「いやいや。物事とはなかなか狙った通りには行かないものですねえ。わたしも参ってしまいましたよ。アハハ」
「アハハじゃなくて。
そもそもこのお話はアウゲンターラー家から申し込まれたものではないですか。それを秘密の交渉人である貴殿が潰してしまわれるとは。
この条件を飲むのに私がどれだけ苦しんだことか!
本当にアウゲンターラー家はわがマテウス辺境伯家に手を差し伸べてくださる気があるのですか!」
一瞬、柔和な表情の若い立会人がヴァンデルハウゼンの言いぐさに鼻白んだかのように目を眇めた。
「ヴァンデルハウゼン卿のご苦労などわたしの知ったことではありませんよ」
「はあ!?」
「いやいや。切れ者と言われたヴァンデルハウゼン卿ともあろうお方がそんな泣き言をおっしゃるなんて。そちらの方こそ驚きですよ」
「……」
「アハハ。逆切れなさるとはね。
こうなってくると、逆に本当にご自分たちの置かれた状況を理解されておられるのかまで疑わざるを得ませんね。
かつての派閥の領袖としての華々しい頃とは違うのですよ。そちらのマテウス家はもはや死に体。対等の立場でものが言えるわけないじゃないですか」
「くっ!」
屈辱感で歪んだヴァンデルハウゼンの顔を笑いつつ若い立会人は馴れ馴れしくその肩を掴んで力を籠める。
「もっと真剣になって侯爵家がせっかく投げた救いのロープに縋り付いてもらわないと。ね。
ああ。それから行方不明のお姫様の居場所もそろそろ白状してもらわないと困りますねえ。わたしにも立場というものがありますから。いつまでも遠方の修道院に入っていらっしゃるとかいう冗談に付き合っていられないので。ね」
「……」
ゴトッ
物音を聞いたヴァンデルハウゼンの顔に緊張が走るが、路地裏の奥からのっそりと猫が出てきただけであった。
「アハハ。臆病は悪いことではないですけどね。
猫に驚くほどの及び腰では物事は万事うまくはいきませんよ。
何事をなすにしてももっと積極的でなくては。そう。たとえ悪事であっても楽しむぐらいに積極的に、ね」
息がかかるほど顔を近づけてから若い立会人はようやくヴァンデルハウゼンの肩から手を離した。
「侯爵家にあだなすあの4人の老人をあの世へ送る次の手筈が整ったなら、宿へご連絡を。
忠告しておきますが、時間があまりありませんよ。ぐずぐずするようなら4男のクラウス様との結婚のお話も立ち消えになります。
幸運の女神の前髪は短いといいますからねえ。まあ、せいぜい頑張ってくださいね。マテウス家一番の忠臣のヴァンデルハウゼン卿。
それじゃあ、わたしはこれで」
「……」
悠々と立ち去っていく若い立会人の後姿をしばらく睨みつけていたヴァンデルハウゼンであったが、「生意気な。虎の威を借る狐の分際で」のセリフと唾を地面に吐いてから荒々しく馬車に乗り込んだ。
*
ヴァンデルハウゼンの馬車もゴトゴトと立ち去ると、静寂とともに猫もまた舞い戻ってきた。
そして、その猫を路地裏から身なりの良い若い男のような影が現れて優しく抱き上げる。
「ふん。そういうことか。
ひとの留守に好き勝手やるとは。
だが、大した悪党とは到底言えないな。わたしならもっとどぎつい嫌がらせをする。そいうところが抜けている点でせいぜい三流の悪党といったところか。
そう感じるようになったとは、わたしも悪くなったものだな。ハハハ」
どちらの男に対する呟きか、暗がりで男にしてはやや甲高い声が楽し気に響いた……。
*
ところで呂布という男、後漢最高の将と言われながら後世の人間の評価はすこぶる悪い。曹操や董卓に次ぐほどに悪い。
「虎の強さを持ちながら英略を持たず、軽はずみで狡猾で、裏切りを繰り返し、利益だけが眼中に有った。彼の如き人物が歴史上破滅しなかった例はない」
これが三国志の著者陳寿の評価である。
陳寿は最初、諸葛孔明が活躍する蜀漢に仕え、後に故あって西晋に仕えた男である。呂布より2世代ほど後の人物であるが、彼が呂布の生きた時代を生々しく肌で感じ取り正確に事実を把握していたことは想像に難くない。それゆえ、後世の人々は彼の言を信じ、彼の言は呂布に対する印象を決定づけた。
しかし、本当にそれでいいのであろうか?
陳寿のその著作は立場上、かなり捻じ曲げられていることを忘れてはならない。
たとえば劉備。
一般に劉備は聖人君主のような民を労わる仁心に溢れる理想の武将のように描かれている。しかし、これはまったく実情とはかけ離れた話である。劉備という男は幽州の侠客つまり破落戸であった。平時であれば、官憲から処罰を受けたかもしれない世の中の持てあましもの、反社会的な人物であり、権力とはまったく無縁の市井の人であった。
劉備は前漢の景帝第9子中山靖王劉勝の庶子の末裔と称していたけれども、200人もいたといわれている庶子の末裔と言われてもどれだけ権威のあるものか、当時の人々にとってもピンとくるものではない。しかも、限りなく偽称くさい。
それをこの男は厚顔にも盛んに言いふらしていた。なぜか?
何もないこの男にとって平時には一顧だにもされないような血統の権威も乱世となれば平和だった前王朝への人々の郷愁を駆り立てるものとしてアピールポイントになりうるからである。何もしないよりはましというわけである。
陳寿にとって不幸なことにこの戦下手のやくざの親分は最初に仕えた蜀漢の創始者であった。儒教的観点から言えば陳寿は先主のことを悪しざまに書くわけにもいかない。しかも後に仕えた西晋は魏から禅譲を受けたとされている建前上、蜀漢ばかりをも褒めるわけにもいかない。
こうして二律規範の立場に陥った陳寿の創作が始まった。
劉備は理想の君主、悲運の武将として。劉備を助けたり味方だった者たちは善玉として。劉備に敵対し劉備に煮え湯を飲ませた者たちは暴虐非道な悪人として。
中でも魏とは関係のない、劉備から徐州を奪った呂布はもっとも強烈な悪人として描かれることとなった。
強欲で凶暴で裏切り者。しかも単純で無能。
しかし、三国志に出てくる群雄のほとんどが何度も裏切りに手を染めているし、呂布よりもひどいことを仕出かした連中のなんと多いことか。
呂布は陳寿のいうような人物では決してない。
もっとも、突飛で大変奇妙な男ではあるが……。
*
調理場の炉が赤々と辺りを照らし、食欲を誘うにおいで充満している。
ここは、街一番の宿屋、金の鶏亭の食堂である。
大蒜やハムが数珠つなぎに天井からぶら下がっている室内を呂布と白雪が物珍し気に見回していると、二人を連れてきたオットーから声がかかる。
「遠国の方には珍しいですか?
ここら辺ではどこの食堂もこんな感じですよ」
オットーは4人の郷士のうちで一番丁寧で上品な物言いをする。彼は穏やかな雰囲気を漂わせ周囲に気を配り自然にまとめ上げていく、そんな素敵なロマンスグレーのおじさまである。
だから自尊心のかなり強い白雪もオットーに対して一目置くような態度を示す。
「妾たちの故郷にも酒楼や料理屋などがいろいろあっての。酒食を供する店は珍しくもないのじゃが、作っている料理がな」
「ほう。珍しい料理がありましたか?」
「あやつらが盛んに食べている、あれじゃ」
見れば、なぜかついて来たエルフの3人娘が大盛りのから揚げをがっついていた。
「お兄さん。から揚げもう一皿にエール追加ね。銘柄はフォーリンスタウト。1パイント入り容器で」
「こっちもエール追加。わたしはドライスタウトで」「ぶはあっ。わたしも同じもの追加!」「エリザベス。下品」「いやいやいや。こういうところで上品ぶる方が場違いというもんよ。ここは頑張ってるおじさん方が日常の疲れをいやすために心を開放するところ。空気を読んで周りと同調しなくちゃ」「はあ!?わたしとアン以外に友達いないボッチのあんたが空気読むですって?」「エリザベスって意外と見え張り。こないだも……」「言うなっ!言ったらあんたの黒歴史もばらすっ!」
ただ飯ただ酒ということで遠慮がなくワーワーキャーキャー騒ぐエルフ娘たち。
さすがのオットーでさえ手を止めて少しあきれ顔である。
「……ああ。あれはジャイアント・トードのから揚げですな。
確かに揚げ物料理は遠方から来た方々には珍しいかもしれませんな。なんせわたしの子供の頃には無かった料理ですから」
「最近広まった料理なのかや?」
「そうですね。10年ほど前に商人たちがサクスフェリア教皇国で盗み覚えてきてから人気の料理になりまして。なんでも250年前に勇者様が伝えてサクスフェリア教皇国で長らく秘匿されていたとか。
まあ、ひとつ。ご賞味ください。若い方ならきっと気に入られること請け合いですよ。
おーい。こちらへもから揚げ一皿くれ」
「へーい」
若い給仕が山盛りのから揚げを盆に載せて持ってくる。
「おお。芳ばしい香りじゃな。
どれひとつ、もらおうかの」
白雪が箸でつまんで口にほおばる。
「うっ。あつつ。
はふ。熱いが肉汁が広がって」
白雪は顔をしかめながらも頬張るのを止めない。
「これはうまいの。いける。もう一つ」
今度は箸が止まらなくなる。
「白雪よ。そんなに急がなくてもから揚げというものが逃げるわけでもあるまいに」
騒ぐエルフ娘たちにも全く関心を示さず、われ関せずとワインを飲んでいた呂布が娘にだけは注意をする。
「おお。父者。この料理を作った人間は天才じゃぞ。
ころもが二重で外はカリカリ、中はしっとり。肉の旨味を逃さず殺さず。この工夫、心憎いばかりじゃ。
父者も葡萄酒ばかり舐めておらず、これを食してみよ。驚くぞ」
白雪が驚いたのも無理はない。後漢時代、ほとんどの中華料理の原型が出揃っていたものの、揚げ物料理の完成だけは宋の時代を待たなくてはならない。呂布や白雪の生きた時代に中華風鶏のから揚げである油淋鶏はもとよりヨウチャ、カヌチャの類もない。
「カエル肉についてはよく知りませんが、鶏のから揚げ、特に鳥の胸肉のから揚げの場合はいきなり高温で揚げるとパサつきやすく、料理人たちは二度揚げ、つまり一度、低温で揚げて取り出して余熱でゆっくり加熱して、それからもう一度高温で一気に揚げて外側をパリッとさせる工夫をするそうですよ」
「なるほどの。だから中まで火がよく通っていてなおかつ外がパリッとしておるのか」
「そうです。白雪殿は料理にも精通しておられるようですね」
難問に正解を出した生徒を褒める教師のようにオットーがニコリとする。
「いやなに。それほどのこともないこともないぞ。フフフ。
妾は食にはちとうるさいだけじゃ。アハハ」
褒められれなれていないらしく異様にうれしがっている白雪に対してオットーは穏やかな笑みを絶やさない。
「ところで、お嬢様とホウセン殿がお使いのその棒のようなものは何でございましょうか?」
オットーが好奇心を抑えられずにマイ箸を器用に操る白雪の手元を擬視する。
「これは箸じゃ。
故郷では皇帝から教養のない百姓まで皆使っておるな。第一、手は汚れんし材料はそこらの生木を削ればよいから非常に便利というわけじゃ。それゆえ、箸を使わず手づかみで飯を食う人間は野蛮人扱いされることになる」
「……な、なるほど」
野蛮人という言葉に反応しそうになったが、上品なオットーはあいまいに肯くにとどめた。
「オットー殿。
無理に白雪に話を合わせることもないぞ。こいつは特殊な事情があって世間知らずなところがあるからな。話半分で聞き流してくれ。
故郷でも手づかみが一概に不作法とはされていない。現に宮廷で箸を使わず手水で手を洗って手づかみで食する料理が出されたことさえある」
「ほう。ホウセン殿は宮廷に出仕されておられたのですか。やはり高貴なご出身だったのですね」
「いや。俺はもとからたたき上げの軍人だよ。
なに。たまたま機会があって都亭侯、温侯などという貴族に列せられたことがあるにすぎんのさ。昔のことだ。今はこの通り無位無官で家すらないありさまだ。俺を敬う必要など全くない」
「そ、そうですか。
……それはそうと、ホウセン殿はずいぶんとワインを飲みつけていらっしゃるようで。お国ではワインは珍しくないお酒のようですね」
「まあな。俺も若い頃は馬乳酒という薄い酒しか知らなかったが、長安という故郷の都で覚えた。長安にはワインが西方から砂漠をまたいで運ばれていてな。董卓とか西涼兵とかいう嫌な連中との付き合いでよく飲んだ」
「……」
過去の詮索を避け話題を変えようとしたオットーだが、呂布のむすっとした表情から地雷を踏んでしまったことに気づいた。しかも横では白雪が「なんじゃ。父者よ。横から口をはさみよって。そのうえ、ひとのことを世間知らずの箱入り娘のように言う。これでも江湖を渡り歩いて何度となく震撼させたこともあるのじゃぞ。いつまでも子ども扱いするな。ブツブツ」と先ほどとは打って変わってご機嫌斜めである。
今も昔も接待は疲れるな。
オットーはゴブレットのワインを一気にあおった。
と、その時、バンッと扉が開いて外から潮風を漂わせた人物がつかつかと入って来て叫んだ。
「おお。陽気にやってるな。
もっと酒を飲んで騒げ。
おまえたち爺連中の命拾いとわたしの帰還をも祝ってな。そら」
黒いつば広の帽子。黒い半マント。黒い革の長靴。黒い革の手袋。腰に吊った左右の黒さやの長剣。
その人物の投げた小袋から山吹色の金貨がジャラジャラとテーブルに零れた。
「姫様っ!」
老人4人の口から叫び声が一斉に上がった。