魔法は常識、なの?
いくつかの草原と林を横切ると、両側に白い花の咲く木を並べた街道に出た。
不思議なことに途中の草原では人ひとり出会わず、まったくの無人である。中原ならこんな肥えた土地を官や百姓たちが見逃すはずもなく、とっくに開拓されて田畑が広がっているはずなのだが。
「なあ。父者よ。この土地に来て体が若返ったせいだけではなく妙に体の調子が良くなったとは感じんかえ?」
白雪が先ほど出てきた、全身ぬるぬるした巨大なカエルとごつごつした火を吹く巨大なトカゲを退治してから急に得意げになり、何やら語りはじめた。
「妾はな。昔、華佗というやつに附いてずいぶんと医術を習ったことがあったのじゃ。妾はなかでも診断が得意での。それもそのはず、妾は生まれついての才能で人体の中の患部が色づいて透けて見えるのじゃ。古代の名医には馬車で村の入り口に乗り付けただけでその村の住人全員の患っているところを透視できたとかいう者がおったそうじゃが、妾も範囲こそ小さいものの同じようなことができたのじゃ。
妾が潜んでいた【ごぶりん】どもや先ほどのカエルやトカゲを事前に察知できたのもそういうわけじゃ。
ところがじゃ。おかしなことに前世とちごうてその察知できる範囲が格段に広がっておることに気づいてしもうた。先ほど言うた古代の名医にひけをとらん位にの。
それを不思議に思うてずっと考えていたのじゃが、ようやくさっき、合点がいったのじゃ。
察知のからくりは、前世では体内で経絡を循環している仙気(命名は仙人になりたくて修行していた左慈)を外に向かって照射してその反射を感じておったからなのじゃが、この土地ではそこらへんに仙気が満ちておって意図しただけで体内の仙気を照射したのと同じことができたわけなのじゃ。察知が目に見える範囲くらいに広がってもなんらおかしいことではない。
父者も知っての通り、妾は昔から手を使わず小石なんかを宙に浮かせることができた。これは同じく体内の仙気を使うて浮かせておったのじゃが、前世では浮かせるだけでも膨大な仙気が必要で、浮かせた小石で攻撃するなど考えられんことじゃった。
それがじゃ。このそこらへんに満ちておる仙気を使えば簡単に人を殺せる程度の攻撃ができるのじゃ。
話を戻すと、妙に体の調子がいいのも無意識のうちに体が外にある仙気を吸収してそれを経絡を通して循環させて肉体の活性化を図っておるせいじゃ」
白雪の言うことをおれなりに理解するならば、血のほか体内を循環するものに気と仙気というものがあって、もともとそれらが経絡を廻ることによって体の調子を整えている。しかし、この土地では不思議なことに仙気が満ちており、それを体が勝手に取り込んで肉体の強化に使っているので調子がすこぶる良いらしい。
その他、道中、白雪がおれに語ったことによれば、もともと気も仙気もごく普通の人間ばかりか犬や猫でもそれなりに体内に宿しているのだそうだ。気は特殊な呼吸法によって経絡を廻らせることで増大させることができ、これを体外に放出することができるなら硬気功使いないし内気功使いと呼ばれる武術の達人になれるらしい。これに対して仙気の方はもっと特殊で、白雪のように透視したり物を浮かせたりあるいは左慈のように人の五感を騙して幻を本物と感じさせることまでできるそうではあるが、なかなか体内で増大させられるようなものではなく、左慈の補導術(閨房術の一種)や甘始の行気の術(呼吸法)といった特殊な技法を使ってもわずかに増やせるにとどまるらしい。
左慈曰く、体内の仙気を自由自在に増やせるようになるならば人は生きながらにして仙人になれるとのこと(左慈が昔、白雪を攫ったのもこの仙気を体内で増やす研究に役立たせようとしたためであった)。
そうであるならば、仙気に満ちているこの土地ではみんながみんな、仙人になることができる……のか?
「父者よ。話はそれだけにとどまらぬぞ。妾は物を浮かせて相手にぶつける攻撃方法よりもっと簡便で効果的なやり方を思いついてしもうた。
それは相手の体内の重要な臓器に仙気を直接働きかけて破壊してしまうことじゃ。いや。破壊せんでも少し邪魔してやればそれでよいな。脳や肺を巡る血をほんのわずかな間、止めても人は死ぬのじゃからな。
クククッ。察知の方法と併用すれば妾の認識できる範囲におる相手は同時にすべて即死することになるわ。
どうじゃ。父者よ。この土地で妾は無敵の強者になってしもうたぞ。すごいじゃろ」
「あのな。娘よ。
おまえの言う通り、この土地がその仙気とやらで満ちているというのであれば新参者のおまえが考えつくより早く元から住んでる者たちが気づいていてもおかしくはないのではないのか?もしそうだとすると、この土地は無敵の強者であふれかえっていることになるなあ」
「えっ!?」
「しかも、そういう無敵の強者同士で対決した場合、相手より先に見つけて手を出した者が勝つという実に殺伐とした有様となる。
その状況では、おまえの言う無敵の強者様は相手に先に見つけられないよう、四六時中、周囲に気を配っておちおち眠ることさえできないし、安心して眠るためにはそれこそ【ごぶりん】たちのように人里離れた未開の地でひっそりと洞窟暮らしするほかはない」
「……」
「娘よ。おまえは無敵の強者とかいって嬉しがっているが、強者であろうが弱者であろうがやるときはやらざるを得ないものだろう。そして、そんなものは平穏な日常では全く役に立たん。結局、無敵の強者などといって偉そうにしても意味がないということだ。
それともなにか。おまえは自尊心を満足させるため弱者に対しては嬉々として攻撃するが、より強者に対しては下手に出るとかいうクズのよくやるみっともない真似でもするつもりなのか」
おれがきついことを言うと、白雪は今度はプイと横を向くのではなく、こちらをキッと真正面に見据えてブルブル震える下唇を噛んだ。
「父者がそういうことを言えるのは、父者が恵まれていただけじゃ。
妾は左慈に捕らえられてから心の中で何度、父者に助けを求めたかしれん。だが、父者はそういうときには遂に来てくれなんだ。
妾は何度も何度も地獄を見たのじゃ。おかげで、もう何を見ても妾の目から涙すら零れんようになったわ。
父者が都落ちした初平3年(192年)、董卓の残党が長安で乱暴と略奪の限りを尽くして地獄となった。左慈の監視を逃れて向かった荊州南陽でも襄陽でも何度も何度も戦禍に見舞われて地獄を見た。
そういうとき、力のある者は飢えれば弱い者から何でも奪うものじゃ。食べ物でも金でも服でも何でもじゃ。あいつらのこころには情けや憐みの情といったものなどはない。力こそすべてで、気分次第で他人の名誉や命をなんの躊躇もなく踏みにじって奪い取っていくものじゃ。
そんな奴らに対抗するため妾が力を求めて何が悪いのじゃ!誰も保護してくれぬ妾には力を求める以外方法はなかったのじゃ。奴らはこちらが女とみればすぐ舐めてかかってくるんじゃぞ!父者は奴らを殺して生き残った妾の方が悪いというのかや?
妾が人を殺したり傷つけたりしたのは、妾の心が鬼だったからではない。周りが鬼だらけじゃったから妾も鬼の真似をしたにすぎんのじゃ!」
思わぬ娘の告白に胸が詰まった。
「……白雪。おまえはおれの手を離れてから誰かと結ばれなかったのか?ずっとひとりぼっちだったのか?」
ずっとひとりであったのなら娘の人生は不憫すぎる。
「う、うむ。一応、ある男と結ばれたぞ。太史慈という男でな。青州東莱の生まれで、同じように南に流れてきた者同士仲良くなっての。妾は正室ではなく妾ではあったが……、まあ、よくしてもらった方ではあるわな。
あっ。期待外れで父者には申し訳ないが、太史慈との間に子は生まれんかった」
「そうか」
「太史慈はずいぶんと面白い男であったが、実力を発揮せんまま赤壁の戦い(207年)の前年建安12年に急な熱病を患って死におった。『大丈夫という者がこの世に生まれたからには、七尺の剣を帯びて天子の階を登るべきを、その志が実現できぬ内に死ぬことになろうとは』というしょうもない言葉を残してな」
その太史慈とかいう男、おれから見ればずいぶんとあけすけな野心家であるな。
現実に出会っていた場合、気に入るかどうかの自信はない。ただ、自らの野心を建前を口にしてごまかす連中よりは数等上等だとは思うが。
「父者よ」
「うむ?」
「先ほど言うたことと矛盾するが、妾の人生はそれほど憐れむものではないぞ。まだましなほうじゃ。
同い年に蔡文姫がおるが、やつは興平年間(194年―195年)に長安で董卓の残党から難儀をかけられ、逃れた先で匈奴に拉致された挙句、無理やり劉豹とかいうやつの側室にされてしもうた。風の便りに聞いたところでは太史慈の死んだ建安12年に曹操が手を回して帰国できたそうじゃが、女の身ではなかなかことが単純にはいかぬ。最初その気はなくとも長年連れ添った仲を無理やり裂かれれば素直には喜べぬはずじゃ。曹操もつまらぬことをする。
その蔡文姫に比べれば妾の人生もまだましじゃ」
蔡文姫ついてはその父親を含めてもちろんよく知っている。董卓を誅殺後、王允殿がその父親を処刑したからな。そして、白雪は蔡文姫に琴を習いに通っていた……。
*
人間の街へ行くとしても金がなければ話にならない。そこで、もしかしたら売れる可能性を考えて、ねばねばを嫌がった白雪を宥めすかせて倒したカエルを運ばせ(周りにある無限の仙気を利用して宙に浮かせて運ばせた)、おれは即席の橇を作って火吹きトカゲを載せて運んだ。
昼過ぎ夕方前までには着いたのだが、着いた街は掘割と高い石の壁に囲われた大きなものだった。中原で言えば、大きな県城といったところだろうか。
街道が途中から石畳となり、そして、その(馬車の轍や荷車の車輪で)擦り切れた石畳は城楼の下の大きく開かれた門を超え、街の中心である広場まで続いていた。
門の脇には鎖帷子を頭から被った兵士が大薙刀というべきかあるいは牛刀を穂先につけたような長柄武器によりかかりながら欠伸を噛み殺していた。
その兵士を観察してみるに、一見して別段、尻尾も獣耳もついていない普通の人間の兵士にも思えたが、近づいてみると兵士の瞳が中原の人間と異なり青いことに気づく。
昔は長安の都にもこういう目をした胡人たちがちらほらいたそうだが、おれは慣れていないうえに、その彫が深くて大きな鼻の顔を見ているとどうしても紫二娘を思い出してしまい、嫌な気持ちになる。
「顔は気持ち悪いがごく普通の人間のようだな。腕の方も隙だらけで別に大したこともなさそうだ」
「たかが門番に武術の達人や凄腕の仙気使いがいたらおかしいじゃろ。この門番の兵士がこの世界に住む人間の平均値としたら、やはり妾の最強伝説がこれから始まりそうじゃな」
「娘よ。あまり調子に乗りすぎて隠れた達人に不意打ちを食らわないようにな。慎重に頼むぜ」
おれと白雪がコソコソ内緒話をしていると、その欠伸をしていた門番の兵士がおれたちの運んでいるものに驚いたのか、こちらに声をかけてきた。
「妙な荷物を引きずっているうえ、いやに汚い恰好をしているな。それに前開きの服なんて珍しいぜ。どこか遠いところから来た冒険者か?おまえたち」
「余計なお世話じゃ。汚いのは重々承知しておるわ。これは襦というて故郷では普通、百姓が野良仕事に着ていくような服装じゃ。しかもやっつけで仕立て上げたものじゃから雑巾みたいになっておるしな。まあ、形式ばった席ではこの上に袍や官服を重ねることになっておるのだが、今のようにトカゲやカエルを街に持ち込むのに別段、綺麗な格好をする必要はないと思うぞ」
「まあ、そりゃそうだ」
【ごぶりん】たちから散々聞かされたおれは冒険者などというものは弱いものとみれば襲いかかってくる盗賊や野盗の類と思っているので、『冒険者か?』と尋ねられた時点で答える気がなくなってしまい、ムスッと黙ってしまった。
そんな父親を横目で見て思うところがあったらしく、代わりに白雪がてきぱきと話を進めてくれた。
こういうのを世間では大人げないというのであろうが、おれは反省するつもりはない。
さらに白雪が門番の兵士にカエルやトカゲが売れるのかと尋ねてみると、野外市場の肉屋へ行けと言われた。
「ああそうそう。広場では決闘裁判が行われるから邪魔しないようにな」
「決闘裁判?」
「知らんのか。郷士どもとヴァンデルハウゼン卿のところの小作人とが土地の境界をめぐって争ったのだけれど、(どちらの言い分が正しいかを証明する)明確な証拠も出てこず、結局、古めかしく神前で決闘して決めるということになったのさ。
それで、広場の辺はその決闘を一目見ようという人々が集まってきて騒がしいんだよ」
門番の兵士にそんな注意を受けておれと白雪は野外市場の肉屋を目指す。
広場に続く石畳に面した建物は4、5階建ての立派な石作りのものであるが、それ以外にある建物は漆喰の壁に屋根をワラなどで葺いた平屋ばかりで貧しい人間が多く住んでいることがしのばれる。
門番の兵士が言っていたように広場には人が集まっており、普通の人間ばかりか獣耳のついた者までいた。
男の服装はだいたい膝までの筒袖を頭から被るか上半身にぴったりした腰から末広がりになった同じく筒袖の上着を被っていた(襦のように前開きの襟を交差して帯で留めるような服はないようであった)。色は茶色か灰色しかなく貧しげである。
洒落た連中はそのうえで、腰ひもに短刀の飾りのついた鞘をぶら下げ、分厚い羊毛の上衣を片方の肩から下げて脚の中ほどまで覆っている。
多くの人間が迷惑そうな顔をしつつもおれたちと荷物を避けて道を通してくれ、混んでいる人通りから野外市場の肉屋の前までたどり着けた。
「このトカゲとカエルを買ってくれんかね?」
白雪が主人らしい前掛けをした赤ら顔の男に問う。
「【さらまんだー】と【じゃいあんと・とーど】か。買うよ。だが、【じゃいあんと・とーど】の方は足だけしか要らん。あとは買わない」
カエルの方は足以外食用にならんらしい。
「いやいや。足だけしか要らんと言われても妾たちも残りをどうすることもできん。残りはただでいいから一匹すべて引き取ってたもれ」
白雪がそう言うと、赤ら顔のおやじがため息をついて出てきた。
「捨てるしかないから面倒なんだよな。あれ。おまえさんたち、【ませき】抜いてないじゃないか。込みでおれに売るつもりか?」
「解体のすべを知らんからな。多少買い叩いてよいから全部引き取ってくれろ」
それからしばらく白雪と赤ら顔のおやじとの丁々発止の駆け引きが続き、結局、【ませき】込みで【さらまんだー】が300ペニヒ(45万円)、【じゃいあんと・とーど】が100ペニヒ(15万円)で引き取られた。
おれはこういう銭のやり取りについてはまるでわからないので一切口を出さなかった。
しかし、白雪と赤ら顔のおやじとが銭の駆け引きを終えた後、別のことをおれは聞いてみた。
「肉屋の亭主よ。この【さらまんだー】とかいうトカゲ、本当に食えるのか?いかにもまずそうだが、買う人間が本当にいるのか?」
「はあ?食えるかどうか確信の持てないものを持ってきたのか。呆れた連中だな。
でも、その疑問、ある意味では正解さ。商売柄、おれも【さらまんだー】の肉は食うけど、味は絶対、お貴族様方が軽蔑する豚の肉の方がいい。つまりなんだ。火属性の肉ということでお偉いさんたちが箔付けのために食べる代物だな。実際食べなくても食卓で飾っとけばそれでいいというわけさ」
肉屋のおやじの説明によれば、この土地では火、風、水、地の順で尊ばれており、食べる肉に関しても火属性のものが最高とされているらしい。ちなみにカエルは水属性であり、牛や豚の家畜は最低の地属性となっている。
水属性以上の肉を食べるのは金持ち連中であって、もちろん庶民は地属性の肉を食べており、値段の方は豚の丸焼き・16ペニヒ(24000円)、鶏・2ペニヒ(3000円)、鳩・2ペニヒ(3000円)、ガチョウ・14ペニヒ(21000円)、羊の肩肉・6ペニヒ(7200円)となっていた。
これら家畜の値段に比べて先ほどの買取の値段が妥当なものかどうかについておれは皆目わからない。まあ、白雪のことだからうまくやっているとは思うので文句はない。
「ところで、肉屋の亭主よ。決闘裁判について聞いたのだが」
「ああ。あれか。大きな声では言えないが、裁判官を務めたご領主さまは最初からヴァンデルハウゼン卿の肩を持つ気でいらしたから郷士たちの負けは決まっていたんだよ。茶番というやつさ。決闘裁判ということにすれば形の上では両者とも公平に扱っているように見えるだろう?ところが、金のあるヴァンデルハウゼン卿の方は当然決闘を専門にしている有名な魔法剣士を雇うけれど、貧乏な郷士たちは仲間内から決闘する人間を選ばなければなきゃならない。勝負は最初から見えているんだ。
ハッ。これまたヴァンデルハウゼン卿のところの農奴どもが虎の威を借りる狐よろしく威張り散らすことになる。いやだねえ」
「【まほう】剣士……か」
肉屋のおやじから金をもらったおれと白雪はその決闘裁判というものの見学に行くことにした。