勇者といってもいろいろある、なの?
「勇者様あ。勇者様はどこにいらっしゃるのですか?」
異世界とやらに転生してわずか7日目、同じく生まれ変わった娘が怒っておれのもとから去ってしまった。原因はおれの言動にある。娘を怒らせたくはなかったが、おれにも譲れないものがあるのだ。仕方がない。
当初、娘が生活に困らないか心配したのだが、前世でかなり苦労したらしく、その経験が実って随分と快適な生活を送っているようだ。娘は冒険者というものになったそうだ。森にいたゴブリンとかいう緑の小鬼どもの話から唾棄すべき賤業だと思っていたのだが、娘によると冒険者といってもいろいろあるらしい。
袂を分かってしまったといっても、おれは娘のことを嫌いになったわけじゃない。娘の方でも同じで、なんだかんだとおれの服だとか下着だとかを仕立てて送ってくれるし、作った料理が余ったからと言い訳してわざわざおれ好みの食べ物をくれたりする。
これに対して、おれは現在無職であって、情けないことに手元に送ってやれるようなものが何もない。気持ちを伝える手段が制限されるというのは、なんとも悲しいことだ。
そんなおれがどうやって食っているかというと、フロイデとかいう妙なお姫様のヒモとして最初の頃はその旧臣のオットーの屋敷で、娘と別れた後はヴァンデルハウゼンの屋敷で居候になっている。しかも、例のエルフの小娘3人が離れたがらず、まとめて世話になっているという始末だ。
言い訳じみているが、おれは最初からヒモになるつもりなどなかったのだ。この世界でも大勢の困っている人間がいるはずだ。おれはおれと縁のあるそんな困った人間のためひと肌でもふた肌でも脱ぐ気でいたのだ。
前世でもそうだったが、おれはできるだけ大勢の人間を助けたいし、助けた人間には褒められたい。こんなことを言うと、娘の白雪から「自己承認欲求の肥大した、なんともあさましい人間」だとか「”いいことしい”の偽善者」だとか言われそうだが(現に言われた。それが袂を分かつときの娘の捨て台詞であった)、精一杯やって大勢の人間に笑顔を向けられるのは快感なのだ。前世ではこれがあったからこそ様々な苦労を乗り越えて来られたのだ。やめるつもりもないし、やめられない。
おれが世話になっていた丁原を殺したのは、あいつが一身の出世だけを望み、連れてきた并州兵を利用しながらその泊まるところも食料も一切世話をせずに放置したからだ。匈奴からの防衛という役目を停止してまで都にやって来たのは何のためなのか!何のために衣食住の苦労に耐え忍びながら兵馬の世話について宮廷と交渉すらしない丁原に尽くさなければならないのか!おれが練兵し共に苦労してきた并州兵全員が不満をたぎらせていた。そこへ董卓からの誘いが来た。おれは并州兵全員の保護を求めて一も二もなく承知し、丁原を殺して董卓のもとについた。不満は解消され、おれは并州兵全員の笑顔を見た。
そして、その董卓を誅殺したのも、たしかに王允殿から帝室復興の大義を説かれたせいでもあるが、より根本的には董卓が政権奪取後、役割を終えたとばかりに并州兵を冷遇し磨り潰しにかかったことが理由だった。董卓にとってみれば私兵である涼州兵よりも他の州の兵の数が多いことに不安になったことだろう。だからといって磨り潰される方としては納得がいかない(陽人の戦いでおれが胡軫を策で陥れたのもこれが原因だった)。しかも董卓は自分たちばかりの利益を図った恐怖政治を行い、あらゆる人たちから恨みを買っている。そんな董卓を誅殺し、上は天子様から下は長安の民までみんなが幸せになって何が悪い。もちろん并州兵もだ。おれは王允殿と実行し、実際みんなの笑顔を見た。
陳宮の策謀に乗り曹操が徐州で大虐殺を行っている隙を衝いて兗州を奪おうとしたのも、曹操が橋玄に倣い強権政治を敷いて人民を苦しめ恨みを買っていたからだ。
曹操に敗れ徐州へ流れていったおれが保護してくれた劉備から徐州を奪ったのも、陶謙の旧臣や徐州の人民から「戦下手の劉備では曹操に対抗できないので代わりに徐州を治めてほしい」と懇願されたからだ。徐州の人民は劉備を嫌っていたわけではなく戦が下手なのに不安を抱いていただけだ。だから、おれは劉備を殺さなかったし、何度も保護を与えた。劉備が反逆しても許してやったし、2度にわたって置き去りにされた夫人や子供たちも手厚く保護した。徐州の人民がおれにそうするよう望んだためだ。人民の笑顔を見たいおれがどうして断れようか。
見知らぬ人たちはおれのことを悪しざまに罵る。しかし、陳宮や陳珪たちを除く周りでおれを見知った人たちの中でおれのことを悪く言ったのをおれは知らない。悪く言わないのは、おれが彼らの笑顔を見たくて努力したのを知っているからだ。
たしかに彼らはおれのことを好いていた。それは間違いない。それが証拠に、おれに対する反乱を起こさせようと何度も密偵が送られてきたが一度も反乱が成功したことはない。そればかりか、偽っておれの部下となった連中も結局、おれにこころから従うようになった。おれの器量が大きいからと己惚れるわけではない。おれが好意を示せば相手もまた好意で返すというのが人情というものだからだろう。
結局、おれという人間は他人に好かれたいし、褒められたくてたまらない。だから、その努力をする。白雪などは嫌がるが、それのどこが悪いことなのだろうか。おれには分からない。
「勇者様あ。奉先様あ。
あら。こんなところにいらしていたのですか?心配いたしましたわ」
「……うん。すまない」
妙なお姫様が笑顔を見せる。
どうしておれはこうも女運が悪いのだろうか?いや。総じてみれば悪いとは言えないのだが、最初に出会う女運がとことん悪い。前世では紫二娘。今生ではフロイデ・エリザベート・フォン・マテウスとかいう女伯爵。女領主。妙なお姫様。
この妙なお姫様。おれ以外の人間に対してはまるで蟻でもいるかのように見下す癖に、おれに対してはこの世の好きなものをすべて集めて固めたかのようにして愛でる。愛する。熱狂する。
側にいられると非常に居心地が悪い。だから、今も避けていたのだが、見つかってしまった。
「勇者様。浮かないお顔をなさってどうされたのですか?
わたくしにできることなら何なりとお申し付けあそばせ。ご不快の種をすっかり刈り取ってみせますわ」
「う、うん。ありがとう。でも、そういうことは今のところないので」
ますます側に近づいてきて、その大きな胸をおれの左腕に押し付けてくる。これは盛りのついた牝馬よりもひどい。
「まあ。眉間におしわが。どうしましょう?どこかお痛みになるところがございますか?それとも、わたくしになにかお咎めになるようなところがございました?もしそうなら、わたくし、自分を罰しますわ!ええ。きっとご満足いただけるよう、きつくきつく自分を罰して御覧に入れますわ!」
いやはや。たまらぬ。
「ふと、自分の太ももを見るとな。贅肉がついていたのだ。前世では戦さ戦さの連続で稀代の駿馬に跨って戦場を駆け回り、贅肉などつく余地がなかった。しかし、フロイデ殿に至れり尽くせりの歓待を受けてこの有り様。歓待を受けたことについて感謝こそすれ悪く思うところなど一つもないが、おれも一個の男子だ。鍛錬を怠っていたことを身の置き場もないほど恥ずかしく思う。
こころを入れ替えて、今から鍛錬に励もうと思う。方天画戟ならぬハルバードの素振り二千回ほどしてこよう。それではごめん」
白雪から聞かされた劉備の髀肉之嘆のもじりであるが、この際、仕方がない。席を立つ言い訳に使わせてもらおう。
「お待ちください。勇者様。そんなにわたくしがお嫌いなのですか?」
「いや。そんなことは」
ああ。めんどくさい。
「もしかしてわたくしのこの顔がいけないのですか?エルフの娘たちにも聞きましたが、なんでも彫りの深い顔立ちは前世の最初の嫁を思い出すので大変不快なのだとか。それでしたら、わたくし。自らの手で自分の顔を焼いて御覧に入れますわ。わたくし。勇者様に尽くして尽くして尽くして、限りなく尽くしたくてたまりませんの!」
非常にめんどくさい。どうしたもんだろうか。
「あー。急にお茶が飲みたい気分になった。素振りはやめにしてどうしてもフロイデ殿と差し向かいでお茶が飲みたい。
フロイデ殿。悪いが、おれと一服、お茶に付き合ってくれないだろうか?」
「まあ。嬉しい!
では、早速、用意をさせましょう。
誰か。早急にテラスにお茶の準備をさせなさい。ぐずぐずするようなメイドがいるようだったら首を切り落としても構わないから、急がせなさい」
ヴァンデルハウゼンという男も可哀そうなものだ。無理やり隠居させられたうえ、お姫様に屋敷に居座られやりたい放題。
しかし、反抗の一つも見せないとは一体どうなっているのだろうか?
*
「あなた様こそ、わたくしの勇者様。ずうっとずうっと、お待ち申しておりました。お慕い申しておりました。やっとつまらないわたくしの人生に希望の灯が燈ったのでございます。どうか、わたくしを勇者様のお側に侍らせてくださいませ」
数か月前、オットーたちに連れられて歓迎を受けた金の鶏亭に男装のお姫様が突如入ってきて、おれを見るなり、こんなことを言って跪いた。
あの時から疑問なのであるが、お姫様の言う「勇者様」とは一体何なのだろうか?
おれの前世で「勇者」といえば、論語にある「勇者不懼」つまり勇者は道理を果敢に貫くから障害があっても恐れない、という孔子の言葉を思い出す。「勇者」とは、決して蛮勇の持ち主をいうのではない。「暴虎馮河し(虎と素手で格闘したり大河を船を用いず泳いで渡ったり無謀なことをして)、死して悔ゆること無き者」をいうのでもない。
お姫様はおれに果敢に道理を実践することを期待しているのであろうか?いや。そんなことはあるまい。第一、おれはこの世界の道理など知らん。
勇者フリークを自称するエルフの小娘どもに尋ねてみても要領を得ない。小娘たちはエルフの里で250年前の先代勇者について教皇国のもと文官が著した暴露本を耽読しており、微に入り細に入り勇者の言葉を諳んじていたのではあるが、肝心のその言葉が珍妙すぎて意味が分からない。
「ステイタス・オープン」?「チート仕様のスキル設計」?「夢のハーレム生活」?「雑魚モンスターの経験値狩り」?「奴隷の獣耳美少女ゲット」?はあ?
しかも、エルフの小娘どもがおれを評して「オヤビンは『なろう系勇者』というより『正統派勇者』でござろうな」と言った。
『なろう系勇者』とは、召喚最初は召喚した王や王女に才能のない役立たずと殊更貶められ悲惨な生活を余儀なくされるが、そのような胸糞展開が極限に達したころ、隠れていた才能に目覚めて次第に勇者としての無双ができるようになり、大勢の人たちにも(特に美少女に)慕われだし、その協力でざまあを達成するとともに魔王を倒して世界を救うものらしい。『正統派勇者』とは、最初から才能に恵まれ、拉致同然に召喚した王や王女にもなぜか協力的で、何のひねりもなく”俺つええ”をやり、魔王を倒して世界を救うものらしい。
おれから言わせれば、最初の他人の評価が違うだけで結局、両者の召喚された勇者には才能があったわけで、魔王を倒して世界を救うことに変わりがない。言うなれば、やることに勿体をつけるかどうかの違いでしかない。
ということは、勇者とは共通項である「魔王を倒して世界を救う」者をいうことになる。
ふむ。勇者の意味をこれで固定したとして、この世界に今現在「魔王を倒して世界を救う」必要があるのか?おれはこの数か月間情報収集に努めたが、未だに魔王なるものが暴れて世界に損害を与えているという話を聞いたことがない。むしろ戦争だの、一部の権力者が人民を痛めつけているだの、人間がこの世界に損害を与えているという話ばかり聞く。
勇者なんて必要ないし、おれが勇者をやる必要はもっとない。
そこで、おれはお姫様に直に聞いてやることにした。
「おれには世界が勇者を必要としているなどとは到底思えない。
フロイデ殿はさかんにおれのことを勇者であると言う。仮におれが勇者だとして、魔王もいないこの世界で一体おれにすべきことなどあるのであろうか?知っているなら教えて欲しい」
「ええ。ございますわ。
勇者とは魔王を倒して世界を救う者。
魔王がいないのなら魔王を呼んできてその魔王を倒して世界を救えばいいじゃありませんか」
「なん、だと?」
「それには、まず、わたくしが白の魔女として復活しなければなりませんの。勇者様には協力していただきとうございますわ」
「前にも言ったようにおれは人々の笑顔が見たいのだ。権力や財産のためにおれは指一本動かすつもりはない。ましてや女人ひとりが我が儘したいがためにおれがわざわざ手を貸す理由がない。協力は断る」
「いいえ。わたくしを白の魔女にすることこそ魔王や神から世界中の人たちを守ることになりましてよ」
おれは不覚にも恐怖を感じ、紅茶のカップに添えた手がかすかに震えた。
「勇者であるあなた様は世界の人たちを守り、わたくしは勇者であるあなた様を誠心誠意全力を尽くしてお守りいたしますわ。フフフ」