黄金の剣を持つ者の登場、なの?
「ここが10階層のボス部屋だよ。スザンヌさん」
無骨な石造りの壁。交差する剣の装飾が施された青銅製の門。
ビルギット殿がなぜか嬉しそうにわたしに説明してくれる。
「あの。ビルギット殿。名前で呼んでいただけるのは大変うれしいのだが、わたしの名前はスザンヌではなくスザンナなので改めてくれると、その。助かる」
「あっ。ごめんね。スザンヌさ、いや。スザンナさん。ボクったら大変失礼なことを」
「いや。改めてくれれば何も問題はない。わたしも細かいことをグチグチと。すまない」
ああ。ついに言ってしまった。何度も何度もスザンヌと呼ばれ、もうこれでいいかと自分でも諦めかけていたが、公主殿が正確にスザンナと呼んでくれている以上やはり訂正すべきと考えなおしたのだが。うううっ。どうしよう?いやな女と思われたのではないか?
今後、「コボルト」などと賢し気に訂正したらきっとビルギット殿はわたしを許してくれないだろう。
「ごほんっ。えー。10階層のボス部屋にはミノタウロスと呼ばれる巨大な牛頭人身の怪物がいます。得物は鉄製の棍棒で、そのすごい膂力で風車みたいにぶん回します。当たると大変危険なので、当たらないようお願いしますね。以上です」
「これはもしかしてわたしにミノタウロスと戦え、ということですか?」
「うん。スザンヌさ、いや違った。スザンナさん、強そうだから、ボク、是非戦うところを見てみたいなと思って」
「……」
なにか彼女の機嫌を損ねるようなことをしていたのであろうか?もしかすると「コポルト」を「コボルト」だと訂正したい気持ちが顔に表れていたのだろうか?
だったら、わたしは……。
「ええ。そういうことなら是非ともわたしに殺らしていただきたい」
と、にこやかに応じるつもりであったのだが、ここで公主殿の物言いがついた。
「待つのじゃ。スザンナの剣技など今更じゃ。それよりモーリスにやらせてみようぞ」
ど、どうして?せっかく殺る気になったのだが。実は公主殿にもわたしは嫌われていたのか?
「モーリスの腕も相当なものになっておるのは間違いないが、この辺りで実戦で度胸をつけておかねば少々心もとない。モーリスにしたところでいつまでも先輩騎士に守られていたのでは内心忸怩たるものがあるじゃろ。
モーリスよ。ほれ。己が実力を先輩たちに披露してみせよ」
「はいっ!」
こうしてわたしたちはモーリスを先頭にボス部屋の扉を潜った。
*
ブモオォ~ ブオオォォ!
巨大な牛の怪物が口から舌を出しよだれが垂れるのも構わずに棘のついた棍棒を振り回しながら若いモーリスへ突進する。
わたしはモーリスが横へ飛んで避けるか風の属性持ちの特性を生かして後退しながら両手のレイピヤで斬りつけるのだとばかり思っていた。
しかし、モーリスは緩急をつけながらもミノタウロスめがけてジグザグに走り出した。そして、棍棒の範囲に入る直前、彼は飛んだ。
通常の人間が宙に飛び上がると動きが制限されてしまい、相手の攻撃を避けることもできずによい餌食となる。普通なら悪手だ。しかし、自由に宙を飛び回れる者にとっては逆に大きなアドバンテージとなる。
ミノタウロスは好機とばかりに棍棒を急旋回させるが、案の定、空を切った。そればかりか、モーリスのトリッキーな動きに翻弄され棒立ちとなる。
モーリスが棍棒の周りをひらひらと絡みつくように飛び回ったかと思えば、急に上昇した。
「雁落っ!」
モーリスは大喝して今度はミノタウロスの頭を目掛けて急降下する。
ブ、モオっ!
目を見開いたミノタウロスの顔面にモーリスの両手からの刺突がさく裂した。そして、その抉った刃を体重とともに落下させる。
結果は、……2本の斬線によってミノタウロスが顔面から首、胸、胴まで切り裂かれて上半身が3つに分かれ膨大な血が噴出した。
「「「……」」」
すくっと立ったモーリスはドヤ顔をしているが、誰もが微妙な顔をして押し黙っている。公主殿も何も言わずに頭を掻いている。
わたしもいろいろ言いたいことがある。
まず、あの年頃の男の子だから仕方がないのかもしれないが、不用意に技名を叫ぶのはいただけない。こちらが何を仕掛けようとしているのか相手に覚られる恐れがあるばかりか、覚られなくとも警戒を呼び起こしてしまう。しかも、叫んだからといって攻撃にとって何の意味もない。
さらに、モーリスは公主殿の「雁落」を知らない。にもかかわらず勝手に技名を叫んでいた。
いずれにせよ、リスキーでそのうえ失礼な、意味のない行動はすべきではない。
「モーリスよ。見世物ではないのだから別段華麗な動きは必要ないのじゃぞえ。あんな弱い魔物、おぬしなら軽いひと突きで仕留められたであろう?これからは最小限の力で剣を振るうことを常に念頭に置いて精進いたせ。よいな?」
「あ。はい」
モーリスを傷つけまいと珍しく公主殿が言葉を選んで指導された。
ミノタウロスの死骸はいつものように黒い粒子となりやがて消えた。あとには牛を象った柄頭のロングソード1本がドロップした。何の変哲もない鉄剣である。
「モーリス。あとに残ったその鉄剣、妾にくれぬか?」
「あ。はい。どうぞどうぞ。こんなものでよければ」
「悪いの。記念の品じゃというのに。あとで代わりに何かやろう。楽しみにしておれ」
どういうことだろうか?公主殿には剣など別段必要ないはずなのだが。
*
しばらくすると、ミノタウロスの座っていた石段の後ろの壁が音を立てながらせり上がっていき、小部屋が現出する。
「あっ。宝箱だね。赤いやつか。たぶん、防具が入っているよ」
ビルギット殿が解説してくれる。
しかし、防具など今更もらっても……。いや。かつて冒険者の物であったのならば持ち帰って供養することも務めなのかもしれない。
「そうか。だれも開錠の技術を持っていないんだった。だったらボクが開けちゃうよ。なにかな?なにかな?えっ!!」「「「えっ」」」
中には、幸せを呼ぶとされる七色のカラーストーンのアミュレットが入っていた。これには無理やりテンションを上げて中身を探ったビルギット殿ですら驚いた。
ミノタウロスと女の子が持つおしゃれ小物?どういう関係が?
実はあのミノタウロスは女性で無聊を慰めるために宝箱におしゃれ小物を潜ませていた?はあ?
「みなさん、なんだか希望がないようなのでボクが一応預かっておきますね。欲しくなったら遠慮せずにあとで言ってください。
では、下の階層へ出発しましょう」
謎は深まるばかりだが、とにかくわたしたちは下へ通ずる階段を下りたのだった。
*
11階層に下りて驚いた。
天井はひたすら高く、宙に浮く石の通路は一本道。道の両側には何もなく、深い崖に囲まれている。天井付近の岩棚にはハルピュイアという女面鳥身の怪物たちがずらりと並んでこちらのことを狙っている。下は深い谷底であり、道から落ちればそのまま墜落。全身強打して死ぬか谷底に生息する凶暴なワーム(蠕虫)の餌食となる。
「ここから20階層まで魔物はハルピュイアとワームだけです。ハルピュイアさえしのげれば谷底へ落ちることもなくワームを相手取ることもありません。って!チョット!”ちびプリンセス”ちゃん。待って。走らないで!子供か!」
ビルギット殿の制止を無視して公主殿が剣を片手に爆走する。
「馬鹿を申せ。この先、20階層までは一本道。ここで例の幽霊騎士だとかに立ち塞がれたなら妾はともかく残りの者が窮地に陥るわ。全力で駆け抜けいっ!」
ハルピュイアたちは気味の悪い鳴き声を上げながら先頭を走る公主殿に襲いかかろうと集まるが、どういう技なのか、飛来するハルピュイアは一羽残らず叩き斬られて谷底へと落ちていく。
12階層、13階層、14階層、15階層。ひたすら通路を折り返しながら下へ下へと進んでいく。
しかし、16階層に着いてからは景色が変わる。下は幅の広い渓谷となっていて通路は対岸に渡るように架けられている。そして、15階層まではハルピュイアたちは両側の岩棚からしか襲撃してこれなかったが、16階層からは至る所から攻撃を仕掛けてきた。
先頭を走る公主殿の活躍は相変わらずだが、ここで殿を務めるピエールが凄まじい働きをみせた。彼は土の属性の魔力持ちの騎士である。少し背を丸め前後左右、縦横無尽に前向きになったり後ろ向きになったり、使い込まれたロングソードを振るいながら走り回る。彼の足の下は石でできているというのに常に変化し続け、上にいる敵に斬撃を喰らわすため隆起して彼を持ち上げたり、敵の攻撃を避けるため急に沈んで彼を守ったりする。そればかりか彼の周りからは石の杭や石柱が飛び出してきて飛来するハルピュイアたちに痛打を喰らわした。
モーリスは得意の空中戦を。わたしは空に向かって衝撃波を。マックスは姿勢を崩したハルピュイアたちに閃撃を。そして、ビルギット殿は足を使って翻弄しつつハルピュイアたちを雷撃で焼き焦がして撃ち落とした。
わたしたちがどれくらいのハルピュイアたちを屠ったのかはわからない。しかし、息を切らしながらも誰も怪我をせず落伍もせずにとうとう20階層のボス部屋の前まで辿り着いた。
「公主殿。なんとか幽霊騎士に出くわさずに済みましたね。あの幸運を呼び込むというアミュレットはこういう意味だったのでしょうか?」
「……」
公主殿が機嫌悪そうに天を仰いだまま無言である。
「えーと。ここがこのダンジョンのラスボスの部屋です。中にはネメアーの獅子と呼ばれる武器の攻撃がまったく効かない魔物がいます。普通の剣士の方々には対処しづらい難敵ですが、魔法や素手の攻撃を得意とする方にとっては楽勝の相手です。相手は噛みつき、前足による薙ぎ払い、体当たりなどの攻撃をしてきますが、普通のライオンに比べて力強いというほか特出するものはありません。落ち着いて臨めば大丈夫です。それでは」
「妾が倒そう。ちと特別な趣向がありそうじゃからな。おぬしたちは手を出さずに見学しておるがよかろ」
と、またしても公主殿がビルギット殿の言葉を遮ってラスボスの部屋へ突出していった。ビルギット殿がきまり悪げにしているが、公主殿のことである。何かを察知されてわたしたちを危険から遠ざけるためになされた行動であると思いたい。
わたしたちも後からぞろぞろとラスボスの部屋の扉を潜った。
*
「くははは。やはり冒険者どもが間男がわが妻に与えたアミュレットを拾いおったか。残念だったなあ。幸運のアミュレットというのは名ばかりで、拾えば我に出会ってしまうという呪いのアイテムよ。貧乏性とはつらいものだなあ。むははは!むははは!」
「……」
ネメアーの獅子の横で顔の青白い、頭の悪そうな騎士が偉そうにせせら笑っている。幽霊騎士とは動く死体レヴァナントのことだったらしい。ネメアーの獅子も呵呵大笑する幽霊騎士が鬱陶しいらしく何気に嫌そうな顔をしている。
「雑魚相手に問答無用で一撃で屠ってしまうのもなんだと思うてしゃべらせておいたのじゃが、やはり雑魚だけに鬱陶しいの。先手を譲ってやるからその黄金の剣を引き抜いて疾くかかってまいるがよかろ」
「……我を雑魚だと抜かしたか。よいだろう。よいだろう。200有余年続く我がXXX家先祖伝来の秘技金翅鳥王降龍伏魔滅却……なんだったけ、なんとかかんとか剣を受けるがよい。そして、地獄で我に雑言を吐いたことを後悔するがいい。でやあああっ!」
何のこともない距離の届いていないただの抜き打ちに見えた。のだが、抜き放った瞬間、幽霊騎士はその黄金の剣に引きずられるかように高速で移動し、体勢からは考えられない斬撃を公主殿に向かって放つ。放つ。放つ。
「もう結構じゃ。こちらから攻めるぞえ」
公主殿が牛の柄頭の鉄剣を構えるとー
キューイいんいんいん
世界が凍り付いたかのように静まり返り、清浄な空気で満たされていく。
「が、あががが。わ、我が燃える……溶けていく。な、なぜ?あががが。ぐふっ」
これが清夜坐鐘、か。公主殿はかつておっしゃった。
「清夜を使うと、その圏内は完全に陰陽調和の世界となる。陰虚すれば陽虚し、陽虚すれば陰虚する。陰実すれば陽実し、陽実すれば陰実する。陰虚すれば陽実し、陽虚すれば陰実する。陰実すれば陽虚し、陽実すれば陰虚する。陰極まれば、無極を経て陽に転嫁し、陽極まれば、無極を経て陰に転嫁する。
そして、易には太極あり、これ両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず、八卦は吉凶を定め、吉凶は大業を生ず」と。
呼吸を乱すもの。気の循環に無理のあるもの。力に偏りのあるもの。道理に反するもの。陰陽調和の世界では乱すものはすべて行き場を失い暴発し業がわが身に跳ね返って自滅してしまう。
アンデットごときが存在し続けられるわけがない。寝取られの幽霊騎士は青白い炎にその身を焼かれ黒い粒子となってやがて消滅した。あとには黄金の剣が一振り残った。しかし、公主殿は剣の構えを崩さない。
「これ。黄金の剣を持つ者よ。いつまでも死んだふりなどしておらんと、早う姿を現して名乗らんか。このまま一撃して滅してしまっても別に妾は構わんのだぞえ。腕もそろそろ疲れてきたからの」
「……ちっ。バレてりゃ仕方がねえな」
黄金の剣のそばから白銀のぬるぬるした物体が起き上がり人型を作っていく。やがて翼を背負った、縦に裂けた瞳を持つ少年が姿を現した。
「はじめて俺を見つけ出したんだ。褒美に名前を聞かせてやらあ。俺はクリューサーオールって言うんだよ。覚えて置きやがれ」
「生意気なガキは見ているだけで十分気分が悪いの。生かしておく価値もないようじゃ。名前も聞いたことだし、やはり死んでもらうとするかの」
「ちょ、ちょっと待った。おまっ。いきなりそれはないだろ。話を聞け。いや。聞いてください。お願いします。どうかどうか」
翼を背負った少年が公主殿に向かっていきなり土下座しだした。
陰陽調和の世界を生き残ったのだから彼も相当すごい存在だと思えるのだが、外聞や矜持よりも命の方を取ったらしい。それにしても彼はいったい何者なのであろうか?彼が降伏したからこのダンジョンは攻略したことになるのであろうか?
ネメアーの獅子の方を見てみれば、出待ちですっかり飽きたのか居眠りしてしまっている。
わたしたちはどうすればいいのだろうか?このダンジョン、お土産が少ないこともすごく気にかかる……。