披露宴は怖いところ、なの?
わたしたちは今、アーラウの街から西へ20キロばかりのところにある中級者向けのダンジョンに向かっている。「茨姫の廃城」攻略の準備としてダンジョン慣れしておくべきだとビルギット殿から提案があったのだ。
「副隊長。まだ決めかねているのか?」
「はい。まだ決心がつきません。
隊長。怯懦なわたしをお許しください。隊のみんなに迷惑をかけているのは重々承知しているのですが」
「いや。これはマックス、君自身の問題だ。圧力をかけるつもりはない。よく考えて決断してくれ」
「……」
わたしが暗い顔をした副隊長のマックスに質問したのには理由がある。
これまでわたしたちは「茨姫の廃城」攻略に向けて公主殿には大きく世話になった。「茨姫の廃城」に潜って生還できた唯一の冒険者であるビルギット殿を紹介してくださったのもそうだし、戦力不足であるとして教皇国の剣術を土台に公主殿独自の工夫を加えて、わたしたち神聖騎士団の騎士ひとりひとりに剣術の手直しまでしてくださったのだ。
ただ、マックスひとりについては「2つの剣術が混在していて土台がしっかりしていないから手直しの余地がない。今の伸びしろのない癖のある状態をそのまま維持するか、それとも習い覚えた剣術をすべて忘れ新たに剣術の基礎を学び直すか、どちらか選べ」と公主殿から迫られたのだった。
手直し前は討伐隊随一の腕を誇ったマックスであるが、手直し後はわたしを含め4人の騎士に追い抜かれてしまった。副隊長の立場上、戦力の底上げのため公主殿について一から学び直す方がよいとマックスも分かっている。しかし、今まで苦心して習い覚えたものをすべて捨て去るというのもつらい。
しかも、公主殿による2つの剣術の混在の指摘で、マックスの敵国のスパイ疑惑の証明までなされてしまった。つまり、公主殿の選択の強制は、マックスに2つの剣術の混在した敵国のスパイのままでいるのか、それともスパイを辞めて討伐隊の隊員としてやり直すのかどうかの決断を迫る意味もあった。
わたしがマックスに質問した理由もここにある。隊長として彼の今後の身の振り方について問いただす必要があるのだ。マックスがスパイのままでいると答えた場合、わたしも決断する必要がある。裏切り者として処刑するか、攻略に失敗して隊員として命を落とすのを見届けるかの違いでしかないとしても……。
「みなさーん。フルダ村が見えてきましたよ。この先、ダンジョンまで村はありませんのでしっかり身を休めておきましょうね」
先行している馬車の御者台からビルギット殿が声をかけてきた。
ダンジョン攻略に参加するのは、討伐隊の騎士4人とビルギット殿、そして仕事にあぶれて暇だとついてきた公主殿の6人だけ。公主殿は最後尾の馬車の御者台におられる。例のユニコーン種はすでに騎乗用として買い取られ、その最後尾の馬車のあとを馬具もつけずについてきている。
フルダ村に入ると、ひときわ大きな屋敷の前で農民たちが野外にテーブルを持ち出し飲めや歌えの大騒ぎをしていた。
「おじさん。おじさん。今日は何?祝い事?」
「あー。ビルギットちゃんか。今日はね。ペドロの旦那さんのところで結婚の宴があったんだよ。で、こうして俺たちもお祝いのご相伴にあずかってるんだよ」
「ほう。ほう。なるほど。でも、ペドロさんの家、誰か結婚しそうな人いたっけ?」
「そうじゃないよ。ほら。村の外れに隠士様が庵を結んでいるだろう。もと騎士様でドン・グレオ……、えっとアルバロ・ドン・グレオ様が。なんでもその隠士様と仲の良かった弟さんの息子でエミリオ様という方がこの度アーラウの街のご令嬢と結婚することとなったんだ。でも、隠士様は足が悪くて出席できない。そこで、エミリオ様が気を利かしてね。それだったらフルダ村までお嫁さんを連れてきて結婚式と披露宴をしてしまいましょうということとなって、エミリオ様がお嫁様のご親族様やご友人の方々までこの村へ遠路はるばるお連れになって、今宴を開いている最中というわけなのさ」
「なーるほど。でも、困ったな。ボクたち、今晩、ペドロさんの家に泊まりたかったんだけどな」
「大丈夫なんじゃないか。部屋がないようだったら、納屋の2階を開けてもらえばいいさ。まだまだ暑さが残っているから納屋の方が過ごしやすいかもしれないよ。それでもダメなら家に来ればいい」
「ありがと。エルのおじさん。まずはペドロさんに頼んでみるよ。また後でね」
ビルギット殿の会話からするとペドロという郷士の屋敷ではお祝いの宴をしているらしい。祝儀の品も持たずに押しかけていいものなのか?
「ビルギット。なんぞ祝儀の品になるようなものの持ち合わせはあるのかえ?」
公主殿も同じ懸念をしたらしくビルギット殿に質問している。
「うんにゃ。ないよ。だってダンジョン攻略に行くんだもの。
あっ。でも芋飴だったらあるから代わりにあげようかな」
「どれだけ芋飴が好きなのじゃ。
おぬし、本当に旅慣れておらんの。仕方がない。妾の持ち物の中から刺繍入りの絹の手巾と変わった象嵌の短剣を出そう。ついでに妾の古琴でも奏でてやれば完ぺきじゃろう」
「へーえ。”ちびプリンセス”ちゃん、刺繍もするんだ。女の子だねえ。ボク、感心するよ」
「故郷で妾は江湖をひとりで彷徨っていたのじゃ。料理もすれば機織りもする。大抵のことはなんでもできる。ただの剣術バカではないわ。見くびるなよ、じゃ」
「ところで古琴ってなに?」
胸を張っていた公主殿が今の質問にカクっと前のめりになりそうになる。
「あのな。楽器じゃ。7絃琴のことじゃ。この間見せた『高山流水』ももともと『高山』と『流水』という古琴の曲にちなんで名付けた技の型なのじゃ。
妾は故郷の都で有名な古琴の名手とその同じ年頃の娘のふたりに習った。最初のころはただの道楽にすぎなかったのじゃが、江湖を彷徨っているといつしかなくてはならぬこころの友となったものよ。よき景色に出会えば古琴を爪弾き、よき酒に出会えば古琴を奏で。
妾は剣を捨てても古琴だけは捨てられぬ。ギルドに頼んで桐の板を購い、漆を塗り、絹の糸を張って自ら調律した。蔡文姫が聞いたとて音が間違っていると言わせないだけの自信はある」
公主殿のこころの友か。
彼女は当てのない旅の途中、月を眺めてどんな音色を奏でていたのであろうか?
「さあ。祝いの席じゃ。見苦しくないよう、馬車の中で身づくろいをしようぞ。当然、女子衆が先じゃぞえ」
*
「公主殿の故郷ではどのような結婚の式をするのでしょうか?」
異国の風習に興味をそそられ聞いてみた。
「そうさの。結納やら先祖への報告やら両家でいろいろ煩雑な仕来りもあるが、新婦が赤い駕籠に乗って嫁入りし、宴の後新郎新婦そろって洞房入りして酒の杯を交わすことが一番の特徴であろうの。交杯酒というて、まず苦い瓜を割って酒の容器としそれを盃に注ぎ腕を組んで互いに飲み交わすのじゃ。当然、酒の味は苦い。これは人生で楽しいことばかりでなく苦しいことも共にするという誓いのようなものじゃな」
「なかなか趣のある風習ですね」
「ふむ。したが、嫁入りすれば女は地獄ぞ」
「?」
「妾の故郷ではな。儒教という教えが盛んで、女の地位がとてつもなく低いのじゃ。妻は常に家の奥にいなければいかん。他の男に顔をさらすのは一糸まとわぬ裸をさらすのと同じ。幼きときは父親に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従う。夫が死ねば殉死を強要されることもある。再婚すれば陰口をたたかれる。嫉妬はいけないものとされ、女のみが貞淑で節度あることを要求される。当然、口答えは許されない。そして、どんなに地位が高くても政治に口を出してはいけないというのが建前じゃ。つまり、どんな阿呆でも女は我慢して男を立てなければいかんのじゃ」
「それは……、ちょっと困りますね。わたしのように騎士などできないのですね」
「うむ。男尊女卑の風潮を気に入らなければ妾のように侠客にでも身を落とすほかない。儒教も底辺の人間にまで目を向けてはおらんからの」
装束を改めた公主殿は、襟の柿色になった刺し子の黒い深衣(上下を一つにつなげた前合わせの着物)のうえに朱色の衫を着て帯を締めている。そして、その艶やかな長い黒髪については後ろ髪を緩くまとめて後ろへ流し、頭頂には笄を置き、耳の後ろからは両脇の髪を前へと垂らしている。
女のわたしからみてもその異国情緒あふれる風情には優美な趣があり、本人の容色とも相まって目を奪われる美しさである。とても千を超えるひとを殺めた冷たい人物とは到底思えない。
前へ出た公主殿は臆することなく上品に花婿花嫁に祝いの言葉を述べて贈り物をした。花婿は手渡された短剣の柄にある見事な金工象嵌に驚き喜び、花嫁は花嫁で絹のハンカチになされた精緻極まる牡丹の花と蝶々の刺繍に大感激して公主殿を抱きしめた。
公主殿のおかげでわたしたちも恥をかくことなくすんでホッとする。
それから、公主殿が小さな声で断りを入れ、古琴の演奏を始めた。
公主殿の古琴は長さ70センチほどの真っ黒な板(長さ3尺6寸、幅6寸、厚さ2寸)に7本の絃を張ったものだ。椅子に座り、膝あたりに置き、前かがみになり、首はやや斜めにする。左の親指を絃に走らせつつ押さえ、それ以外の左右の指で絃を自在に爪弾く。音域はかなり広く高い音から低い音まで自由に奏でられ、曲調も激しかったりゆったりとしたり。ただし、ハープなどよりは重く暖かく響く。
公主殿は「清渓弄」という曲を弾いた後、「詩経」にある若い花嫁を桃に喩えた結婚を祝う歌を吟じてしめた。
桃之夭夭 灼灼其華 之子于帰 宜其室家
桃之夭夭 有蕡其実 之子于帰 宜其家室
桃之夭夭 其葉蓁蓁 之子于帰 宜其家人
少し間を置いたのち、宴に参加した全員が不思議な余韻に浸りながらもパチパチと拍手をした。
わたしも聞いたことのない異国の調べに奇妙な感動を覚えた。そして、素朴な詩。技巧を凝らすとか無理に言葉を飾るとかをしない、全く素朴なお祝いの歌。
それから公主殿は一度先に聞いたこの地方の舞踏の曲を完ぺきに古琴でなぞってみせ、リュートの楽師と共演を始めた。これには宴の全員が再び沸いた。屋敷の主人のペドロさんも花婿のエミリオ様も大変喜んだ。
*
こうして楽しかった宴も外から涼しい夜風が入ってくる頃、お開きとなり、わたしたちもペドロさんに開けてもらった納屋の2階へ寝に行くこととなった。若い花婿花嫁もいまごろは初めての夜を同じベットで過ごしていることだろう。わたしは満足な気分になりあくびをかみ殺した。
「一寸先は闇とはよく言ったものじゃな。せっかくの楽しい宴の余韻も直、破られるかえ」
「いまなんとおっしゃられたのですか?」
「悪人が血まみれの夜にしようとしておるのじゃ。ビルギットはどうしたいのじゃ?」
公主殿が物騒なことを突然言い始めた。
「たぶん弓持ちじゃろ。外に7人おるぞ。どうやら祝いの客を外へ出さずに屋敷内に閉じ込めたいらしい。そして、悪意を抱いているのが屋敷内に2人。ひとりはペドロとかいうこの屋敷のあるじじゃ。ビルギットよ。どうしたいのかえ?」
「とりあえずボクが外の7人を抑えようかな。どういう事情かは分からないけど、さすがに花嫁花婿の安全だけは確保したいな。”ちびプリンセス”ちゃん、行ってくれる?」
「いや。妾が外へ行こう。2か月の鍛錬の集大成じゃ。騎士の面々、スザンナ、マックス、ピエール、モーリス。おぬしたちが花嫁花婿を守ってやれ。襲ってくる輩は躊躇なく一撃で斬り殺すのじゃ。決して情をかけるな。躊躇するならこの先どれほど腕を上げようが無意味となると知れ」