騎士でも悩みは尽きないもの、なの?
地図の上なら北の森まで直線で50キロほど。しかし、実際はランダンへの街道を途中で折れて山の中の小道を幾度も変えながら進むので辿り着くには80キロはある。いま公主殿の乗っているユニコーン種の逸物でも駆けて4時間。追走するわたしたちに合わせると6時間はかかる。
「何を笑っている?」
隣を並走する副隊長のマックスに声をかける。こいつは普段から笑っているが、目にいつもの嘲りの色がないのが不思議だった。
「いや。別に。隊長。
前を行く”公主様”の様子がちょっと可愛らしかったものですから」
たしかに。笑ってはいけないのだけれど、体高が2メートルを超える純白の巨大な馬体に鐙に足もかからない小さな女の子が必死でしがみ付いている様には自然と頬が緩んでしまう。ユニコーン種も魔物であって気性が荒いのではあるが、非常に知能が高いうえ気高い生き物であって優しい乗り手には何かと気を遣う。特に乗り手が女の子の場合、まるで忠実な従僕であるかのような振る舞いをする。だから、公主殿が振り落とされるようなことは絶対に起こらないのだが、信じない彼女の小さな背中からは要らぬ緊張が透けて見えてしまう。
「オーガ討伐だというのに、神聖騎士団のお歴々はずいぶんと余裕で」
公主殿に馬屋でユニコーン種を押し付けた張本人が後ろを振り返って声をかけてきた。
「オスカー殿こそ。
通常、騎士団でオーガ一匹討伐するには、騎士が3人、その従士たちを併せて総勢20人前後が必要といわれているはず。それを今回はオーガ・ロードに率いられた37匹の群れを討伐するのが目的。単純計算でも1個大隊半は必要でしょう。それを、実質、オスカー殿と公主殿のお二人だけで討伐するという。”旋風の黒斧”の異名をもつ白金等級の冒険者からしてみれば、これくらいは朝飯前ということなのでしょうか?」
「いや。いくら白金等級の冒険者が凄腕だからといっても2人でやるなんてありえねえ。まったく嫌みがない分、おまえさんの言葉は堪えるねえ。
ふん。なにが”旋風の黒斧”か。余計なもん、もらっちまったぜ。
おらあ、いつかこの変な異名のせいで命落とすな。絶対」
「だったら、なぜ?」
「北の森は人里離れていて薬草採りか冒険者しか入らないとはいえ、俺たちの街とは近い。いまは40匹ほどで森の中で暮らしていけるが、100匹超えると森からあふれ出してくる。そうなると国軍をもって対処するしかねえ。国軍集めるのにどれだけ時間がかかる?
集まった頃には俺たちの街はオーガどもに破壊されちまってら。やるとしたら、今しかなかったんだよ。
鉾持ちの地方の衛兵を100かそこら集めてぶつけても溶けるだけ。俺たち冒険者でやるしかねえ。それで俺はギルドの2階でよそから同じ白金等級の冒険者たちが駆け集まってくるのを待ってたんだ。あと半日待っても集まらなかったら、ギルド長と2人で行こうと決めてな」
「……それでギルドはわたしたちの要請を渋っていたのですか?」
「そうさ。それとー」
後ろを振り向いたオスカー殿の目が嫌な光を帯びる。
「この2年の間、おまえさんたち教皇国の連中はこの国でアウゲンターラー家と組んで随分とひでえこと、やらかしているそうじゃねえか?獣人族の村の浄化とか?どんな大層なお題目があるかは知らんけど、俺たちギルドの構成員の約5割が獣人か獣人の血の混じったやつらなんだよ。神聖騎士団の鎧を着た連中の要望を機嫌よく聞けるわけなんてないだろ。おまえさんたち、ギルドの連中に殺されないだけまし、というもんだぜ」
「……教皇国の人間すべてがヒト族至上主義者というわけではない。わたしもヒト族至上主義者ではない」
「やられた連中からしてみればそんなこと知ったこっちゃねえんだよ。
……うん?おまえさん。たしか他人を救うとか言ってたよな。それってもしかして」
「そう。わたしは獣人族の人たちを助けたい。だが、もうそれは」
「だが?ああ。なるほど。お国のお偉いさんに盾突いて機嫌を損ねた挙句、死んで来いと討伐隊を組まされたわけだな。ハハハ。おまえさん。ちび新人候補殿の説教を受ける前に破滅しているじゃないか。せっかくのご高説が無駄になってやがんの。
へへへ。良心的な人間ほどこの世は生き辛いよな。
で、どうして脱走しないんだよ?あ?脱走して獣人族のために働く気は起きないのかい?」
「わたしは信徒で騎士だ。誓いに背くことはできない」
「良心的すぎるうえ馬鹿正直か。それじゃ、死ぬしかねえよな。ハハハ。
でも、なんで反抗したんだ?狂信者っていうのは自分の頭で考えるのやめているもんだろ?お偉いさんの言うことに嬉々として従ってりゃいいじゃねえか?」
「……1年前、疫病に侵された獣人の村を焼くというアウゲンターラー家の私兵どもの部隊に督戦者としてわたしは参加させられた。調べたところ村に疫病など発生しておらず、火をかけようとする連中と争っているとき、獣人の戦士たちに襲われた。そして、傷を負い崖から川に転落したわたしを救ってくれたのが獣人族の女の子だった。幼すぎてわたしが敵なのかどうかもよくわかっていなかったのかもしれない。だが、公主殿の、病気の娘に餅をやる話とちょうど真逆のことがわたしの身には起こったのだ。あの女の子の顔を思い出すたびにわたしは」
「おーい。奴らを見つけたぞよ。馬を降りるのじゃ。ここからは徒歩で行く」
先頭の公主殿がユニコーン種の足を緩めて全員に指示を出す。
「ふむ。35、36、37。……40、41、42。5匹も増えておるのじゃ」
「おい。もしかして、ここまで来て増えた5匹分は退治しないとか言うんじゃないだろうな?」
「誰がするか。増えた分の報酬もすべて妾のものじゃ。余人には渡さぬ。大男は指をくわえて横で見ておれ」
公主殿がまた信じられないことを言い出す。だが、わたしたちは彼女に賭けるほかはない。もし彼女が失敗したら……、そのときはあらゆる伝手を頼って街の防御を固め、わたしも枕を並べて討ち死にしよう。
「風下から奴らに気取られぬように近寄るのじゃ。
1里半(約400メートル)ほど先に、山の影の先っぽがかかっている茂みが見えるじゃろ。その、すぐ右側に奴らは集まっておるな。熊とか猪を食っておる」
50メートルまで近寄ると、公主殿はわたしにユニコーン種の手綱を預けた。
「おまえたちはここで見ておれ。それにしても大鬼1匹にいっぱしの兵が20人もかかるじゃと?なんと軟弱な」
必死でユニコーン種を走らせていると見えたが、公主殿にはすっかり話を聞かれていたようだ。
「おい。武器持ってねえじゃねえか。どうするんだよ?試験代わりなんだからよ。自慢の剣技を見せろよな」
オスカー殿の問いかけに公主殿は黙って先ほど木々の間を通り抜けるときに拾った枯れた枝を挙げるのみ。どうするおつもりなのだろう?
*
公主殿が15メートルの距離に近づいてもオーガたちは一心に肉を喰らっていてどいつも気づかない。
「エッヘン」
公主殿が咳払いをするがそれでもオーガたちは気づかない。
こつーん
公主殿が地面の小石を持っている枝の先端で突く。そんなことで鳴るはずのない甲高い音が鳴ったのにもかかわらず、オーガたちは気づかない。
「どれだけ肉が好きなのかは知らんが、いい加減相手をしてほしいのじゃが」
ブツブツ言いながら地面の小石を拾うと、公主殿はそれを投げた。
バガんっ
獣の肉にがっついていた1匹のオーガの頭に当たり、その頭が半分爆ぜてしまった。血と脳漿が周りの食っているオーガたちに降り注ぐ。
さすがのオーガたちもこれには気づいて食べかけの肉を放り出し公主殿に向かって敵意をあらわにする。
「ほれ。大鬼ども。殺しにかかって来よ」
そこら辺の倒木や大石を抱えオーガの群れが殺到する。
片や160センチあるかないかの小さな身長の女の子。片や4メートルはある巨大な人型の群れ。
結果はだれの目から見ても明らかなはず。しかし、それを裏切る方が現実だった。
オーガたちにとってはもうあと1歩2歩といった5メートル手前で、オーガの群れがバタバタと倒れ始めた。
公主殿は何一つせず枝を杖代わりに前で突いて静かに眺めるのみ。
「41匹、すべて死に絶えたぞよ。奥で座っているおぬし。出て来て妾と立ち合うがよかろ」
「ナン、ダトウ!!貴様、ナニヲシタッ!?」
「ほう。大鬼といえど、他のよりも図体がでかいと人語が話せるのかえ?それは困ったの」
「質問ヲ質問デ返スナ!」
「ああ。それはすまぬの。妾の気と魔力を倒れている奴らに浸透させ体の内側から脳と頸椎を潰したのじゃ。1里前から奴らの死は決まっておった。即死なので痛みはほとんど感じておらんと思うぞえ。
それにしても困ったの。妾からすれば人語を話せる時点でおぬしは人間。妾には自分だけの戒めがあっての。人間を殺すには、相手が妾に殺意を抱いただけでは足りんのじゃ。生かしておく価値のない場合に限る」
オーガ・ロードは公主殿の悩みなど聞いてはいなかった。
「人間ノ小娘。気ト魔力ト言ッタナ。ソレナラ我ニモデキルゾ」
驚いたことに魔力を纏った腕を振り上げ、拳を地面に叩きつけた。教皇国の騎士の使う魔闘気術に少し似ている。オーガにそんな芸当ができるなんて。
ドガーン
凄まじい音とともに地面が陥没して砂塵が舞い上がる。
「全く違うの。似ても似つかん」
「ムッ。ナニガ違ウ?」
「妾は気と魔力を練って薄く延ばして、それをさらに相手の体の中にまで伸ばして1点を支配したのじゃ」
「胃袋ヲ掴ンダノカ?料理ノ話ダッタノカ?」
「そうそう。麺打ちの心は……。って違うわ。そうではないのじゃ。もうこの話はおぬしとはせん。いくら話しても理解できそうにないからの。
それよりもじゃ。おぬし、この森で群れを増やして何をするつもりだったのじゃ?」
「森ノ中、退屈。オレタチ、向上心強イ。文化的ナ生活ニ憧レタ。群レ増ヤシテ一気ニ人間ノ街ヘ押シ出ソウト思ッタ」
「街へ行って人間に交じって暮らしたいと思ったのかえ?」
「イヤ。全然。人間ブッ殺シテ遠クヘ投ゲル競技ガオーガノ中デブーム。文化的ナ遊ビヲスルニハ人間ノ街へ行ク必要ガアル。競技大会開設ハ族長ノ勤メナノダ」
「うん。生かす価値もなし、と。安心して殺せるのでよかったぞえ。
そうそう。剣技も披露せねばならないのでできるだけ耐えるのじゃぞ。先手は譲ってやるから疾くかかって来やれ」
「生意気ナ。死ヌノハ貴様ダ」
電光石火。オーガ・ロードの剛腕が何もかも吹き飛ばすような凄まじい速さで振るわれ、背筋の凍りつくような音を立てて強力な足蹴りが放たれる。
「ナゼ当タラナイ?」
「もういいか?もういいな!それでは先ず剣先より気を放つぞ。耐えよ。大鬼」
ブスッ
公主殿が枝を構えて突きを放つ動作をする。
さすがに無駄のない美しい突きではあるが、枝はオーガ・ロードに届いてはいない。にもかかわらず、オーガ・ロードの胸板には風穴があき血が噴き出す。
「ガアアアーッ!!!貴様ッ!」
蹲ったはずのオーガ・ロードの手のひらから無数の氷のつぶてが飛び出し、公主殿に襲いかかる。
「すまんな。相手の体内の魔力の動きを読める妾には不意打ちは通じんのじゃ。
次は基本の型の一つ、鐘鳴座聴。耐えよ」
上段からゆっくりとした振り下ろし。同時に公主殿の右足が地面をトンと踏んだ。と。
ドーンンンんうんうんうん
何が起こったのかよくわからない。
しかし、大気が震え、オーガ・ロードの右の剛腕が弾け飛んだばかりか、その衝撃の余波で巨体が斜めに回転しながら宙を飛んだ。
「もてあそぶのはよくないの。
すまない。地獄かどこかは知らぬが修業して待っておれ。妾もいずれは行く」
地面へ落ちてきたオーガ・ロードの巨体が何度かバウンドしてから止まる。
見ていると、頭頂から下へうっすらとした血の線が現れオーガ・ロードの体がゆっくりと二つになった。
隣では、アダマンタイトでできているといわれる真っ黒で巨大な戦斧を杖代わりにしたオスカー殿が死んだオーガ・ロードをしばらく擬視していたが、やがてため息をついた。
こうなって欲しいと期待していたことがすべて叶ったわけだが、素直に喜べないわたしたちがそこにはいた……。