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1足す1の中身  作者: サンドリヨン
ある女
6/30

残業終わりの後の残業

 仕事も終わり、適当に車を転がしている私の体は疲労感と倦怠感に蝕まれていた。

 時刻は夜の8時。つまらない残業につかまって定時以降も作業をして居た挙句がこのざまだ。


 定時以前に仕事を丸投げしてくれれば、まだ作業の段取りなども変更もできたというのに、終わったという解放感を得た矢先に追加の作業を指示される、というのはやはりどうにも精神的にはよろしくない。


 そんな私のストレスを進んで増加させようかというように、信号機がレッドシグナルをともす。

 街中の街頭はその火をぼんやりと灯し、温かみも何もないLEDの光が車体に乱反射して後方へと抜ける。

 少し車道のわきの歩道に目を向ければ、洋服店、フランチャイズチェーンのレストラン、コンビニ、本屋などなどが繁盛ぶりを示すように人間の出入りを誇らしげに見せつけていた。

 雑多な商品を売り出す群れが、雑踏に塗れて金を生み出し続けている。


 街頭などよりもはるかに明るく街を照らす店から出入りするのは、カップルのようにも見える腕を組んだ若い男女、自分の夜食を買いに来たくたびれた中年、親につれられてキャッキャと楽しみにしていた場所へと駆け寄る兄弟と思しき少年少女とその親……その中に似たようなものはいたが全く同じ人物像は見えなかった。


 これが多様性、というものなのだろうか。

 きっと私もこの中の何人かと似たような人生を歩み、それでも私は私なのだろう。


 何ともなしに窓からぼんやりと街並みを見渡している間にある程度の時間が過ぎたのか、信号が青色へと変わった。


 周りの車に合わせてゆっくりとアクセルを踏み込んでいく。こちらの車線とは違う横の車が勢いよく加速していき、通り過ぎる際に橙色のヘッドライトが私の横顔を照らした。

 ぶおんと軽く吹かすような音が聞こえ、ギアの変化を表すように回転数を現すメーターの針が下に大きく振れる。


 昔はオートマなぞつまらないなどと吹聴していたものだが、やはり実用的というか、楽な度合いで言えばオートマチックというものは強力だ。

 マニュアル車は最早娯楽目的でしか乗る意味はないのかもしれない。


 アクセルペダルを踏むと同時にガソリンが投下され、熱を帯びた車体が街中の喧騒を切り裂き車内の空間を静寂へと変える。


 がらがらと道路の砂利を踏む音を聞きながらハンドルを細かく操作する。放っておいたらふらふらとあちらこちらに頭を向ける放蕩息子の手綱を引き、わが家への道をひた走る。


 車はまっすぐには走らない。


 これは、運転する人間からしたら至極当然のことではあるが、運転経験がない人物が外からみてみたのなら、ただただまっすぐに走っているように見えるのだろう。


 中でどれだけ細かく操作してやってようやくまっすぐに走ってるのだとしても、体験してみなければ当然のように直線的に走っているように見えてしまうのだろう。

 体験に勝る学習はないとはよく言うが、やはり傍観者と当事者での視点と、積み重なる経験の量というものには明確な差異がある。


 どれだけ周りから羨ましく見え嫉妬を覚えたとしても、当事者としては息も絶え絶えに苦しんでいる状況である、というのは往々にしてある。その逆もまた然りだ。


 しばらく走っていると街中からある程度外れ、喧騒は段々と収まってきた。店の明かりは家々の明かりに代わり、雑踏の混雑はしんと静まり返る住宅街へと姿を変えた。


 落ち着く明かりの中に身を投じていながらも、車内の心は暗いままであった。

 一つの懸案事項が近づいてきているからだ。


 周りに車もいないため、恐る恐る、といった感じで車をゆっくりと自宅の方へと差し向けていく。

「ああ……やっぱりいるのか……」

 我が家がだんだんと近づいてきてくる。

 マンションの一室。三階の角部屋のそこでは、車から見えるだけでも、その一室のカーテン越しから明かりがともっているのが明確にわかる。


 気が重い。

 ああ気が重い。


 ため息と呼応するように車はのろのろと進み、居住者専用の駐車場へと移っていく。

 憩いの場所へと誘う安らぎの空間のはずのそこが、どこか猛獣を収めているアスファルトでできた檻のようにも感じた。


 とはいえいつまでも躊躇っていては時間の無駄であるため、車を止め、キーを使って鍵を閉めてから駐車場を出てアパートの入口へと向かう。


 このマンションはセキュリティがしっかりしている方で、専用のキーがなければマンションの全体へと入ることすら叶わない。

 カードケースからカードキーを取り出し、専用のデバイスに通してゲートを開かせる。


 そのままエレベーターに乗り、ごうんごうんとなる振動の音を静かに疲れ切った耳で聞いていると、すぐに上部のパネルの三階の部分が光り、ぽーんと半ば間抜けな音が響きながら扉が開く。

 新しくエレベーターに乗り込む人間もおらずまた乗り合わせていたものもいないため、開閉ボタンも押さずさっさと降りた。


 てくてく歩くと、部屋通しの防音はしっかりしていてもドアからは防ぎようがないのか、どこかしらから団欒の声が聞こえる。

 足取りの重さとは対照的にエレベーターから部屋までの直線距離は短く、すぐに目の前に自室の扉を迎えた。


 鍵もささずにノブを回すと、ガチャリという音が聞こえた。


 ああ、鍵はやはりかかっていない。


 明かりの消し忘れ、という希望的観測が砕かれたのを胸の内で確認すると、ゆっくりとノブを開いて自室を確認する。


「あら、貴方、お帰りなさい」


 自室へと行く道を遮るように、満面の笑顔の悪魔のような女がそこに立っていた。 

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