ある朝に
タイヤと高速の道路が擦れ、ぎちぎちとゴムが軋る音が聞こえる。タイヤの溝に詰まっていた石がはじけ飛び、明け方の霧の中に包まれて消えた。
舗装されてもなお反骨信を覚えている道路のギャップに車を取られ、車の揺れる振動がハンドル越しに掌に伝わる。
時刻にして4時ごろの太陽が顔を出すか出さないか程度の間。霧が立ち込め視界が真っ白に覆われる純白の世界の中で、私は勢いよく車を走らせていた。
車内を満たしているのは私の小さな小さな呼吸音と、それをかき消すほどの音楽だった。スピーカーは音色を空気中に吐き出し、生み出された威勢のいい音は空気と混ざって明け方の暗がりに消えていく。
アップテンポの曲調に精神が踊らされ、鼓膜を叩く音楽の心地よさに魅了され思わずアクセルを踏み込もうとしたが、何とか自制して法定速度を順守していた。
目の前の霧の中に、薄く赤くほのかに光る灯篭が灯る。
この霧の中ではお互いに場所を判別するためにライトをつけている。この光も恐らくは前の車のテールランプだろう。
しかしその光はぼうと怪しくしかし不思議なまでに美しく光り、すぐにふっとその姿を消した。
常識的に考えれば前の車が速度を出しただけに思えるだろう。しかし私にはその弱弱しい灯篭が意思を持って自らの力で歩き出したのだ。そうに違いない。などとロマンチストのような考えが心の中に浮かんでしまったのだ。
一人だけの車内というのは、独特の雰囲気があると常々思う。
密室ともいえる鉄の箱の中で、一人、ただ一人この鋼鉄の馬車を走らせているのだ。重々しい蹄の音の代わりに空気を切り裂く音を。乗客との歓談の代わりに自分の好みの音楽を。窓の風景は次々と切り替わり、まるで早送りしている映画のように街頭や街の風景が矢のように後ろへ消えていく。
この空間を独占しているのは私だけなのだ。
私自信の手でハンドルを握り、どこに行くか思案し、好みの音に体を乗せ、自由気ままにはいよーはいよーと現代の馬車に唸りを上げさせるのだ。
現代において、ここまで自由気ままに己の空間を形作れる場所が果たしてほかにあるのだろうか。
自宅もいいだろう。ただ、この空間は自宅を離れてもなお安心感を与えてくれるのだ。
群衆に密閉されてしまっているむさくるしい現代社会の中で、自由かつ己の気の向くままにいくらでも変容を遂げる。そんなものがこの空間以外に存在するのだろうか。
モラルも犯せばそれも叶うかもしれない。しかしモラル無き自由の結末は破滅以外にはありえないのだ。それこそつまらないチキンレースに他ならない。
だとするならば私はこうして、つまらないルールに縛られながらもいくばくかの自由を謳歌できている。それだけで充足感を得ているのだ。まったくもって十分ではないかと感じるのだ。
よそ見運転にならない程度に窓の外をちらと見てみる。霧も徐々に晴れ始めたのか、大きな山山とそこにかかる雲が見えた。
頂点高くそびえる山の先端は、まだわずかに雪化粧を残している。どうやら雪解けの水は化粧落としにはなりきらなかったようだ。
そのくせぽつぽつと山肌に緑色の顔も見せ、新たなる生命の息吹、はじまりの季節の到来を感じさせる。
その山の頂点を覆うようにたなびく雲が覆う。純白の雲だ。雨の様子などはみじんも見せない美しい雲。泣き顔など想像できないような、純粋な笑顔に近いそれ。それが晴れ間ということもあってあまり数は多くないものの、山に対してじゃれつくように囲んでいる。
山々、雲雲を照らすように降り注ぐのは、朝の訪れを伝える輝く太陽だ。
雲に覆われながらも、さらに山々の陰に隠れながらも見事なまでに存在感を出すそれは、雲の隙間から光を差し込ませ、切れ間から数本の光がスポットライトのように地上に注がれる。雲の後ろからでもその形をはっきりと輝きで浮かび上がらせながら、その身を焦がさんばかりの熱量で持って、しかし穏やかな恵みの光を私たちの上に降り注いでいるのだ。
山に雲がかかり、その雲から光が後光のように周囲に拡散している。その光景の見事さに私は思わず見入ってしまい、これは危ないと近くのパーキングエリアに車を止めた。
そのままエンジンまでも切ってしまい車を降り、自動販売機でコーヒーを買いながらじっと一枚の名画のようなそれを見つめていた。
「いやあ、中々綺麗ですね、こりゃあ」
光景に見とれていたせいか、私の真横にいつの間にか人がいることに、私は――間抜けなことだが――声をかけられるまで気が付かなかったのだ。
思わず体をびくつかせてしまった私に対して、声をかけてきた男はすみませんね、驚かしてなどと笑いながら答える。
男の様子は、すこしみすぼらしい、とさえいえるものだった。青色の作業着に身を包み、足や腕のあたりに特に汚れが見える。胸元に鍵を入れているらしきふくらみが見え、トラックのドライバーだと察することができた。
顔も皺が深く、瞼も腫れぼったい。髪は適当にぼさぼさにならない程度に切りそろえられており、ある程度年齢のいった格好に無頓着な中年。そんな印象を男は私に与えた。
「いえ……こちらこそ無礼にも大げさに驚いてしまって」
「気にしないでくださいな、こんな光景があったら見とれるのがあ筋ってもんでしょう?」
「確かに。違いないですね」
カラカラと景気よく笑う男につられて私も笑みをこぼしながら、缶コーヒーを少しのどに流す。
僅かな苦みを油分が包み込み、香りを鼻の奥にだけこのして喉元を滑り落ちていく。
「わたしゃあ、この時間によくここを走るんですが、こういった光景はまあお目にかかれませんねえ」
快活でありながらどこか間延びした声で男は言う。
「この時間によく、ですか。運転手か何かを?」
「ええ、ええ。しがないトラックのドライバーをちょいとね」
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