萩野古参機関士 昔話
萩野定吉元機関士に独占インタビューしてきた。
萩野定吉
明治三十八年生まれ
小学校を卒業以来国鉄一筋のベテラン機関士。昭和三十五年国鉄を定年退職
「ありゃあね、戦争中の、昭和…二十年の春か。あん時は酷かった。何もかもが酷かった。石炭の質も、天気も戦争も、そいで同乗者も。あん時はな、助士は、近場から動員された女学生でな、二人がかりでやっておった。そいでな、鉄道ってのは、大体狙われるものでな。こう、グラマンがグワーッと来てなー、後ろの方から来るんだ。で、トンネルが幸い近いんで速度あげて逃げ込もうとしたんだわ。そしてあと少しだとなったときにね、ガーン、ガーン、バーンてな音がして、血がバーッと散ってね、あのときはやられたかと思ったのよ。そんで、トンネルの中で止めてな、身体中触ってみてもなーんの怪我もない。で、やっと振り返る余裕がきたもんで、振り返るとね、二人のうち一人がね、肩から腰に抜ける銃創を負ってひっくり返ってる。この血はこの子のもんかと思ったね。で、脈をとるんだけど、死んどった。もう一人も腰抜かしてどーにもならん、貨物列車だかね、車掌車までいってね、車掌に手伝わせたわ。あん時ほど怖かった日はない。」
戦争の暗い記憶を話す萩野機関士の表情は渋いものだった
戦時輸送は鉄道史における一つの重大転換点である。その一端を垣間見ることができた
なお、萩野定吉機関士は非実在の人物