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2-3

 オレたちはホームのとなりに建っている教会の地下にいた。


そこは子供たちには知らされていないかくし部屋と呼ばれる地下室で、なんらかの事情で教会に逃げ込んできたヤツをかくまうための部屋だ。


入り口は神像の後、タペストリーで隠してある。


 ルシオンはまだ意識を取り戻してはいない。ウイルス兵器ベサラ2307RYが注射されてから1時間が経過けいかしていた。


オレはベッドのかたわらでずっと相棒の青ざめた顔を見守っている。今はまだ規則正しく繰り返されている呼吸が、不意に止まってしまいそうな気がして不安でたまらない。


「ケホン! ケホン!」


ルシオンがセキをした。オレは身体をビクッとふるわせる。ベサラウイルスに感染して真っ先に現れる症状がセキなのだ。


 セキは徐々に強く多くなっていった。呼吸もできないほど激しくセキ込んだルシオンは無理やり意識を取り戻させられてしまった。


合間にあえぐような荒い呼吸を繰り返しひどく苦しそうだ。


オレはベッドの上で胸を押さえ身体を丸めている相棒の背中をさすってやる。できることと言ったらそれぐらいしかない。



 時の経過と共に症状も刻一刻と変化していく。次に現れた症状は体温の上昇だ。


いとも簡単に40度を超えちまった。症状の進行が異常に速いのは、失血死する寸前まで血液を抜き取って免疫めんえきが働かない状態にしてあるためだ。


そのため処置するタイミングを見誤(みあやま)れば、、ルシオンの命はない。


 マーガレットは注意深くルシオンの症状の変化を見守っている。


青白かった顔色は高熱のため赤味を帯び、呼吸は早く浅いものに変わっている。尋常(じんじょう)じゃない量の汗をかいているから、脱水症状を防ぐための点滴をはじめた。


意識が混濁(こんだく)しているのだろう。時々ワケのわからないことを口走っている。

これ以上見てらんねえ!


「まだなのか! 早く血液を戻してやってくれ」


「もう少し我慢(がまん)して。確実に抗体こうたいを作らなくてはならないの」


マーガレットはさすが科学者というべきか。こんな状態でも冷静な判断力を失ってはいなかった。


「ベサラがしっかりルシオンくんの身体を侵食していなくては、完璧に機能する抗体にはならない。やり直しはきかないの。チャンスは一度きりなんだから」


オレは口を閉ざすしかなかった。





◇◇◇◇


 熱に浮かされもうろうとした意識の中でルシオンは5年程前の体験を思い出していた。


あの時も今と同じように身体が熱くて、重くて、ひどく苦しかった。抗体を作るためザファラウイルスに感染させられたとき彼はまだたったの5歳だった。


 この時の記憶が残っていたからこそ、今回ベサラウイルスの抗体を作る方法を思いつくことができたのだ。


だが、そのときの記憶は断片的で明瞭(めいりょう)ではなかった。それが同じ体験をすることで鮮明せんめい(よみがえ)ってきていた。

 



 その日の朝、いつも通りの時間に起こされたルシオンは朝食も与えられないまま研究室に連れて行かれた。


前日の夕食も抜かれており、空腹の少年はこんな仕打ちを受ける理由を考えてみたが思い当たることはなかった。ばつを受けるようなことはしていないはずだ。


 何の説明もないまま採血が始まり、細いチューブを流れる赤い液体をながめているうちに身体がだるく重くなり、意識はぼやけて次第に遠のいていった。


 目が覚めたのは激しい嘔吐感(おうとかん)(おそ)われたせいだ。胃をまるごと吐きだしてしまいたいほどなのに上がってくるものは何もない。前日から食事を与えられていなかったのはこのためだった。



 研究員たちは知っていた。ザファラウイルスに感染したルシオンが激しい嘔吐感と高熱に苦しめられることを。知っていながらそれをやめさせようとする者はいなかった。


研究員たちにとってルシオンはモルモットだ。ただし、貴重な。だから死なせる訳にはいかない。


今回の(こころ)みでこのモルモットが死ぬようなことはない。何の問題もないのだ。予定通りザファラウイルスの抗体を作ることができれば多くの人命を救うことができる。それは素晴らしいことではないか。


 研究員たちの思惑(おもわく)を知らないルシオンは、どうして自分がこんな目に会っているのかわからないまま苦しみ続けていた。


特殊能力者ヴァイオーサーの彼は生まれてこのかた一度も病気になったことはない。初めて体験する身体の変調に自分は死ぬのではないかという恐怖におびえた。


「がんばれ」でも「大丈夫」でもいい。たったひと言声をかけてくれるだけでどんなにか(なぐさ)めになったのに、研究員たちは誰一人としてルシオンを見てはいなかった。


彼らが注目しているのは抗体を作るという一点だけだった。



 研究室には大勢の人間がいるのに少年はひとりぼっちだった。自分の上をただ通り過ぎて行くいくつもの感情のない視線と手袋をした冷たい手にそのことを悟った。


(ぼくがしんでもだれもないたりしない)


5歳の子供にもわかることだった。


(もうヤダ!)


 こんな苦しいおもいをするくらいなら死んだ方がいいとさえ思う。そう思ったらもう、死を怖いとは感じなくなっていた。


ただ一刻でも早くこの苦しみから解放されたかった。気持ち悪いのも、苦しいのも、悲しいのも、もうたくさんだった。




 今の状況は2年前と同じだ。だが、決定的に違う点が3つある。


ひとつ目は、これは自分が望んだことであるという点だ。訳もわからず苦しいおもいをしているのではない。


ふたつ目は、今の自分には死んだら泣いてくれるひとが大勢いるという点だ。だからこそ死ぬ訳にはいかないし、死んでもかまわないとは思っていないという点が三つ目だ。


 目を閉じていてもわかる。自分の方こそ具合が悪いんじゃないかという顔をして見守っていてくれるフィヨドルの視線と、汗を拭いてくれる手のぬくもりを。


それさえあれば、がんばれる。





 どのくらいの時がすぎたのだろう。ルシオンから何度目かの採血をして、教会裏の物置に行っていたマーガレットが戻って来た。


物置には大急ぎでそろえた医療用機材が所狭しと置いてある。抗血清を精製するためのものや、血液中のウイルス量を調べるためのものだ。


「これなら大丈夫。輸血を始めましょう」


ルシオンから抜き取って保存されていた血液が、持ち主の体内に戻っていく。その様子を見てオレとマーガレットは安堵(あんど)の長い息を吐き出した。


 まだまだ安心はできないが、とりあえずこれで第2段階まではクリアしたことになる。


残すは第3段階のみ。ルシオンの免疫がしっかり機能して回復すれば同時に抗体もできるはずだ。



 さらに1時間がたってルシオンの顔の赤味は薄れ呼吸も次第に落ち着いてきた。マーガレットはルシオンの血を採って物置に走って行った。


しばらくして戻って来たマーガレットの顔は輝いていた。出会ってはじめて見る笑顔だ。


「うまくいったんだな?」


たずねるといきなり抱きついて来た。


「成功よ! 信じられない!!」


オレは涙がこぼれそうになるのを必死にこらえていた。これで子供たちは助かるんだ!


 なにもかもうまくいきすぎているような気がする。ワケもないのに不安になるのは、オレが神を信じていないからなんだろう。


心配ないさ。このまま何事もなくいつもの生活に戻れるさ。



「フィルぅ」


 意識を取り戻したルシオンがか細い声でささやいた。


「なんだ」


「10歳になった」


しまったっ!! 


今日は5月24日、ルシオンの誕生日だ。


ここのところのごたごたですっかり忘れてた。本当ならみんなから祝福されているはずの特別な日に、なんてこった!


「ひどい誕生日になっちまったな」


 切なすぎるぜ。オレは精一杯の笑顔を作って見せる。


「おめでとう」


ひたいにキスをするとルシオンはかすかに笑った。


「落ち着いたらみんなでパーティやろうな。おまえの好きなうんと甘いケーキをレイチェルに焼いてもらってさ」


「ん。」


静かに目を閉じたルシオンはそのときのことを思い描いているんだろう。なんだかうれしそうだ。


よーし。一生忘れられないような盛大(せいだい)なパーティにしてやるぞ!




 その日の夜のことだ。ホームの子供たちの様子を見に行ってみると、チビのカールが危険な状態になっていた。まだ2歳のカールはそう長くは耐えられないだろう。


大人たちはシェリーと同じ症状に不安を(つの)らせている。


 教会の隠し部屋に戻ったオレは、マーガレットに予定を早めて抗血清を作ることはできないのかとたずねてみた。


答えは「ノー」だった。


「抗血清を作るには抗体を持った血液が大量に必要なの。まだ体調が回復していないルシオンくんからそれだけの量を採血することはできないわ」


「マーガレットさん、フィルの言うとおりにして」


オレたちの会話を聞いていたルシオンが口をはさんできた。


「だから、それはできないの。弱ったあなたの身体に大きな負担をかけてしまうことになるから」


「でも、このままじゃカールは死んじゃうんでしょう? シェリーみたいになっちゃうんでしょう?」


“シェリー”の名にマーガレットの顔がゆがんだ。マーガレットだってこれ以上の犠牲者(ぎせいしゃ)は出したくないはずだ。



「私の一存では決められないわ。あなたの意見を聞かせて」


 マーガレットはオレの顔を見た。


おい、おい。オレに振るなよ。オレにだってどうしたらいいのかわからないってのに。


「フィル、カールを助けて。みんなでパーティするっていったよ」


ルシオンの言葉が決定打だった。結局、この中で揺らぐことのない強い意志を持っているのはこいつだけだ。オレとマーガレットの決意は不安と恐怖に揺らいでばかりだ。


まったくたいしたヤツだぜ。


「わかった。だが、おまえの身体が危なくなるようなら、即中止だからな」


 再び、ルシオンの腕に針が刺され採血が始められた。次第に血の気を失い、冷たくなっていく相棒は寒そうだ。毛布をかけ温めてやるとそのまま眠ってしまった。


必要量の採血が終わり、失った分を補うための輸血に切り替えた。マーガレットはすぐに抗血清の精製に取りかかるため物置に向かった。



 朝になってカールの容体は持ち直した。大急ぎで作った抗血清を投与したのは6時間前。


予想以上に早い回復にマーガレットも驚いていた。抗血清の効果は証明された。これでホームの子供たちもフロークの子供たちもみんな助かるんだ!!


マーガレットは涙を流して喜んでいた。オレは、泣いたりしてないからな。


 これで終わったのだと思った。もう、なにも心配する必要はない。不安と恐怖にさいなまれることもないんだと。

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