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マーガレットを連れてホームに帰ってみると、シェリーが重篤な状態になっていた。
解熱剤も効果はなく、体温が40度を超えたシェリーの体力は限界だとエルンストに耳打ちされた。
シスターアナもモニカもレイチェルも、すっかり疲れ切ってやつれた顔をしていた。
もうなん日も子供たちの看病をしてるのによくなるどころか悪くなる一方だ。しかも原因すらわからないじゃ精神的にもまいっているはずだ。
もっとも、真実を教えたところで絶望させるだけだ。治療法のない致死率100%のウイルス兵器に感染しているだなんて、そんなこと言えるか!
オレはまだ、マーガレットになんとかしてもらうつもりでいた。ただ、現実を受け止められずにいるだけなのかもしれない。
静まり返った部屋で、ジョシュアはベッドの少女にそっと声をかける。
「シェリー・・・・・・」
ひとまわり小さくなった少女はやっとのことで薄く目を開けた。
「遅くなってごめんね。これ」
シェリーの目の前に掲げたのはフォトスタンドだ。今よりも幼いシェリーとおそらくは両親であろう男女の写真が納められている。
「おまえ、いつの間にそんなもんを」
そういえば、トスカネリの港でファビウスⅡ世号の出港の準備をしているとき、しばらくジョシュアの姿が見えなかった。
だから、見つけたときにはすかさず怒鳴りつけてやった。
「どこ行ってたんだ!! さっさと働け! 今度さぼったらぶん殴るからな」
「もうなぐってるよ」
ジョシュアは頭を押さえて涙目になっていた。
シェリーの家に行っていたんだな。それならそうと言ってくれりゃよかったのに。
シェリーは写真を見つめている。3人で笑っている写真。両親はもういない。オレにも両親はいないがホームには家族がいた。ひとりぼっちの寂しさは知らない。
むしろジョシュアの方がシェリーの孤独を理解していたのかもしれない。父親を亡くし、母親とも引き離されてすごした4年分の寂しさを知っているんだから。
「シェリーはひとりじゃないよ」
無口なジョシュアがはげますようにささやくとシェリーは弱々しく微笑んだ。
「・・・パパとママが・・・・・・まってる・・・から・・・・・・ありがとう・・・・・・みんな・・・に・・・・・・」
言葉は途切れ、シェリーのまぶたは永遠に閉じられた。
ジョシュアは少女の身体におおいかぶさるようにして大声で泣いた。こいつの涙は何度か見たがここまで激しく泣いたことはない。
数えきれないほど多くのヒトの死に触れてきたはずなのに、はじめてヒトの死を目の当たりにしたみたいじゃないか。なにがジョシュアをこれほど悲しませているんだろう。
一方、部屋のすみで棒立ちのマーガレットは蒼白な顔をしていた。
自分の率いるチームが開発したウイルス兵器の、最初の犠牲者がたった今息を引き取ったんだ。ショックは大きいだろうさ。
ヒトを殺すために作られたウイルスではある。だが、それが威力を発揮するのは戦場のはずだった。それなのに
最初の犠牲者がなんの罪もない子供になっちまうとは考えてもみなかっただろう。
しかも、シェリーの死ははじまりでしかない。今も多くの子供たちがベサラウイルスにむしばまれ死へのカウントダウンを刻んでいる。
ひとしきり泣いたジョシュアはシェリーのひたいにキスをしてゆっくりと起き上がった。振り返ったココアブラウンの瞳に涙はない。代わりに凛とした光が宿っていた。
「フィル」
「黙れっ!!」
反射的に怒鳴っちまったのはこいつがなにを言いだすかわかっていたからだ。
恐ろしい現実を見せつけられて、この絶望的な状況からは逃げられないって思い知らされた。だからって、そんなことで希望をつなぎとめるなんてマネができるか!
ダイニングルームにはオレとジョシュアとマーガレットの3人だけ。具合の悪くなったマーガレットを介抱しているところだ。
「フィル」
名を呼ばれてドキッとした。
「なにも言うな!」
マーガレットに視線を向けたまま話をさえぎる。
「フィル」
「しつこいぞ!!」
ジョシュアの顔を見ないようにしてあしらっていると、オレの意志に反して顔の向きが変わっていく。誰かに頭をつかまれてムリやり動かされてるみたいだ。ジョシュアだな!
「てめぇ!! オレに力を使うなって言ったろうがっ!」
ジョシュアと正面から向き合う形になってオレはうろたえた。
「フィルが聞いてくれないからだよ!」
「その話はもう終わってる! 今さら蒸し返すな!!」
聞きたくない。聞きたくないんだ!
「シェリー、死んじゃったよ」
「ああ」
オレはわざと気のない返事をした。
「マーガレットさんが言ったことは本当だった」
「ああ」
「このままじゃみんなシェリーみたいになっちゃうよ」
「・・・・・・・・・」
わかってる。。そんなこたぁわかってるんだ!
「だからっておまえが命を張る必要はこれっぽっちもねえっ!!!」
ダメだ。絶対に認めるな。オレは懸命に自分に言い聞かせていた。それなのにジョシュアはしつこく食い下がってきやがる。
「フィルはみんながいなくなってもいいの?」
「いいワケあるかっ!! だがな、おまえに死なれでもしたら困るんだよ。おまえはオレの助手なんだからな」
ジョシュアのココアブラウンの瞳が揺れた。
「ぼくは・・・・・・ずっとこのままがいい。フィルがいて、レイチェルさんがいて、シスターアナがいて、モニカがいて、マルティがいて、カールがいて、エレナがいて・・・・・・・・・」
いつもはろくに話なんかしないくせに。なんだって今日に限ってそんなにおしゃべりなんだよ?!
「そこにおまえがいなけりゃなんにもならないじゃないか」
「・・・・・・・・・」
今度はジョシュアが黙り込む番だった。
「おまえだって本当は怖いんだろ?」
確信が持てないままたずねるとジョシュアは小さくうなずいた。
やっぱりな。そうだろうと思っていたぜ。どうやらこいつは、強い負の感情を自分の中に押し込めてしまうくせが治っていないらしい。
そんな感情こそ外に吐き出しちまえばいいんだ。なんてことを考えている間に、ジョシュアのすまし顔は恐怖に引きつった顔に変わっていた。
「でも。みんながいなくなったらって思うと、、もっとこわい」
「いい加減にしろ! おまえはもうしゃべるな!!」
オレだって怖いんだ。どうしようもなく怖いんだ。このままジョシュアの言葉を聞いていたら押し切られてしまいそうで。
「ヤダ。フィルがいいって言ってくれるまでだまらない!」
オレの気も知らないで。これ以上オレの心を揺さぶってくれるな。
「おねがいだよ。ぼくだってひとを助けたい! 殺すことしかできないのはヤダっ!!」
そうか・・・・・・
それがおまえの本音なんだな。子供たちを助けることで生きていてもいいっていう免罪符を手に入れたいんだ。そんな必要はないのに。オレは、おまえに生きていて欲しい。
もう、どうしたらいいのかわからなくなりそうだ。
どうあっても子供たちを助けたい。それはオレも同じだ。だからジョシュアの気持ちもわかる。だからといってこいつの命をチップに一か八かのギャンブルなんて・・・・・・
途方に暮れて窓の外に目をやると、ポルッカの木の前にレイチェルがたたずんでいた。ジョシュアもそのことに気付いて、ぽつりとつぶやく。
「レイチェルさんが泣くのはヤダ」
このまま子供たちが命を落とすようなことになれば、彼女が悲嘆にくれることは間違いない。
「レイチェルはおまえがいなくなっても泣くぞ」
「そうかな」
「間違いなく泣く。100万シリン賭けてもいい」
「そんな大金かけちゃっていいの?」
「いいんだよ。100%勝ちが決まってる賭けだからな」
「だったらぼくは絶対に死なない」
こいつはどうあってもあきらめる気はないんだ。
「まだ言うか」
「言うよ」
「そりゃオレだって子供たちを助けたい。オレの方があいつらとの付き合いは長いんだ。コリンやアメリなんか赤ん坊のときか面倒をみてきたんだぜ」
「だったらイエスと言って。そうすればみんな助かるんだから!」
オレの心はぐらりと揺れた。
「・・・・・・いや。ダメだ。もし上手くいかなかったら・・・・・・おまえは・・・・・・」
「だいじょうぶ。ぼくは死なない」
「・・・・・・なんだよ。それ・・・・・・」
オレはきっと泣きそうな、それでいて笑っているような奇妙な顔をしていたに違いない。
結局オレはジョシュアの決意をくつがえすことはできなかった。もっともひとりで抗血清を作ることはできないんだから、やらせないようにすることはできたはずだ。
だが、オレののど元には子供たちの命を救うにはこれしかないという現実が突きつけられていた。
そして、もしかしたらなにもかも上手くいくかもしれないという甘い誘惑にからめとられていった。要するに絶対に許さないという気迫が欠けていたんだ。
「オレに後悔させるな」
まだふんぎりがつかないオレの情けないセリフにジョシュアは顔を輝かせた。
「ありがとう、フィル!!!」
喜びを爆発させてオレに抱きつき、勢い余って押し倒されそうになる。
「こらっ! 危ないだろ」
「レイチェルさんのところに行ってくる!」
ジョシュアはそのままの勢いで外へと飛びだして行った。
「本当にいいの?」
すっかり忘れていたがここにはマーガレットもいたんだ。シェリーの死を目の当たりにしたときよりも蒼白な顔をしている。抗血清を作るには彼女の協力が不可欠だ。
「あんたには全面的に協力してもらうぜ」
「協力はするわ。拒否できる立場にはないもの。でも・・・・・・ ジョシュアくんの命の保証はできないわ」
沈黙が部屋の空気を重くした。マーガレットの言う通りだ。後になって悔やんでも遅いんだぞ。急に現実味を帯びて不安がどんどんふくらんできやがる。
そんなになにもかも上手くいくものだろうか。考えが甘いんじゃないのか。
ジョシュアはうれしそうだった。滅多に笑顔なんか見せないくせに。
「あいつは、なんだってこんなときにあんなにはしゃいでるんだ?」
死ぬかもしれないっていうのに。
「うれいしいからに決まっているじゃない」
「子供たちを救えるから・・・・・・か」
「それ以外のことは考えないようにしているのでしょう。私はジョシュアくんに賭けるわ。他に方法はないもの。そして迷っている時間もない」
マーガレットは覚悟を決めたようだ。もしものことが起こってしまった場合には重い十字架を背負う覚悟を。
それに引き換え、オレはまだ煮え切らない心を持て余している。本当にこれでよかったのか。他に方法はないのかと逃げ道を探し続けていた。
◇◇◇◇
外へと駆けだしたジョシュアは、レイチェルがこちらを見ていることに気付いて歩をゆるめた。
「どうしたの? そんなにあわてて」
レイチェルに勇気をもらいたい、とは言えない。ジョシュアはポルッカの木に目を留め、声をあげる。
「花が咲いてる!」
枝の先に付いたつぼみのひとつが開き始めていた。強い日差しを浴びて輝く純白の花、大きな花びら5枚で形作られている花は甘い香りを振りまいている。
「間に合ってくれたのよ。息子の誕生日に。生きていれば明日で10歳になっていたわ。死んでしまった子供の年を数えるなんて馬鹿げたことなんでしょうけど」
レイチェルの寂しげな微笑にジョシュアの胸がしめ付けられた。
「そんなことない! 覚えていてくれたら、きっとうれしいと思います」
ルシオンではないジョシュアの言葉が慰めになるかどうかはわからない。だが、言わずにはいられなかった。
「あの・・・・・・レイチェルさんの子供ってどんな子ですか」
ジョシュアは思いっきって尋ねてみた。レイチェルは思いがけない言葉を聞いたような顔をしたが、すぐに思い出にふける表情になり空を仰いだ。
「私にとっては天使だったわ。とても優しい子だったのよ。
夫を亡くして泣いてばかりいた私を一生懸命慰めてくれたの。泣き虫な子だから自分もぼろぼろ泣きながらね。だからふたりして大泣きよ。
甘いお菓子が大好きで私の焼いたアップルパイが大好物だったの。隠れてこっそり食べてしまったなんてこともあったわ。
でもね、本当に幸せそうに食べているから、つまみ食いしているところを見つけても叱る気にはなれないの」
ジョシュアはレイチェルの言葉をひと言も聞き逃すまいとじっと耳を傾けていた。母が今自分のことだけを考えていてくれるのだと思うととても幸せな気分だ。
母に抱きしめられているかのようなぬくもりを全身に感じることができる。
「そう言えば、あなたも甘いものが好きよね?」
ふと思い出したレイチェルは少年のココアブラウンの瞳をのぞき込んだ。
「ぼくも(母さまの)アップルパイは大好きです」
レイチェルの心臓がトクンと鳴った。ジョシュアの透明な笑顔にルシオンの面影を見たような気がした。
悲しみは心の底に沈めて鍵をかけたはずだった。だが、色々なことが重なって鍵がはずれてしまったのか、あふれ出した悲しみが心を波立たせ不安をかきたてる。
レイチェルは両手で顔をおおって泣き崩れた。
「どうして神様は私から何もかも奪おうとするのかしら。フレイを奪い、ルシオンを奪い、今度は子供たちまで・・・・・・」
母の弱々しい姿を目の当たりにしてジョシュアの目にも熱いものがこみ上げて来た。
(ばくは泣かない。ぼくはもうおチビさんじゃない)
そう自分に言い聞かせ懸命に涙をこらえる。
「泣かないで。みんなきっとよくなります」
レイチェルは涙で濡れた顔を上げた。
「でも、子供たちの病気はとてもたちの悪いもののようなのよ。それで、シェリーはあんなことに・・・・・・」
「だいじょうぶです。絶対助けるから」
「助かる・・・かしら?」
「助けるんです」
ジョシュアの言葉が意味するところをレイチェルは知らない。だが、力強い言葉はレイチェルの心に希望の灯りをともした。
「ええ、そうね。めそめそしている場合じゃなかったわ。しっかり看病して子供たちの病気を治してあげなくちゃね。
ありがとう、ジョシュア。あなたが励ましてくれなかったら、私、くじけていたわ」
(母さまにほめられた!)
もうそれだけで充分だった。
「母さま、大好き」
ジョシュアはやさしく微笑む母の顔を見つめ口の中で呟いた。
「えっ? 今なんと言ったの。よく聞こえなかったわ」
レイチェルがきき返すとジョシュアはポルッカの花を見上げて別の言葉を口にする。
「この花、もらってもいいですか」
「ええ、どうぞ。いつも水やりを手伝ってくれたお礼よ」
レイチェルは一輪だけ咲いている花の枝を折ってジョシュアに手渡した。
「ありがとう」
花を手にしたジョシュアはもう一度レイチェルの顔を見つめ、様々な想いを断ち切るように背を向け駆けて行った。
ホームの中へと消えた少年を見送ったレイチェルは、エプロンのひもを結びなおして歩き出す。
ホームに戻ったレイチェルは、食堂に甘い香りが漂っていることに気付いた。香りの元はテーブルの上に載っているポルッカの花だった。ついさっき、ジョシュアにあげたものだ。
花の下には何かの冊子が置いてある。義足のカタログだった。ページをめくると中に小切手がはさんであった。
受取人の欄にはマルティの名前が記されており、その下の金額を見て驚きの声をあげた。30万シリンは大金だ。
「これは一体どういうことなの」
レイチェルは訳をきこうとジョシュアを探したがホームのどこにも見当たらない。モニカに尋ねると、ついさっき、病床を並べた子供たちの元にやってきたと教えてくれた。
「きっとみんなよくなるから。あきらめないで」
そう言って、シェリーの死で希望を失いかけていたモニカとシスターアナを励まして行ったらしい。
フィヨドルとマーガレットの姿もなく、子供たちの看病で大忙しのモニカは「猫の手も借りたいのに」とこぼしていた。
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