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ビンゴ。オレの推理は当たっていたようだ。
トスカネリのピュッセール研究所は夜も明けきらないうちから騒然としていた。白衣を着た研究員らしい連中が右往左往している。
なにか大変なことが起こっている最中であることは一目瞭然だ。
「フィル・・・・・・」
ジョシュアが強張った顔で俺を見上げてる。おまえも身体の中をムカデがはいまわってる気分なんだな。
「行くぞ」
オレたちは騒ぎに乗じて研究所に侵入した。
早速、職員のひとりを捕まえて話を聞き出そうとしたがまったく要領を得ない。どうも公にはできないことが起きてるらしい。
情報を得るには下っ端じゃダメだ。もっと上のヤツを捕まえないと。
オレたちは研究所の奥へと足を踏み入れて行った。
「そうよ。今すぐに船を調達してちょうだい」
「・・・・・・」
「とにかく足の速い船にして。一刻を争うの」
「・・・・・・」
「テントはどれだけ用意できそう?」
「・・・・・・」
「それだけじゃとても足りない。その倍は用意して」
物陰に隠れたオレたちの前を通信機を耳に当てた女が通りすぎた。と、ふと立ち止まって振り返る。
「何をしてるの。はやく行きなさい!」
鞭のような声に付き従っていた男たちは首を引っ込め走って行った。
しめた。事情を知っていそうなヤツがひとりになったぞ。すかさず女の背後から声をかける。
「ちょっと待ってよ、おばさん。あんたにききたいことがあるんだ」
「誰がおばさんだ!! 私はまだ20代よ!」
振り返った女は鬼の形相をしていた。髪を振り乱してやつれた顔をしてるから40くらいに見えたんだよ。
女はオレの手に握られているハンドガンを見て顔色を変えたがおびえはしなかった。挑むようににらんでくる。抵抗されたら面倒だ。
「手荒なマネはしたくないんだ。おとなしくしてくれよ」
紳士的な対応をしてやったのに、女は怒りをあらわに食ってかかって来る。
「冗談じゃない! こんな大変なときにいかれたガキの相手なんかしてられないわ!!」
ガキ、だと?
おばさんと呼ばれた仕返しか。気の強い女だ。反論したいところだが今はそれどころじゃない。
「大変なのはお互い様だ。実は今、オレの故郷でも大変なことが起きているんだ。どうやらそいつの原因はあんたらにあるらしいんでね」
女はしばらく黙り込み、おもむろに口を開く。
「故郷ってどこなの」
「アリアーガだ」
やっぱりという顔をして女は溜息をついた。
「そう。あなたたちアリアーガから来たのね。だったらすぐに私を解放しなさい。はやく手を打たないと取り返しのつかないことになるわ」
身体の中のムカデがいっせいに暴れ出す。
「それは・・・どういう意味だ」
「知りたい?」
女の言葉にオレとジョシュアは顔を見合わせうなずいた。
「付いて来て」
女はカギのかかった扉を何枚も通り抜けた先のドアの前で立ち止まった。3重のカギを外してドアを開けオレたちを招き入れる。
室内には同じようなガラスケースが整然と並べられていた。ケースの中には・・・・・・
「何してるの。こっちよ」
ガラスケースの間で見えなくなった女に追い付き立ち止る。
「見なさい」
オレの視線は女が指し示したガラスケースに吸い付けられた。
「ウイルス兵器ベサラ2307RY。これがアリアーガで起きている異変の原因よ」
込み上げてきた吐き気に思わず顔を背けると、かたわらに立つ相棒の姿が目に入った。
ジョシュアはケースの中身をじっと見つめていた。表情のない顔で。なにも感じていないのか? 違う! これはひどく動揺しているときの顔だ。
「バカ野郎っ!! こんなもの見るんじゃない!」
とっさに相棒の杏色の頭を抱きかかえて視界をふさぐ。
「なんなんだこれはっ!!」
オレはみっともなくわめいた。
「べサラを植えつけられた被験体のなれの果てよ。あなたたちには刺激が強過ぎたようね」
女はガラスケースの中に視線を向けた。体内で爆発が起きたような猿の死骸には、内臓がなかった。
どれだけの恨みを抱いて息絶えたのか。すさまじい形相でこっちをにらんでる。
「べサラは10歳くらいまでの子供にしか感染しない。でも、致死率は100パーセント。感染してしまったらもう助からないわ」
「そのべサラとやらにかかったらこうなるっていうのか」
オレは押し殺した低い声でうなった。全身が冷たい汗でぬれている。
「この猿は特別なの。症状の変化を見るために無理に生かされていたからこうなるまで死ねなかった。普通の人間はこうなる前に死亡するわ。体力のない子供ならなおさらね」
イヤな予感は的中していた。しかも最悪の形で。
それでも、ホームの子供たちがかかっている“カゼ”が、ここまで恐ろしい病気だったとは予想をはるかに超えている。
口の中が乾いてヒリヒリする。オレは張り付いた舌をはがすようにして口を動かす。
「薬・・・・・・ 薬が、あるよな? 治せるんだよな?」
「ないわ」
期待を込めた言葉は、あっさり否定された。
「感染した子供を隔離して拡散を防ぐことしかできないの。わかったら私の邪魔をしないで」
「・・・・・・うそ・・・だ・・・・・・」
「べサラはウイルス兵器としては未完成なの。子供にしか感染しないという特性の改良はこれからだった。ワクチンも治療薬も開発はまだメドが立っていない。
感染を予防することはできないうえに、かかってしまうとなんの治療もできずただ死を待つしかないの。このままでは兵器としては使えない」
オレにはもう女の血色の悪い顔しか見えていなかった。
「・・・・・・なんだってそんなもんを作った!?」
「仕方なかったのよ。会社の命令で。私がやらなかったとしても他の誰かがやっていたわ。そうよ。どうすることもできなかったのよっ!!」
自己弁護に忙しい女を怒りに震えるまなざしでにらみつける。言いワケなんざ聞きたくねえ!!
「なんとしてでも子供たちを助けてもらうぞ。それができないってのならあんたにも死んでもらう」
女は髪をかきむしりながらわめき散らす。
「だ、か、ら、無理だって言っているでしょう! どうしてわからないかな。感染してしまったらもう助からないの! みんな死ぬの!! 例外はないわ!!!」
「じゃあ、死ね」
オレの口から思いがけないほど簡単に冷酷なセリフが飛び出した。なにも持たない孤児だったオレが手に入れたかけがえのないものを奪ったんだ。
当然だろ?
銃口を女の顔に向けトリガーにかけた指に力をこめる。みっともなく命乞いをするかと思いきや、女の顔にはほっとしたような表情が浮かんだ。
「まって!」
オレと女の間に割って入ったのはジョシュアだった。女を背中にかばって叫ぶ。
「殺しちゃだめだ!」
振り返り女に向かって叫ぶ。
「あきらめないで!!」
ジョシュアが声を荒らげるのはめずらしい。こいつも必死なんだ。
「無理よ!! どうすることもできないわ」
緊張の糸が切れたのか、女はそれまでの高圧的な態度をかなぐり捨てて泣きだした。
「・・・私の責任よ。言われるまま・・・こんな研究を引き受けたりしたから・・・ 私のせいで多くの子供が命を落すのよ・・・・・・」
泣きくずれる女にジョシュアが言葉をかける。
「だいじょうぶ。なんとかなります」
さっきとは打って変わった冷静な声に胸騒ぎがする。
「ジョシュア、おまえ、なにを考えてやがる?」
問い詰めようとするが相棒はなにも答えず、ただ、じっとオレの目を見つめ返した。こんなときのこいつはロクでもないことを考えているに違いないんだ。
◇◇◇◇
「神様なんかどこにもいないんだってフィルはいってるけど、本当ですか?」
ジョシュアは以前シスターアナに尋ねてみたことがあった。神に仕えるシスターなら真実を知っていると考えたのだ。
「いないと思う人にはいないけれど、いると信じている人にとっては確かに存在しているのよ。あなたはどちらかしら?」
シスターは穏やかな声で答えた。
「わかりません。・・・・・・でも本当にいるのならきいてみたいことがあるんです」
「それはどんなことかしら?」
「神様は、ぼくになにをしてほしいのかなって」
アリアーガに来る前、ジョシュア=ルシオンはフォート・マリオッシュにいた。
そこで、たくさんの人と出会い様々な経験をした。初めて自分の意志で力を使った。そして、ある老人の言葉が小さな炎となってずっと心の中でくすぶり続けている。
老人は言った。
「他の誰でもない、おぬしがその力を持っていてくれてよかった」と。
命令のまま力を振るっていただけの時には気付かなかった。この力は他の人にはないものだ。誰にもできないことが自分にはできる。
気の向くまま好き勝手に使っていいものではない。
そう思えたのは、父が残した言葉が幼い心に刻み込まれていたからだ。
「おまえが生まれたことには意味がある。この世界が必要としているからおまえは生まれたんだ」
自分を必要としてくれた人の願いは叶えた。でも、生きている。
まだ必要とされているのだと思った。何かをしなければならないということはわかるが、何をしたらいいのかがわからない。
シスターアナはジョシュアが抱える大き過ぎる秘密を知る数少ない人間のうちのひとりだ。
シスターをだますようなことだけはしたくないと考えたフィヨドルが、ジョシュアの了解を得てすべてを打ち明けたのだ。
話を聞いたとき、シスターは驚き、そして、恐怖した。それまで感じたことのない全身が強張るような恐怖だった。
ジョシュアを受け入れるということは、ホームの子供たちどころかアリアーガ全島を危険にさらすことになるかもしれないのだ。
シスターは自分が迷っていると気付いて動揺した。それまで神を頼ってきた子供を拒否したことなど一度もなかった。
例外が許されるのだろうか。答えはすぐにでた。
“すべての出会いは神の思し召し”
生き場をなくした子供に門を閉ざすことはできない。この出会いもまた、神の思し召しに違いないのだから。
こうしてシスターはジョシュアのよき理解者となった。
シスターアナは静かに語りかける。
「あなたがどんな障害があってもやらなければならないと思うとき、それは神様がそうして欲しいと願っているからなのですよ。だから、自分の心にきいてみなさい。
やりたいと思うことは自分のわがまま。やらなければならないと思うことはあなたが世界に必要とされている証です」
実はまだ9歳のジョシュアにシスターの言葉のすべてが理解できたとは言えない。だが、大変なこと、辛いことから逃げてはいけないとは理解できた。
命令する者がいなかなった今は、フィヨドルの言う通りにしていればいいのだと思っていた。
フィヨドルは生きる場と糧をくれる。難しいことや辛いことを要求されることもない。
(それじゃいけないんだ。ぼくにはもっとたくさんのことができる。それは、ほかのひとにはできないことなんだから)
シスターを見上げる澄んだ瞳には強い光が宿っていた。