1-5
「やっぱりそうだ。やあ、アリアーガ! 久しぶりだね」
不意に声をかけられて目をやると、中年にさしかかった男が近付いて来るところだった。
ロイドメガネを鼻の上にのせリュックをしょった男はヒトなつっこい笑みを浮かべてる。
げっ! なんでこいつがこんなところにいるんだよ。こいつと関わるとロクなことにはならねえってのに。
ムシだ、ムシ!
オレはそいつに気付かないふりをして通りすぎようとした。
「ちょっと待ってよ。そんなにつれなくしないでよ。ボクとキミの仲じゃないの」
オレたちの前に立ちふさがった男をムシしてまわれ右をする。
「フィル。知ってるひと?」
ジョシュアが首をかしげてる。
「いいや。そいつとオレはなんの関わりもない。赤の他人だ」
「冷たいなあ。ボク嫌われるようなことしたかな?」
男の言葉を聞いてオレのこめかみに血管が浮き上がる。
「自分の胸に手を当てて考えやがれ!!! あんたのおかげでオレがどれだけ迷惑をこおむったと思ってるんだ。もう二度とオレにかかわるんじゃねえっ!」
絶縁状をたたきつけてやったってのにこの男はヘラヘラしてやがる。
「いやー、そうは言われてもここで会ったのも何かの縁だし。坊やはアリアーガの友達かい? ボクはダレス・マルシャーク。ルポライターだ」
オレには相手にされないとわかってターゲットをジョシュアに変えやがったな。
「フィルぅ」
「なんだ」
「ぼくはフィルのなに?」
なにときかれても・・・・・・ ホントのところオレたちの関係ってなんになるんだろうな。
「ええっと、その、なんだ。・・・・・・助手だ、助手っ!」
とりあえず仕事上ではそういう関係になってるからそれでいいや。
オレの答えを聞いたジョシュアは右手を差し出す。
「ジョシュア・ロイエリング、フィルの助手です」
「これはどうもごていねいに」
ダレスはにこやかに、礼儀正しいジョシュアの手を取った。
大方こんな華奢な体つきで運び屋の助手が務まるのか、とか考えてるんだぜ。
ヒトのよさそうな笑顔の裏で鋭い観察眼を働かせているのがダレスという男だ。油断はできない。こっちに知られたくない秘密があるときはなおのこと。
「おまえオレの話聞いてなかったのか。こいつは疫病神なんだよ。握手なんかしてんじゃねぇ!」
怒ったふりをしてダレスの気をそらそうとしてみたが、ヤツはニヤニヤしながら俺の顔をのぞきこんで来る。
「ずっと一匹狼で通してきたアリアーガにどんな心境の変化があったのかな。インタビューさせてもらいたいな。こんなかわいい子、どこでさらって来たんだい?」
「ひとを誘拐犯みたいに言うな!」
ダレスの言う通り、これまでオレに助手がいたことはない。運送屋としても、運び屋としても、いつもひとりで仕事を受けひとりでこなしてきた。
仲間がいれば報酬を支払わなくちゃならない=オレの取り分が減る。第一、仲間にしたいと思えるヤツに出会ったことはなかった。
そんなオレが、見るからに頼りなさそうな子供を助手にするのは変だと、ダレスでなくても考えることだろう。
もちろん、オレにはそうすべき理由がある。
ジョシュアには生きる術というか、世の中を渡っていくための知恵を教えてやらなきゃならない。そのために仕事を手伝わせているんだ。
それに、この助手は見かけとは大違いで最高に頼りになる。
そんな事情を知るはずもないダレスは好奇心全開でジョシュアを質問攻めにしている。
「坊やはどうやってこの金の亡者と知り合ったのかな。ちゃんと給料はもらってるかい?
まさか、だまされてただ働きしてるんじゃないだろうね。なんならおじさんがこの業突く張りと交渉してやろうか」
「そんなワケあるか! ジョシュア、こんなやつの戯言に耳を貸すんじゃないぞ」
助手の服をつかんで引き寄せ、油断ならないルポライターから引き離す。
余計なことをしゃべられては面倒なことになる。警戒心とか危機感とか、そういったものが欠落しているジョシュアは格好の餌食だ。
「別に取って食おうって言うんじゃないんだ。少しくらい付き合ってよ。確かに食べたいくらいにかわいいけどね。残念ながらそっちの趣味はないから安心していいよ」
セリフと矛盾する行動をとるダレスの胸にハンドガンを押し付ける。
「てめぇ、その手をどけやがれ」
低い声でうなるオレは鬼の形相をしてるはずだ。
「冗談だよ、冗談。そんなに怒らないでよ」
ダレスはジョシュアの腰にまわした手をどけるが、オレは銃口をねじ込んで威嚇する。
「今度やったら殺す」
「ハイハイ、わかりました。もうしません。ごめんなさい。おわびにおごらせてくれないかな」
ダレスはそばにあるカフェを指さした。ジョシュアのことをあれこれほじくられたくなかったら付き合えと言っているんだ。
「ジョシュア、喜べ。このおっさんがなんでも好きなもの食わせてくれるってよ」
オレのとなりでパフェをほおばっているジョシュアの前には、ケーキだのパイだのが所狭しと並んでいる。それらは全部ジョシュアが注文したものだ。
見ているだけでこっちの口の中まで甘くなってくる。
「さっきの騒ぎはキミたちかい?」
ダレスがコーヒーをすすりながらきいてきた。
「ただの銀行強盗だよ」
「なんだ、アリアーガ。ついに銀行の金にまで手を出したのか!」
ダレスの大きな声に店員が振り返る。
「バカっ! ジョシュアがその強盗を捕まえたんだよ」
「ほうほう。そいつはお手柄だったね。坊や、見かけによらず強いんだ」
ダレスはウインクを投げかけるがジョシュアは気付かない。次に取りかかったアップルパイに夢中だ。
つい余計なことをしゃべっちまった。ダレスは知りたい情報を相手から聞きだす話術に優れている。こいつのペースにのせられるな。
「あんたこそこんなところでなにしてるんだよ。こんななんもない島に特ダネなんか転がってないぜ」
「それがそうとも限らないんだよね」
ダレスはニヤリと笑いロイドメガネを指先で押し上げた。
「ドス・サントスがキナ臭い動きをしているんだ。このアリアーガでね」
「ドス・サントス・・・・・・」
オレはアリアーガに帰ってきた日のトムンセン港での出来事を思い出していた。
「元々は機械の部品を製造していた中堅どころの会社だったんだが、軍需産業で成長して大企業と呼ばれるまでになった死の商人だ。キミ、なにかうわさとか聞いてない?」
「ドス・サントスの連中になら会ったぜ」
「なんだって! いつ、どこで?!」
身を乗り出したダレスの問いには答えず、テーブルの上に手を出す。もちろん、手の平を上にして。
「おやおや。相変わらずがめついことだ」
「正当な報酬を要求してるだけだ。イヤなら他を当たればいい」
ダレスは溜息をついてオレの手に1000シリン札を1枚のせた。
「それっぽっちじゃ大したことは話せねえな」
手の平の札が1枚、また1枚増えていく。
「3000シリンの価値があるネタなんだろうね」
ダレスの不安にはこたえず、満面の笑みを作る。
「毎度あり♡」
今日2度目の臨時収入で上機嫌のオレは、喜んでトムンセン湾で見たドス・サントスのことを話して聞かせた。
「作業服姿の男たちがなんらかの機材を持ち込んでいたということか。アリアーガ、キミの見解は?」
「たぶん、なにかの調査に来たんだと思う」
「確かに、キミの話からするとそんな感じだな」
ダレスは腕組みして考え込む。
「問題は何の調査かってことだ」
「今さらなにを調べようってんだか」
オレにはさっぱりだ。この島には利用価値のなくなったヒエロニムスしかないってのに。
「わからないのかい。調べる価値のあるものがこの島にあるってことだよ」
「価値のあるものってなんだよ」
「さあ。」
「結局あんたにもなんにもわからないんじゃないか」
オレはあきれた。
「いや、そんなことはないよ。何を取材したらいいかがわかった」
ダレスは宝の地図を読み解く方法を教えてもらった子供のように、ロイドメガネの奥の瞳を輝かせていた。
ダレスと別れた後、スーパーマーケットで買い込んだ食材を積み込んでいると女たちが集まって来た。オレたちが来ているといううわさを聞き付けたらしい。
女のネットワークは脅威だな。
「フィル、ジョシュア、いつ帰って来たの?」
「もう、フィルったら、帰ってきたら真っ先にうちに顔出してっていつも言ってるのに!」
「今度はいつまでいられるの?」
「ジョシュア、今度こそデートしてよね。この前約束したでしょ」
まったく・・・・・・女っていうのはなんだってこうもにぎやかなんだ。徒党を組むと騒々しいくらいだ。
おっと。勘違いしないでくれよ。別に女がキライなワケじゃない。
ただ・・・・・・慣れてないだけだ。
女はたくましいものが大好きだ。オレのたくましい肉体が、と言いたいところだがフロークの女たちが好きなのはオレのたくましい経済力の方だ。
そのくせはかなげなものも好きなんだから矛盾してやがる。ジョシュアを見てると守ってやりたくなるんだと。あんな無口で無愛想なヤツのどこがいいんだか。
ん? なんか変だぞ。いつもなら女たちに交じってチビッ子もオレたちを取り囲んでるのに、今日はまったくチビを見かけない。
オレたちに付きまとって質問攻めにして来る5歳のハリーの姿もない。
「アンナ、おまえんとこの知りたがり屋はどうした?」
オレはかたわらの少女にたずねた。アンナはハリーの姉だ。
「あの子、かぜをひいて寝込んでるの」
アンナは顔を曇らせる。他の女たちもそろって不安げな表情を浮かべてる。
「悪いかぜが流行っているみたいなんだよね。小さい子はみんなベッドの上だよ」
オレとジョシュアは顔を見合わせた。実はホームの子供たちも“カゼ”をひいていたのだ。全員が同時に寝込んでしまうなんてことははじめてだった。
今日の買い物はそのためで薬や看病に必要なものを買いにきたところなのだ。
胸騒ぎがする―――
ホームに着くと医者のエルンストが来ていた。シスターアナとなにやら深刻な話の最中だ。買い込んだ荷物を両手に抱えたまま声をかける。
「どうかしたのか?」
「ふたりともご苦労様」
シスターは優しく微笑んでるが表情は暗い。
「シェリーの容体がよくないんだ。ただの風邪ではないかもしれない」
エルンストの言葉に悪い予感が的中したことを知った。
「やっぱりそうか。フロークでも子供はみんな“カゼ”で寝込んでたぜ」
「なに! それは本当かい」
エルンストは腰を浮かした。
「これは益々ただ事じゃないな。すぐに血液サンプルをツァーベル病院に送ろう」
ツァーベル病院はアリアーガでいちばん大きな病院だ。
セキではじまったカゼの症状は次の段階へと進んでいた。シェリーは激しいセキに加えて発熱していたのだ。高い熱に浮かされ赤い顔をしている。
付きっきりで看病しているモニカが噴き出る汗を小まめに拭いてやっていた。
23人の子供たちの中でいちばん症状が重いのはシェリーだ。そして、いちばん最初に“カゼ”をひいたのもシェリーだった。
子供たちの笑い声が消えたダイニングルームの中を、オレは腕組して行ったり来たりしている。海賊がファビウスⅡ世号を襲撃してきたときのことを考えていた。
どうも引っかかる。連中の狙いはやっぱりシェリーだったんじゃないのか。
だが、なぜだ。なぜあんな子供を狙ったりする?
そこに重大な秘密が隠されているような気がする。
「ジョシュア、出かけるぞ」
取るものもとりあえず外に飛び出した。確かめるまでもなく、オレの考えがまとまるのを待っていたジョシュアが付いて来る。
目的地も定まらぬままファビウスⅡ世号に乗り込んだオレたちは、運び屋のネットワークを駆使して情報収集に努めた。
なぁに、欲しい情報を手に入れるのにたいして時間はかからなかったさ。
海賊船団にファビウスⅡ世号の襲撃を依頼したのは、今は落ち目の製薬会社“ピュッセール”であることを突き止めた。
そのピュッセールの研究所がトスカネリにある。そして、シェリーがファビウスⅡ世号に忍び込んだのもトスカネリだ。
行先は決まった。
「目的地はトスカネリだ」