5-4
セヴィニエの町に着くと、ルシオンをおぶってトレーラーを降りた。ゴージャスなキャンピングトレーラーはでかすぎて、町中の狭い道には入れなかったんだ。
でかけりゃいいってもんじゃないだろ。
「あんたには色んな意味で世話になったな。もう二度と会うことがないよう祈ってるぜ」
オレの皮肉にヘットガー中尉が笑みを浮かべる。
「こちらこそ世話になりました。本当にありがとう」
心のこもった言葉はなんだか照れ臭い。オレはフンと鼻をならした。
「訓練生たちには緘口令を敷きました。約束は守られるでしょう」
「ああ、そうしてくれ」
中尉は次にルシオンの背に手を当てる。
「ずいぶんと辛い思いをさせてすみませんでした。恨むなら私を恨んでください。ですが、母親を恨んではいけません」
背中のルシオンが身体を震わせた。
「母親を恨んだりしたら君が辛くなるだけです。いつかきっと理解し合えるときは来るでしょう。信じることです」
「中尉、あんた・・・・・・」
オレは驚いて中尉を見やる。ルシオンの母親のことはひと言も話してはいない。
なのに、どこまで知ってやがる?
「はやく元気になってください」
当たり前の励ましのようだが。
「あんたがそれを言うか」
ルシオンにまだ治らないくらいの大ケガをさせたのは他の誰でもない、このおっさんだ。
「それもそうですね」
中尉は苦笑した。
「ぼくは・・・・・・」
耳の後ろで声がした。ためらいがちなルシオンの声。。
「母さまをうらんだりはしていません。ただ・・・・・・悲しかっただけです」
「そうですか。いつか君の気持ちをわかってもらえたらいいですね」
「・・・・・・はい」
自信なさそうな、か細い声だった。
オレはヘットガー中尉の後に立っているアンジェリカに目を向ける。
だいぶ回復したとは言え、重症であることに変わりはないルシオンに付きそってここまで来てくれたのだ。トレーラーの中ではできる限りの手当をしてくれた。
「あんたがこいつを助けてくれるとは意外だったよ。けど、礼は言わないからな」
瀕死のルシオンを見て手遅れだとさじを投げた医者に思い直させてくれたのも、治癒が使える訓練生に声をかけてくれたのもアンジェリカだった。
ルシオンを憎んでいる女が、積極的に相棒を救ってくれたのは晴天の霹靂ってヤツだった。
「わたしは看護師としての責任を果たしただけよ」
アンジェリカの声は淡々としている。
「もうあんたとも会うことはないんだろうな」
アンジェリカはいい女だ。冷酷なところさえなければ。まあ、それも死んだ恋人への愛情が深かったからなんだろうけど。
「また会うことになるわよ。これからは時々ホームに寄らせてもらうから」
「へ?」
オレは思いもよらない展開にマヌケな声を出しちまった。
「トーマスを殺したその子がなにをなすのか、見届ける権利がわたしにはあるもの」
なるほど、そういうことか。アンジェリカはまだルシオンを許しちゃいないんだ。
だったらなんだって命を救ったりした? 許したいと思いながらも許せないでいるのか? もしかすると、許せると思える材料を探しているのかもしれない。
「そういうことなら歓迎するぜ。ただし手土産は忘れないでくれよ。子供たちは22人だ」
「え?」
今度はアンジェリカがマヌケな顔をする番だった。ホームがどういうところなのか考えてなかったらしい。
「こいつには甘いものな。甘いものならなんでもOKだ」
オレは背中のルシオンをあごで指して言葉を付け足した。
「フィル、ぼくはいいよ」
ルシオンは小声でオレの耳にささやいた。
「遠慮するこたぁない。こういうのはねだったもん勝ちだ」
「ええ、わかったわ」
アンジェリカは半分あきれながらもオレのペースに乗ってくれた。
「ほろ見ろ。言ってみるもんだろ」
「ん。」
オレの背中から、アンジェリカの様子を盗み見る形になっているルシオンの顔は見えないが喜んでいるはずだ。
なんだか妙なことになってきた。でもま、チビどもが喜ぶなら別にいいか。オレもヤなワケじゃないしな。
「ここがセヴィニエか。ずいぶんと寂れたところだな」
あ。忘れてた。こいつもいたんだった。
乗馬服のふたりを引き連れたセイスタリアスがキャンピングトレーラーから降りて来た。
「再開発の必要があるな」
いっぱしの実業家気取りだ。
「そんな必要はない。セヴィニエは古い歴史のある町なんだ。この古さが財産なのさ。なんでもかんでも新しくすりゃいいってもんじゃないんだぜ。お坊ちゃん」
「これだから素人は」
こいつ、鼻で笑いやがった!
「なにも全部作りかえようと言うのではない。歴史的価値のあるものは残して、価値のないものだけを価値のあるものへと作りかえるんだ」
ピンと伸ばした右手で石畳の道を指さす。
「まずは道を広げる。僕のキャンピングトレーラーが通れるようにね」
今度はオレが鼻で笑ってやる。
「おまえバカか」
「失敬な!! このセイスタリアス・コングラートをバカ呼ばわりするか!」
こいつマジでバカなのか?
「あのな。そんなでかいトレーラーが通れるような道にするんなら、町ごと作りかえるしかないんだよ。セヴィニエの道は網目状に町中を走ってるんだから」
「あ。」
お坊ちゃまのマヌケな顔!
だが、それもほんの一瞬ですぐに元の偉そうな顔に戻っていた。
「早合点しないでくれたまえ。これはたくさんあるプランのうちのひとつにすぎないのだよ。この僕がしっかりと調査した上で最高のプランを提供してやろう」
相変わらずの上から目線だな。
「だから、そんな必要はないって言ってんだよ! おまえホンモノのバカだろ?」
「二度もこの僕をバカ呼ばわりしたな! バカと言うほうがバカなんだぞ。キミはそんなことも知らないのか」
冷静なふりをしてはいるが、セイスタリアスの顔は真っ赤だ。
「はいはい。どうせオレはバカですよ。だけど、おまえほどじゃない」
ゆでだこみたいなお坊ちゃまはくちびるを震わせながら乗馬服に目を向ける。
「僕の名誉が汚されているんだぞ。おまえたちもなんとか言ったらどうなんだ」
乗馬服のふたりは顔を見合わせる。
「セイスタリアス様ならご自身の名誉はご自身で守れるものと信じております」
オレはルシオンをおぶってホームへの道を歩いている。
「フィルぅ」
「なんだ?」
「ねむい」
コーマリカバリーの効果が切れて、昏睡状態だったルシオンが目を覚ましたのは昨日のことだ。まだ強烈な眠気は抜けきっていないらしい。
「いいぞ、寝てろ。ちゃんとホームに連れて帰ってやるから」
「ん。」
熱があるルシオンの身体はあたたかい。
「フィルぅ」
「なんだ?」
「フィルの背中、あったかい」
「・・・・・・そうか」
相棒もまたオレのあたたかさを感じているのか。
ここ数日間の出来事を思い返しながらゆっくり歩いていると、ホームに続く道の先から走って来る者がいる。傾きかけた太陽の光を背にしているから顔がわからない。
近くまで来て立ち止ったところで誰なのかを知った。
「レイチェル! どうしてここに」
オレたちが帰って来るということはホームの誰も知らないはずだ。
振り返るとトレーラーの前で見送っていたヘットガー中尉が右手の親指を立てる。
なるほど。そういうことか。中尉がレイチェルに知らせておいたんだな。
◇◇◇◇
レイチェルがヘットガー中尉からの知らせを受けたのは数時間前のことだ。ルシオンが帰って来ると聞いても素直には喜べず戸惑うばかりだった。
ルシオンとマルティと3人で生きることはできない。自分はマルティのそばにいるべきだという結論を出したのだ。だから、ルシオンを遠ざけようとした。
それなのに帰って来てしまう。
けれども、あの時。言葉を交わすこともないままアビュースタ軍に連れ去られる息子に、もう二度と会うことはないのかもしれないと思ったとき。
身体の一部をもぎ取られるような痛みを感じたのも事実だ。
自分はルシオンを拒否したのだ。母親であることをやめたのだ。会うべきではない。
そう言い聞かせてみても会いたい気持ちはどんどん強くなるばかりで、抑えることなどできはしなかった。
どうにもならない気持ちを持て余したレイチェルは聖堂に駆け込み祈りを捧げていた。
今すぐにホームを飛び出し迎えに行きたい。少しでも早く会いたい。それが今の自分の正直な気持ちなのだと認めるしかなかった。
ただひたすらにレイチェルは祈り続ける。かき乱される心を鎮めようと。突き上げる激情を押さえこもうと。
だが、様々な想いが入り乱れる心の内は一向に鎮まりそうになかった。
ホームに身を寄せるすべての人々の母であるシスターアナは、フィヨドルとルシオンがマッカラーズ基地に連行されてからのレイチェルの様子に心を痛めていた。
気丈なレイチェルは子供たちの前では微笑みを絶やさず、マルティから心を離さないように最大限の努力を払っている。
そんな彼女がふとした瞬間に見せる横顔にはいつも悲壮感が漂っていた。
「レイチェル」
シスターはレイチェルの背中に声をかけた。だが、一心に祈り続けている彼女の耳には入っていない。レイチェルに歩み寄りその背中をそっと抱きしめる。
「・・・・・・シスター?」
驚いたレイチェルはやっと老女の存在に気付き祈りを中断した。
「もういいのです。神は信心深いあなたが悩み苦しむことなど望んではいらっしゃらない」
シスターはレイチェルのとなりに膝をつき語りかける。
「ロマーノ教が殺生を禁じているのは、すべての生きものは神がおつくりになったものだからです。ルシオンもまた神の子なのですよ。神はあなたの息子も平等に愛してくださっています。
以前、ルシオンにきかれたことがあります。“神様はぼくに何をして欲しいのか”と。
そのときわたしは、“自分の心に正直に生きなさい。そうすればあなたの行いは神の御心に叶うはずです”と答えました。
今、あなたにもこの言葉を贈ります。あなたはあなたが真に望むことをすればいいのです。それこそが神があなたに望んでいることなのですから」
レイチェルのほほを熱い雫がつたって落ちた。複雑に絡みもつれていた心の糸がほどけおおい隠されていた一本の道が目の前にまっすぐ伸びている。
レイチェルは幾重にも閉じ込めていた心の扉を開け放ち、聖堂を飛び出した。