5-3
なんとかつなぎとめた小さな命。
訓練生たちの協力がなけりゃ危なかった。連中がルシオンのために動いてくれたこと自体、奇跡のようなもんだ。訓練生たちはルシオンを憎んでいたはずなんだから。
まったく! 全員にキスしてまわりてえよ。
ニーナの治癒で表面上の傷はふさがった。だが、つぶされた身体の中がどの程度治っているのかわからない。
ヘットガー中尉のボリュックに貫かれてできた大穴は、とても治しきれるものじゃなかったし、流れ出た大量の血液も補われちゃいない。
それでも、ルシオンの表情は明るい。
オレは改めて相棒の姿をながめた。血だらけの服は元々こんな色だったとしか思えないほど真っ赤に染め上げられている。一体どれだけの血を流したのだろう。
青白い顔はひどくやつれている。一体どれだけの苦痛を味わったのだろう。
血で汚れた口元を拭いてやりながらついうらみ言がこぼれちまう。
「この島にレアメタルなんかいらない。そんなもんがなけりゃおまえだってこんな目にあわずにすんだんだ」
涙がにじんできた自分の顔もついでにぬぐって、ひとまわりもふたまわりも小さくなっちまった身体を助け起こす。
「おぶされ。帰るぞ」
しゃがんで背中を向けるがルシオンは身体をあずけてはこない。
「フィル。雪はとけて水になるんだよね」
「はあ? なに当たり前のこと言ってんだ」
あきれて振り返るとルシオンは採掘場を見まわしている。上手い悪戯を考え付いたときの子供みてえな顔をして。
「ちょっとだけまっていてくれる? すっごくいいことを思いついたんだ。きっとうまくできると思うから」
やっぱり、なにかたくらんでやがるな。
「バカ! おまえ、自分の状況がわかってんのか?」
うろたえるオレとは裏腹に、ルシオンは楽しそうに目を輝かせている。はいはい。わかりましたよ。
「無茶はするなよ」
あえてなにをしようとしているのかきかなかった。きっと“やめておけ”と言いたくなるようなことに決まってるんだ。そして、オレにはそれを止められない。
ルシオンは自分からなにかをしようとすることはめったにない。その代り、こうしようと決めたことは絶対に譲らないんだ。
「うん。わかってる」
ふん。なにがわかってるだ。悪戯がうまくいったときのことしか考えてないくせに。
ルシオンは音もなくふわりと浮き上がり空を昇っていく。止まったところは首が痛くなるくらいはるか上空だった。なにをしでかすつもりなんだか。
「どうしたんだ?」
「何をしているの?」
訓練生たちも首をほとんど直角にして空を見上げてる。
小さく見えるルシオンの全身から、陽炎のようにゆらゆらと揺らめく光が立ち昇りはじめた。一瞬ごとに色を変えながら虹色に揺れ動いている。
妖しい光は輝きを増しながら地表まで下りて来ると今度は周囲に広がりはじめる。
採掘場を光で満たし、となりのハゲ山も飲み込んでさらにその先の山まで。それでも止まることなくどこまでもどこまでも広がり続け、光の先端がどこまで届いているのかわからなくなった。
どいつもこいつもほうけた顔をして、光の演舞に見とれている。
オレの頭の中では、讃美歌第199番の荘厳で伸びやかなメロディが響いてる。
虹色の光に満たされた空間に浮かぶルシオンが両腕を広げると、光の粒子一粒ひとつぶがいっせいに弾けた!!! まぶしすぎて目を開けちゃいられない。
閉じたまぶたを薄く開いてルシオンの姿を探す。手をかざして上空を見上げたオレは息をのんだ。
純白に輝く光の翼を広げたあの姿は・・・・・・
ああ、これこそ神の御使いの名にふさわしい。
神々しい天使の姿を声もなく見つめる地上の人々の上に、銀砂のような光の粒子が舞い降りる。
夢のようにはかなく・・・・・・
幻のように静かに・・・・・・
きらきらときらめきながら・・・・・・
ふと我に返ったのは翼を失ったルシオンが落ちるのを見たからだ。力を使い果たし浮かんでいられなくなったらしい。頭から真っ逆さまに落ちて来る。
ルシオンを受け止めたのはヘットガー中尉だった。かけ寄って中尉の腕の中をのぞくと青い顔をしてぐったりしている。
「おまえってやつは!!! 無茶するなって言っただろうが! どうせオレの言うことなんか、まったく、全然、これっぽっちも、きく気はないんだろ!」
怒りをぶちまけているうちに段々エスカレートしてきてどうにも納まらなくなってきた。
「一発殴らせろ!」
するとヘットガー中尉が
「もう殴ってますよ」
ルシオンは頭を押さえて涙目になっている。
「許してやりなさい」
ヘットガー中尉に免じて今日のところはこの辺にしといてやるよ。
「それにしてもさっきのあの光はなんだったんだ?」
ルシオンは答えずにんまりと笑った。仕掛けたワナに誰かがはまるのをわくわくしながら待ってるみてえな目をして。
「トレーラーに戻りましょう」
ルシオンを抱いたまま歩き出すヘットガー中尉の後を追う。
なんだか歩きにくくて足元を見ると、乾いて砂状だったはずの採掘場の地面がドロドロになっていた。
地中の奥深くから地響きが聞こえている。腹の底に響くような重低音はまるでアリアーガ島が唸り声をあげてるようだ。
異変に気付いた訓練生たちも不安げにあたりを見まわしている。
オレはルシオンの青緑の瞳をのぞき込んで問い詰める。
「おまえ、なにをした?」
「教えてあげなッ!」
言い終わらないうちに頭を押さえているのはオレに殴られたからだ。
ちっとも学習しないヤツだ。
救護車にたどり着き振り返ったときには採掘場の景色は一変していた。一体どこからこれだけの水が湧いて出たのか、あたりはすっかり水浸しだ。
どういうわけか、採掘場のあちこちに積み上げられていたプロクルステスとヒエロニムスは跡形もなく消えている。
それにさっきまでとは鉱山の形が違ってる。明らかに低くなっているのだ。
一体どうなってやがる?
◇◇◇◇
時を同じくしてアリアーガ島にあるすべての鉱山で同じことが起きていた。そして、鉱山でない場所でも、いたる所で地中から水が湧き出るという現象が起きていた。
まとまった雨が降ることのないこの島では、未だかつて誰も目にしたことのない光景だった。
超聴力を持つヘットガー中尉には地中深くに流れる水の音が聞こえていた。カラカラに乾いたアリアーガ島の大地に水脈が出現していたのだ。
中尉からの感応でそのことを知ったリアンクール少佐は、考えあぐねていたことの答えにたどり着き思わず大声で叫ぶ。
「まさか! プロクルステスとヒエロニムスを水に変えたの?」
まだ、半信半疑だがそうとしか考えられない。ではなぜ、ルシオンは、こんなことをしたのだろう。その答えはもう知っているような気がした。
もし、プロクルステスとその原料となるヒエロニムスがこのまま残されていたなら、いずれまた、ドス・サントスかあるいは他の誰かが、新しい大量破壊兵器を作るための材料を求めてやって来ることだろう。
その度にそれらのレアメタルを渡さないように守り続けることには限界がある。いつかは誰かの手に渡り、多くの犠牲者を生むための兵器が作られてしまう。
そして、アリアーガではレアメタル争奪戦が起き、誰も住めない島になってしまうかもしれない。
だが、その肝心のレアメタルが消滅したのだ。少なくとも、ここアリアーガ島でレアメタルをめぐる戦いが起きることはなくなった。未来永劫に。
「水に変える。そんなことが可能なのですか!?」
ヘットガー中尉は信じられないという顔をしている。
「ルシオンくんに初めて会ったときのことを思い出してみて。何もない空中から武器を取り出していたわ」
「レアメタルを原子分解して、別の原子と結合させることで水に変えたというのですか?」
「詳しいことは私にもわからないけれど、簡単に言うとそういうことなんじゃないかしら」
ヘットガー中尉には容易には納得できない。だが、目の前の光景はそれこそが真実なのだと訴えている。
「リアンクール少佐。あの子は一体何者なんですか?」
少佐たちの会話を横で聞いていた訓練生のひとりが動揺を隠しきれない顔で尋ねた。
「特殊能力にそんな力があるなんて聞いたことがありません!」
「そうね。私も教えたことはないわ」
訓練生は少し考えて言葉を続ける。
「もしもの話ですけど。ケガがなければあの子ひとりでも採掘場の奪取は可能だったんじゃないでしょうか?」
「恐らく、そうでしょうね」
訓練生たちはざわめいた。
「少佐はあの子が何者なのか知っているのですか?」
「ええ、たった今確信したわ」
リアンクール少佐は核心に近づきつつあった推測についに確証を得たのだった。こんなことのできる特殊能力者は世界にたったひとりしかいない。
クリュフォウ・ギガロック
セイラガムと呼ばれる男
ルシオン少年こそが謎に包まれた黒い死神の正体だったのだ。
7年間の空白の後、復活したギガロックが表舞台から姿を消したのは1年ほど前のことだ。その間どうしていたかはキャシュトニーナ・レインに聞いた話から想像はつく。
プリズナートと行動を共にし、フォート・マリオッシュを守っていたのだ。リトギルカを裏切り反逆者となって。
恐らくリトギルカ軍は血眼になって彼の行方を追っていることだろう。驚異の力を見せつけられたアビュースタ軍も放ってはおかないはずだ。
フィヨドル・キャニングはそんな彼をかくまっている。このアリアーガ島なら隠れるのにはうってつけだ。
それにしても、反逆罪はアビュースタ軍でもリトギルカ軍でも重罪だ。極刑は免れない。一体何があってそんな大胆な行動をとったのか。本人に直接きいてみたいものだ。
「誰なんですか?」
訓練生は探るような視線で少佐の横顔を見るが、彼女は何も答えない。答えられないのだ。
少年たちとの約束がある。採掘場奪取に協力してくれたら自由にする、詮索はしないと約束したのだ。
重症の身体で必死に戦ってくれた。訓練生たちの命を身を呈して守ってくれた。
そして、戦いの火種であったレアメタルを消し去ってくれた。そんな彼を裏切ることなどできるはずがない。
リアンクール少佐は走り去るトレーラーに向かって姿勢を正し敬礼をした。訓練生たちも少佐に習い一列に並んで敬礼をする。
彼らの記憶と心に強く焼き付いた銀色の髪の少年の姿は一生消えることはないだろう。
光の翼をまとった天使の姿は―――