5-2
「センセイ、早く!」
訓練生たちが医者と看護師を連れて戻って来た。
息を切らしながら汗をぬぐった老いぼれ医者は、オレの腕の中で死にかけているルシオンを見て首を振りやがる。
「残念だが手のほどこしようがないわい」
訓練生たちから溜息とも、うめきともつかない声がもれた。
「患者が生きている限りあきらめてはならん、じゃないんですか? センセイ」
あたりに充満したあきらめの空気を吹き飛ばすような大きな声だった。その声の主は意外なことに看護師のアンジェリカだ。
「それはそうじゃが。こいつはどんな名医でも無理じゃろうて。ましてやワシはおいぼれのヤブじゃぞい」
「あら? 自分がヤブだと認めるんですね」
「認めるもなにも、そうでもなけりゃこんな島にとばされはせんて」
ぶつぶつと文句を言いながらも治療をはじめた医者の横で、看護師は輸血の準備をしている。
アンジェリカは恋人の命を奪ったルシオンを殺したいほど憎んでいた。実際に首を絞めて殺そうとした。
そもそも、ルシオンにコーマリカバリーを使ったのはあんたじゃないか! そんな女が、なんで今さら、恋人の仇を救おうとするんだよ。
イアソンの採掘場全部を奪取したからには、もうルシオンの力は必要ないはずだ。
棺桶に収まってあとはふたをするだけ、てな状態なんだ。放っておけば望み通り勝手に死んでくれるのに。
オレの疑問をよそに、アンジェリカはオレの腕からルシオンをさらい地面に広げたマットの上に寝かせた。細い腕に注射針を刺して輸血をはじめる。
同時に医者は止血にとりかかるが出血しているところが多すぎてとても手が足りない。
「誰かここを押さえておいてくれ」
医者の呼びかけで手を差し伸べたのは意外にも訓練生のひとりだった。
「こっちも頼む」
次に手を差し伸べてくれたのもやっぱり訓練生だ。何気なく顔を上げて驚ろいた。
「おまえら・・・・・・なんで・・・・・・」
周囲を幾重にも取り囲む訓練生たちは、どいつもこいつも心配そうなツラをしていた。
「助けてもらったから」
「ムカデが自爆したとき、シールドを張ってくれたのはこの子なんだろう?」
「わたしたちを守るために力を使い切ってしまったから、肝心なときに力が使えなかったんだよ」
訓練生たちは命を救われたことに恩を感じてるらしい。
ルシオン。オレは、おまえに感謝なんかしないからな。
あのとき、オレのことなんかほっといて、さっさと逃げればよかったんだ。そうすりゃこんなにひどいことになったりはしなかったんだ。。
「いかん、体温が下がっとる。温めてやらんと」
「それなら僕にまかせてください」
医者のひとり言にもすぐにこたえる声があった。
訓練生のひとりが進み出て手の平をルシオンに向けると、赤味を帯びた光が小さな身体を包み込んだ。熱を出しているらしくほんわりとあたりがあたたかくなってくる。
「センセイ、傷口を焼いて止血したらどうですか」
なかなか出血を止められずにいることにやきもきした様子の訓練生が口をはさんだ。
「馬鹿言え。体中傷だらけじゃ。そんなことをしたら全身火傷で死んでしまうわ」
「じゃあどうするんだよ。このままじゃ・・・・・・」
ルシオンの肌の色はもはや生きている者のそれじゃなかった。あえぐような呼吸の合間にせき込んでは血のかたまりを吐き出している。
いくらカンフル剤を注射しても次第に鼓動が弱まっていくのをくい止められない。命がつきるその瞬間まで苦しみ続けるのを、ただ見ているしかねえのかよ。
「・・・誰か・・・・・・治癒を使えるやつはいないのか」
オレはよろよろと立ち上がって訓練生たちを見まわした。ひん死のルシオンを救う方法はこれしかない。
「頼む。・・・・・・助けてやってくれ。こいつはまだ10歳になったばっかりなんだ」
必死に呼びかけるが訓練生たちはみんな目をそらしちまう。
「あんたらミュウディアンの卵なんだろ。誰かひとりくらいいないのかよ!」
沈黙がオレの心を絶望の底へと引きずり込んで行く。
わかってるさ。ヒーリングは特殊能力者なら誰でも使えるワケじゃないってことは。ルシオンは特別なんだ。だったら自分の傷も治せりゃよかったんだ!!!
「・・・・・・帰ったら・・・バースディパーティをやりなおすんだ。今度こそ・・・ちゃんと祝ってやろうって・・・・・・
自分の誕生日を忘れてたなんて・・・・・・寂しすぎるだろ。“おめでとう”を言ってくれるヤツつすらいなかったんだってさ。
・・・だから・・・・・・これからは毎年オレが一緒に祝ってやるって決めてたのに、・・・・・・まだ一度も・・・実現してない・・・・・・」
訓練生たちはくちびるをかんでうつむいている。ここにヒーリングを使えるヤツはいない。いないんだ。全身から力が抜けていく。。オレは人目もはばからずに、泣いた。
「まだよ。まだ、あきらめるのは早い。そうでしょう、ニーナ」
アンジェリカの声がした。救世主の声を聞いたような気がした。
顔を上げアンジェリカの視線の先に目をやると、訓練生たちの輪のいちばん外側に気弱そうな女が立っていた。
女はオドオドと後ずさっていく。
「無理よ。アンジェだって知ってるでしょ。こんな重症のひとを治すなんて、わたしにはできない」
目に涙を浮かべて訴える姿はとてもそうは見えないが、その女も他の連中と同じユニフォームを着ている。つまり訓練生だ。
「それでも、ニーナ。あなたしかいないの」
アンジェリカの言葉にニーナという女は青ざめた顔で立ちつくしている。
その女にどんな事情があるのか知らない。だが、ほんのわずかでもルシオンを救える可能性が残っているのなら悪魔にだってすがりついてやる。
「あんた、ヒーリングが使えるのか。だったら頼むよ。こいつを助けてくれ!」
けれどもニーナは弱々しく首を振る。
「だから無理なんです。ヒーリングがあるというだけで全然たいしたことないんです。きっと、何もしないのと変わらない」
ニーナは泣いている。
「だけどあんたにはできることがある。そうなんだろ。それをしないのは見捨てたのと同じことだ。あんたはこんな子供を見殺しにするのか!
オレにはなにもできない。それがすごく悔しい。どんな結果になっても決してあんたを責めたりはしない。だから、だから、力を貸してくれっ!!」
オレはニーナの気持ちを変えさせようと必死だった。
「なんとかなるかもしれない」
そう言って立ち上がったのはリアンクール少佐だった。少佐は訓練生たちを見まわして語りかける。
「みんな聞いて。ニーナの力はとても弱い。でも、確かにヒーリングを持っている。
だから、みんなの力をニーナに貸してあげるの。そうすれば彼女のヒーリングを底上げすることができるはずよ。
グールトンとの戦闘で消耗していると思うから協力できる者だけでかまわないわ。力を貸してちょうだい」
少佐の言葉を聞いた訓練生たちはお互いの顔を見合わせている。少佐は連中の返事を待つことなくニーナの肩に手をのせた。
「さあ、ニーナ。始めましょう。私が力を貸すわ」
「確かに。このまま死なれては寝ざめが悪いですね」
もう片方の肩に手を置いたのはヘットガー中尉だった。
ふたりに後押しされたニーナは涙をぬぐって顔を上げる。
「・・・・・・はい」
ルシオンのそばにひざを着いたニーナはつばを飲み込んだ。
ムリもない。
女の前に横たわる少年は全身を押しつぶされて血まみれだ。ニーナは震える両手をルシオンの胸の傷にかざしてささやきかける。
「わたし、がんばってみるから、あなたも・・・・・・」
「そうだ、がんばれ!」
「わたしたちが付いてるよ」
「あきらめるな!」
「まだ、助けてもらったお礼も言ってない」
「だから、がんばれ!!」
リアンクール少佐とヘットガー中尉を起点に大きな輪ができていた。その中心にニーナが、ルシオンがいる。
手をつなぎ合った訓練生たちからニーナへと、流れていく生体エネルギーがオレにも見えた。
訓練生たちはみんなグールトンと戦って疲れ切ってる。それでも、力を振り絞って分け与えてくれてるんだ。ルシオンのために。
ニーナの手に生まれたオレンジ色の光が輝きを増していった。止血しきれずにいた傷口が光を浴びて少しずつふさがっていく。訓練生たちから歓声があがる。
「いいぞ、ニーナ!」
傷が治るとニーナはひたいの汗を拭った。乱れた呼吸を整えてもう一度、別の傷に手の平をかざす。
不安定に明るくなったり暗くなったりを繰り返していた光が、みんなのバースに支えられて再び安定してくる。
そうやってひとつひとつ傷を治していくニーナの顔は喜びに輝いていた。もう、さっきまでのおどおどした頼りなさはどこにもない。自信に満ちたミュウディアンの顔だ。
「もう少し、もう少し! みんな、力を貸して!!」
その声は力強いものに変わっていた。
訓練生たちはニーナの呼びかけにこたえようと最後の力を振り絞る。増大していくバースとニーナの心の高揚に呼応してオレンジ色の光は輝きを増していく。
熱く、まぶしく。
「がんばれ!」
「がんばれ!!」
「がんばれ!!!」
訓練生たちの声が採掘場の中に反響していた。
「おまえら・・・・・・」
オレはただ驚いて見守るだけだ。
オレンジ色の光とみんなの声に包まれたルシオンの、死人のようだった顔に生気が戻ってきた。出血はもう止まっている。
それまでピクリとも動かなかった身体が身じろぎしてゆっくりとまぶたが開かれていく。青緑の瞳には涙で汚れたオレの顔が映っていた。
「やった―――!!」
訓練生たちの歓声が響き渡った。
「よくがんばったな!」
「ニーナ、すごいよ!!」
訓練生たちは口ぐちにルシオンとニーナを讃えるが、怒声にも聞こえる大音量の叫び声にルシオンはすっかりおびえてる。
しょうがないヤツだな。
助けを求めるような目でオレを見上げてるから笑って見せる。
「何か聞こえなかったか?」
『・・・声が・・・聞こえた・・・・・・』
頭の中で聞こえたルシオンの声はとても小さい。
「なんて言ってた?」
『・・・・・・がんばれって・・・・・・ ・・・あれは・・・・・・フィル?』
「声はひとつだったか?」
ルシオンの青緑の瞳が揺れる。
『・・・・・・たくさん・・・聞こえた・・・・・・』
『持ち直したのね。良かった!』
ルシオンじゃない、別の誰かの声。
『あんまり無茶するなよ。赤毛が心配してたぜ』
『10歳になったんだってな。おめでとう』
訓練生たちだ。
『おめでとう!』
『ハッピーバースデー!!』
『10歳おめでとう!』
『おめでとう!!!』
『これからは毎年、たくさんおめでとうって言ってもらえよ』
ルシオンの目に透き通った涙があふれ静かにこぼれ落ちる。
声には出せないミュウディアンたちの本当の気持ちが、すり切れていたルシオンの心のすき間を埋めてくれたんだ。
へっ! 軍人のくせに味なマネしやがる。
『フィルぅ』
オレの名を呼ぶ相棒の声は小さいがハッキリしていた。
「なんだ?」
『どうして自分の傷はなおせないのかわかった』
「ほう」
『だれかになおしてもらったほうが元気になれるからなんだ』
どんなに汚れていても、どんなにやつれていても、穏やかに微笑むルシオンの顔は、天使だ。
「・・・・・・そうか。そうだな。きっとそうだ」
理屈なんか知らない。このときは本気でそう思った。