4-2
壁際のイスに腰かけて足を組んでいるのは、リアンクール少佐がよこした護衛だ。
「フィルぅ」
護衛の方をチラ見したルシオンが情けない声でささやいた。言いたいことはわかっちゃいるが。
「なんだ?」
「どうしよう」
「・・・・・・」
どうしようと言われても、、どうしよう?
「気にするな。気にするから気になるんだ。気にしなければ気にはならない」
「そんなのむり」
だよな。かと言って他に手があるか?
「いいから、おまえはあっち向いて寝てろ」
小声で話していても護衛にはしっかり聞こえているらしい。忍び笑いが聞こえてくる。
少佐が護衛に付けてくれたのはヘットガー中尉だった。副官だから信頼してるっていうのはわかるが、ルシオンの身体に風穴を開けた張本人だぞ。
気まずいったらありゃしねえ。視線は気になるしなにを話したらいいかもわからない。病室に緊張感を漂わせてどうすんだ!
そんな時、オレに面会したいというヤツが来ていると連絡があった。救いの手を差しのべられたような気分だ。
「行っちゃうの?」
ルシオンのすがるような目に後ろ髪を引かれるが、許せ。
「すぐに戻るよ」
オレはそそくさと病室を出た。
◇◇◇◇
ルシオンとヘットガー中尉だけになった室内は沈黙に支配されていた。少年は中尉に背を向け頭まで毛布にくるまっている。
(気にしちゃダメだ、気にしちゃダメだ・・・・・・)
いくら自分に言い聞かせても、背後に全神経が集中してしまう。不意に聞きなれない音が聞こえてきた時にはびっくりした。ノスタルジックな音は楽しげなメロディを奏でている。
(なんの音??)
好奇心を抑えきれなくなってそっと寝返りを打ち、毛布を少しだけ持ち上げる。
隙間から中尉が銀色に光る小さな箱のようなものを唇に当てているのが見えた。右に左に動かしながら吹いたり吸ったりしている。
曲が終わるとヘットガー中尉は唇からはずした楽器をしばらく見つめていた。そして、思い出に浸るようにゆっくりと口を開く。
「このハーモニカはトーマスという訓練生の持ち物でした。陽気な男で元気のない者がいるとこれを吹いて励ましていました。
でさが、もうトーマスのハーモニカを聞くことはできません。首を切り落とされて死んでしまいました」
中尉は思った。少年が何も言わないのは、自分がしたことを後悔しているからなのだろうと。けれども、ルシオンには言うべき言葉がないだけだった。
戦いの中で人が死ぬのは当然のことであり、攻撃態勢を取ることは死を覚悟することだ。
先日の戦いでは相手が死に自分が生き残った。ただそれだけのことであり、その結果に感情は必要ない。
中尉のボリュックに身体を貫かれたことも、他のことに気を取られた自分の責任だと考えていた。
だから中尉に対して何の感情もないはずなのだが何となく苦手だと感じていた。それは、中尉が自分に対してどんな感情を抱いているかがまるで見えて来ないからだった。
あの時は殺そうとしたのに今は守ろうとしている。訳がわからない。
憎悪でも嫉妬でも憐れみでもいい。態度で示してくれれば、そうかと思うだけだ。そして、相手の感情に自分の心を揺らさないよう固い殻に閉じこもってしまえばいい。
中尉は再びハーモニカを唇に当てた。今度の曲はゆったりした静かなメロディだ。
優しい音を聞いているうちに、胸の奥がじいんとなって涙が出てきた。寂しくて悲しくて惨めな気持ちが身体の芯からわき上がって来るようだ。
フィヨドルとリアンクール少佐の会話を聞いた時、母が自分を軍に通報したのだと知った時、母に捨てられたのだと思った。
元々愛されてなどいなかった。母が愛していたのは幼い頃の自分であって、セイラガムとなってしまった今の自分にはずっとよそよそしかった。
病床にあったときも一度も見舞いには来てくれなかった。
弱った身体は心を弱らせる。
(母さまはぼくを生まなければよかったと思っているのかな・・・・・・)
ふっとそんなことを考えてしまった時、身体の中を冷たい風が吹き抜けた。
ふたりが病室を出て行くと声を殺して泣いた。だが、どれだけ涙を流しても悲しみは少しも減ってはいかなかった。
「なんであんたがこんなところにいるんだよ」
「ずいぶんなあいさつだね。このアリアーガ島でとんでもないことが起こっているから、わざわざ知らせに来てやったのに」
応接室に通されたオレは思いがけない人物と再会していた。ルポライターのダレス・マルシャークだ。
トレードマークのロイドメガネはレンズがひび割れ、腕には包帯が巻いてある。なにかあったな。もっともダレスの場合は自分からトラブルに飛び込んでいると考えた方がいい。
「せっかくの特ダネをこんなところで公表しちまっていいのかよ」
「そんなことを言っている場合じゃないんだ」
顔は真剣そのものでいつものヒトなつっこい笑みが浮かんでいない。こりゃマジらしい。
「頼む。ここの司令官に会わせてくれ。すぐに手を打たないと大変なことになるんだ!」
「オレはリアンクール少佐と仲良しこよしってワケじゃないんだぜ。オレが軍人ギライなのは知ってるだろ?」
「四の五の言わずにさっさと取り次ぎたまえ」
突然、口をはさまれて目をやると、3人がけソファの真ん中にふんぞり返る見知らぬ少年がいた。
なんだ、こいつ。どこからどう見ても上流階級のお坊ちゃんだ。
仕立てのいいスーツを上品に着こなし、えり元に結んだリボンタイにはサファイアのブローチが留めてある。色といい透明度といい相当な高級品だ。
年はジョシュアと同じくらいか。きれいになでつけたヴァイオレットの髪と金色の瞳は、少年ながら高貴な風格を漂わせている。
付き添ってるふたりの若い男もなかなかの美男子だ。執事かボディガードなんだろう。
短いジャケットに細身のパンツ、ロングブーツに白手袋で、乗馬でもするみたいだ。場違いなのに3人セットでいると不思議なことに違和感がない。
オレは鼻の付け根にしわを寄せた。軍人は大キライだが同じくらい金持ちもキライだ。特に生まれつきの金持ちってヤツには嫌悪感さえ覚える。
それはなにも持たない捨て子だったオレの、生まれながらにしてすべてを持っている者に対するやっかみだってことはわかってる。
だが、理屈では理解できても感情が拒絶するんだ。こればっかりはどうしようもない。
それにしても―――目の前のお坊ちゃんはオレでなくとも鼻をつまみたくなるほどの傲慢さだ。誰に対しても愛想のいいダレスでさえしぶい顔をしている。
オレはダレスの耳元でささやく。
「なんだ、あのお坊ちゃんは。なんだってあんなのと一緒にいるんだ?」
「なんだ、キミはっ! この僕を知らないのか。無知にもほどがある。
僕はコングラートコンツェルン総帥、アレクサンドル・コングラートのひとり息子にして、いずれ総帥の座を受け継ぐことになるセイスタリアス・コングラートだぞ!」
年上を“キミ”呼ばわりするあたりは、住む世界どころか次元が違っていそうだ。
「そう言うなって。今回の情報の提供者は彼なんだ」
仲裁にはいったダレスも鼻の付け根にしわを寄せている。
目一杯に胸を反らし得意げにあごを突き出したセイスタリアスはまるで小さな暴君だ。
◇◇◇◇
ドス・サントスの不審な動きについて調べていたダレスに、重要な情報があると言って接触してきたのがセイスタリアス・コングラートだった。
丁度、サントスの子会社=イアソンの鉱山に忍び込もうとして負傷した直後のことだ。
コングラートは世界でも屈指の巨大コンツェルンで、セイスタリアスは父=アレクサンドルの命を受けてサントスの動きを探っていた。
ドス・サントスは元々コングラートグループの企業の下請けにすぎなかった。
それが急速に業績を伸ばして親会社と肩を並べる大企業になり、今ではコングラートコンツェルンの一員として名を連ねている。
ここ数年、幅広く様々な分野に手を広げ軍需産業にまで乗り出すことで急成長を遂げてきたのだ。そこまでならアレクサンドルも黙認してやることができた。
そうはいかなくなったのは、サントスに出向させている調査員からとんでもない情報がもたらされたためである。
ドス・サントスには以前から黒いうわさがあった。アビュースタ軍に武器を供給しながら、その裏でリトギルカ軍にも兵器を売りつけているというのだ。
死の商人に良心を期待すること自体間違っているのかもしれない。彼らは自分の利益のために他人の死を欲しているのだから。
それでも、自国を売り渡すような真似だけはしないだろうと考えていたが、どうもその考えは甘かったらしい。
サントスは新開発の兵器をリトギルカ軍に供給しようとしていた。その威力は現在最大の破壊力を持つとされているガルドット爆弾の比ではない。
新兵器が実用化されれば膠着状態にある戦局を大きく動かし、5世紀にも及ぶ戦争の歴史に幕を引くことになるかもしれないのだ。
アビュースタの敗北という形で。
アレクサンドルはこの情報の真偽を確かめるという重要な任務を、息子のセイスタリアスに託したのである。
そして、息子は父の期待に応え、サントスのアビュースタとコングラートに対する裏切りの確固たる証拠をつかむことに成功した。
だが、調査結果を報告して指示を仰いでいる猶予はなかった。すぐにでもなんらかの手段を講じなければ手遅れになる。それほど事態は切迫していたのだ。
一刻を争うと判断したビクトリアスは、直接マッカラーズ基地にこの情報を持ち込もうとした。
ところが、基地では何かのトラブルがあったらしく、子供の話に耳を貸す余裕はないとばかりに追い返されてしまった。
そんな時にダレス・マルシャークの存在を知ったのだ。人懐っこい笑みを浮かべた男は“任せて”と胸をたたき、とりあえずマッカラーズ基地内に入ることには成功したところだ。
ダレスはモニカから聞いてフィヨドルが助手と共にマッカラーズ基地に連れて行かれたことを知っていた。
フィヨドルに急用だと言えば基地内に入れてもらえるだろうと考えていたのだ。
ここまでは上手くいった。次はどうやって司令官に話を聞いてもらうかだが、運び屋アリアーガに縁を運んでもらうしかない。
詳しい事情を聞いたオレは、すぐさまリアンクール少佐に直談判しセイスタリアスに会ってくれるよう頼み込んだ。
「私たち軍人はアビュースタを守るために戦っているのに、そのアビュースタの民がこんなことをするなんて。信じたくない話だわ」
セイスタリアスから話を聞き証拠の書類や写真に目を通したリアンクール少佐は、深い溜息をついた。
「これは事実だと理解したまえ」
基地の司令官にまで偉そうな態度をとるところを見ると、セイスタリアスは誰に対してもこの調子なんだな。
「ええ、わかっているわ。これだけ証拠がそろっていては疑いようがないもの。よくここまで調べ上げたわね。たいしたものだわ」
おいおい、そんなにほめるなよ。そっくり返ったお坊ちゃんはイスから落っこちそうだ。自分で調べたワケでもないだろうに。
「あとのことは私に任せてちょうだい。必ずドス・サントスの暴走は阻止してみせる」
少佐は安心させるように力強く宣言したが、セイスタリアスにそのつもりはないらしい。
「そうはいかない。僕には父の代理として事の成り行きを見届ける義務がある。事態が収拾するまではここに滞在するから部屋を用意したまえ」
さすがのリアンクール少佐も顔色が変わった。
「何部屋必要なのかしら?」
ジョークもお坊ちゃんには通用しない。
「となりあった3部屋を用意してもらおう。中央の部屋は僕が使うからここでいちばん広い部屋にしてくれたまえ。
当然、バス・トイレ付きだ。それから、ベッドはコスモス社製の2305Ⅱ型で・・・・・・」
頭がおかしいのか。ここは高級ホテルじゃない。辺境の軍事基地だぞ。
セイスタリアスが部屋から出ていくと、乗馬服のひとりは主人に付いて行き、残った方は少佐に向かって深々と頭を下げた。
「主の無礼をお許しください。慣れない環境での長期滞在で疲れているのです。
明日には手配したキャンピングトレーラーが到着しますので、今夜一晩だけ寝泊りできる部屋をお借りできないでしょうか」
キャンピングトレーラーだと? そんな贅沢品の代表みたいなもんがアリアーガにあるわきゃない。
きっと、どっかの島から船で運んで来るんだ。わざわざそんなことまでしてきれいな部屋に泊まりたいんか! オレには金のムダ使いとしか思えねえ。
少佐はふうと息を吐いた。
「わかったわ。なんとかしましょう」
「ありがとうございます」
腰の低い乗馬服を見る少佐の目には同情の色が浮かんでる。
“あなたたちも大変ね”と言いたそうな。