3-1
「・・・・・・この海賊はクリュフォウ・ギガロックを名乗っており、犠牲者はすでに・・・・・・」
「ブ――――ッッッ!」
テレビのニュース番組をみていたオレは、アナウンサーが読み上げた名前に心底驚いた。口の中の砕けたクッキーを噴き出しちまったくらいに。
「フィルぅ」
「なんだ」
「ぎょうぎ悪い」
ベッドの上でクッションに寄りかかり一緒にニュースを見ているルシオンは、久しぶりに耳にした名前に驚いた様子はない。もくもくとクッキーを口へと運んでる。
「おまえよく冷静でいられるな、っと。そうでもないのか」
オレはだまされないぞ。
おまえの無表情は見慣れてるんだ。ほんのわずかな違和感だって見逃したりはしない。
そのオレが断言する。
今のルシオンは確かに動揺している。
隠し部屋にはオレとルシオンのふたりきりだ。
マーガレットはトスカネリに帰った。
ルシオンが全快するまではここにいると言っていたんだが、ピュッセールの研究所にあるベサラウイルスをそのままにはしてはおけなかったのだ。
今頃は実験用のウイルスも研究資料も、ベサラに関するものすべてが廃棄処分にされてるはずだ。
「ピュッセールは辞めるわ。巨額を投じたプロジェクトをつぶすんだから当然首でしょうけど。
もし、どこかにわたしを拾ってくれる製薬会社があったなら、今度こそ人の命を救うための薬品を開発するつもりよ」
別れのとき、マーガレットはそんな心境を口にしていた。
「私ね。この世界には病気で苦しむひとが大勢いるのに、誰でも薬を買うことができるわけではないと知って、安価でよく効く薬をつくってやろうと思ったの。
それで必死に勉強して製薬会社の研究員になったの。それなのに、、そんなことすっかり忘れてた。
大切な気持ちを思い出させてくれてありがとう。もう一度初心に帰って本当にやりたかったことに挑戦してみるわ」
マーガレットに高圧的なプロジェクトリーダーの面影はなかった。
「私の連絡先よ。何かあったら知らせてちょうだい。あなたの頼みならどんなことでもきくから。この恩は死んでも忘れないわ」
マーガレットはルシオンにメモを握らせた。
「ぼくがしたいことをしただけなのに」
「それでも私はあなたに助けられたわ。多くの子供たちが命を落とすようなことになっていたら・・・・・・私は生きてはいられなかった。だから、私の命はあなたのものよ」
ルシオンはベッドの上で身じろぎした。
「マーガレットさんが新しい薬をつくれば、たくさんのひとを助けることができるんでしょう。だったらそれでいいじゃない」
「それでも、私は“あなたのために”何かしたいの。絶対に連絡してね」
そんな言葉を残し、マーガレットは晴々とした顔で出て行ったのだった。
ホームのみんなにはジョシュアは急な仕事で出かけていると言ってある。
隠し部屋にいることを知っているのはオレとシスターアナ、それにレイチェルだけなのだが彼女はまだ一度も見舞には来ていない。
オレはこまめに隠し部屋に行ってはルシオンの相手をしてやるようにしている。だが、ずっと一緒というワケにはいかない。
長い時間姿が見えないとホームのみんなに怪しまれてしまうからだ。そこでオレは寂しがり屋のルシオンのためにテレビを用意してやった。
そのテレビから聞こえてきた名前は、オレたちにとってなじみ深いものだった。
「海賊だとぉお! 他人の名をかたってつまんないマネしやがって!!」
クリュフォウ・ギガロック―――――
世界でただひとりセイラガムの称号を持つザックウィック。その名を知らないヤツはいない。
ザックウィックとはリトギルカ軍に所属する特殊能力者のことで、その中でも桁外れの能力を持ち世界最強と言われているのがギガロックだ。
天地を動かすほどの力があるとささやかれている。あり得ないと思った。そんなのはうわさが独り歩きしているだけなんだと。
だが、実際にその力を目の当たりにしてあながちでたらめじゃないかもしれないと考え直した。
幾多の戦場でリトギルカ軍を勝利に導いてきたギガロックは、オレたちアビュースタ人にとっては恐怖と憎悪の的だ。ヤツが通った後に生者は存在しないとまで言われている。
数多のアビュースタ人の命を奪ってきたヤツは死神に取って代わる存在だ。
そのクリュフォウ・ギガロックが姿を見せなくなって1年になろうとしている。
リトギルカ軍がヤバいって時でさえ現れることはなく、死亡説まで飛び交っていた。そんな矢先の今回の騒ぎだ。
自分がクリュフォウ・ギガロックだと言いふらしている海賊の首領は、かなり強力なヴァイオーサーであることは間違いない。
黒い髪、黒い服でみてくれも似せてる。ギガロックが黒ずくめだってことは誰もが知ってるヤツの特徴だ。
他のことは何もわからないんだから、とりあえず黒ずくめにしときゃそれらしく見えるだろうさ。
海賊討伐に出張ったアビュースタ軍は返り討ちにあって全滅した。
これで、ギガロックの名をかたっているだけのニセモノじゃないのかと疑っていた連中も、本物かもしれないと考えるようになったようだ。
軍をけ散らした海賊はやりたい放題だった。バタイユ海域を中心に広範囲で貨物船や客船を襲っていた。ヒトの命を奪うことなんざ、なんとも思っちゃいない。
犠牲者の数はついに3桁になった。その中には子供もいて、オレの腹の中は煮えくり返っていた。そんな怒りをおくびにも出さないようにするのはなかなかに骨が折れる。
「フィルぅ」
「なんだ」
「ほうっておけない」
「気持ちはわかるが今は身体を治すことに専念しろ」
「もう、なおってるよ」
「体力は戻ってないだろ」
元々細身のルシオンはベサラウイルスの一件でさらにやせ細って、はかなげな印象がますます強くなっていた。
「フィルがちょっとしかお菓子をくれないからだよ」
「おまえなぁ、そんなもんばっか食ってないで肉を食えって言ってるだろうが」
「ヤダ。」
ルシオンはきっぱりと言い放った。こいつは肉がキライなのだ。ウインナーやハムなら食べられるが、加工していない肉の料理は受け付けない。
「肉だ、肉。肉を食わないとヒョロヒョロのもやしになっちまうぞ」
「いいもん。もやしでも」
だだっ子かよ。ホームの2歳児と変わりゃしない。
しかし、そうも言ってはいられない事態がやってきた。
ルシオンは目の前に置かれたハンバーグを親の仇でもあるかのごとくにらみつけている。
海賊討伐に失敗したアビュースタ軍はミュウディアンを投入することを決め、それに対抗するため海賊は客船ごと民間人を人質に取るという暴挙にでていた。
ミュウディアンとはアビュースタ軍に所属するヴァイオーサーのことで、リトギルカ軍のザックウィックに当たるものだ。
敵がヴァイオーサーなら渡りあえるのは同じヴァイオーサーだけだ。
ニュースでこの事態を知ったルシオンは、バタイユに行かせて欲しいと懇願してきた。ならばと、オレが出した条件が目の前のハンバーグを平らげることだった。
ベサラウイルスで内臓をやられたルシオンは飲み食いできない状態だったのだが、脅威の回復力で1週間がすぎた頃には普通の食事ができるようになっていた。
ところが、甘いもの好きのルシオンは、長い間好きなものを食べられなかった反動で菓子ばかり食ってやがる。
これは身になるものを食わせるチャンスだ。
「フィルぅ」
「なんだ」
「ひとでなし」
「なんとでも言え。そいつを食えるほど元気になったって言うんじゃなきゃバタイユには行かせないからな」
「・・・・・・」
ルシオンはナイフとフォークを手に取りハンバーグを指の先くらいの大きさに細かく切り分ける。
しっかり焼いた肉からは香ばしい匂いが漂っているんだが、こいつにとっちゃその匂いだけで気分が悪くなるらしい。
鼻をつまんで口の中に放り込み、そのまま固まってやがる。
「丸のみするなー。内臓に負担がかかる」
意地の悪いことを言ってやるとこっちをにらみつけて涙目になっている。
それでも、小さくちいさく切り分けたハンバーグを、少しずつすこしずつなんとか飲み下し、とうとう平らげることに成功した。
ハンバーグ1個に1時間もかかったが、とにかく完食したことでオレは約束を守らなくちゃならなくなった。
病み上がりの身体でまだ体力も戻ってないのに、海賊ばかりかミュウディアンもが待ち受ける修羅場へ行かせるのは正直不安だった。
だから、無理難題を押し付けたつもりだったんだが・・・・・・
このまま事態を傍観してはいられないというルシオンの気持ちはよくわかる。結局、相棒をサポートするため、一緒にバタイユに行くはめになったオレはお人好しなんだろう。
バタイユ海域はアリアーガから日帰りできるくらいの距離にある。言わば近所だ。
オレたちはファビウスⅡ世号がそこにいたという痕跡を残さないようにするため、小型の高速艇をレンタルして現場に向かった。
アビュースタ軍が立入禁止にした海域の近くには報道関係と野次馬の船が数隻いるだけだった。事件の大きさを考えると野次馬の数は異常に少ない。まあ、賢明な判断だな。
規制線の外側にいたからって安全とは限らない。セイラガムの力がどこまで届くかなんて誰にもわかりゃしないんだから。(ニセモノだけどな)
オレたちは報道関係の船から離れた場所で高速艇を停めた。物好きな野次馬が増えたと思ってくれりゃ都合がいい。
状況はテレビの特別番組で中継を交えながら生放送されている。
それによると、今回、海賊討伐にかりだされたミュウディアンは10人を優に超えるらしい。近場の基地からかき集められるだけかき集めたようだ。
普通ならこれで海賊なんぞ一網打尽だと安心するところなんだろうが、テレビのコメンテーターは緊張を含んだ声で言う。
「これだけの戦力で充分とはとても言えないでしょう。なにしろ相手はあのセイラガムなのですよ。
しかも人質を取られていては非常に動きにくい。簡単にはいかないと思います」
◇◇◇◇
「そんなこたぁ言われなくてもわかってるんだよ」
深刻な表情を作って見せるコメンテーターに不快感をあらわにしたのは、その困難な任務を与えられたミュウディアンチームのひとりだった。
アビュースタ軍艦艇内のブリーフィングルームに集められたミュウディアンは18人。彼らの視線を集めるスクリーンにはテレビの特別番組が映し出されている。室内の空気はぴんと張り詰めて痛いほどだ。
これから戦わなければならない相手のことを思い、誰もが無口になり言葉を交わすこともない。
「なんだか空気が重いですね」
「そうね。みんなセイラガムの名におびえているのよ」
「確かにみなさん心拍数が多いようです」
「まだそうと決まった訳でもないのにね」
「そこのふたり! 今、聞き捨てならんことを言っていたな」
男女ふたり組の会話を聞きとがめた中年の男がことさらに大きな声でほえた。
「聞き捨ててくださいな。ただの雑談です。それとも図星でしたか?」
落ち着いた態度と柔らかな物腰の女に動じた様子はない。
「貴様!」
中年男の顔が引きつるのを見てふたり組の男が女にささやく。
「少佐、まずいですよ」
「少佐?」
その言葉に中年男は驚いた。女と一緒にいる口ひげをたくわえた男の方が明らかに年上だし貫禄もある。階級は男の方が上だろうと思っていたが、どうも違うらしい。確かに女の肩にある階級章は少佐のものだ。
(俺よりも若い女が少佐だと!)
“異例の出世”という言葉が頭をよぎった。
(この女、何者だ?)
上官から先に名乗らせる訳にはいかない。中年男は姿勢を正し敬礼する。
「申し遅れました。自分はヨサファット基地から招集されました、」
「スタンリー・ターヒル大尉ですよね」
「どうして自分の名を・・・・・・」
少佐に柔らかな笑顔を向けられた大尉の怒りは消え失せている。
「ここに集められた方々全員のお名前を言い当てられますよ。みなさん有名な方たちばかりですもの」
「そうなのですか。気が付きませんでした」
ターヒル大尉は周囲を見まわした。確かに誰も彼もが歴戦の戦士といった面構えだ。知った顔もちらほら見受けられる。
「ええ、ですから相手が誰でも恐れることはありませんわ。私はルシル・リアンクール。どうぞよろしく」
リアンクール少佐の言葉に場の雰囲気が一気に和らいだ。
各々、そばにいる者と自己紹介を交わし始めている。これで少しは緊張も解きほぐれることだろう。
「それも海賊の首領が本物のクリュフォウ・ギガロックだったらの話ですけれど」
リアンクール少佐はテレビに目を向けながらさりげなくつぶやいた。特別番組の出演者たちは何の迷いもなく首領をギガロックと呼んでいるにもかかわらず。
「少佐は別人だと思っているのですか?」
首領はギガロックであると思いこんでいたターヒル大尉は戸惑った。
「だって、あのセイラガムが人質をとるなんて、そんなつまらない真似をするとは考えられないんですもの」
「確かにおかしいですね。我々ミュウディアンが出て来たからといって、ギガロックが動揺するとは思えません」
少佐に付き従っている副官のヘットガー中尉が上官の言葉を後押しした。
「ねっ。そうでしょう」
3人の会話を聞いていたミュウディアンたちも何やらささやき合っている。
ヘットガー中尉には、離れた場所で耳打ちしているひそひそ声まではっきりと聞きとれていた。集中すれば心音を聞くことも可能だ。彼は超聴力の持ち主なのだ。
中尉はリアンクール少佐に目くばせして見せる。作戦が上手くいったという合図だ。
わざと大きな声で話し、ミュウディアンたちのセイラガムを名乗る男への必要以上の恐怖心を取り払ったのである。
中尉のビッグイアはブリーフィングルームに近づく靴音を拾った。どうやら指揮官殿のお出ましらしい。全員が立ち上がり敬礼で迎え入れる。
さあ、いよいよだ!